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龍脈の子  作者: キタノユ


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第二十九話 聚星坊の奇人たち

 市場から戻った千里は、中庭のえんじゅの下にぐったりと腰を下ろしていた。

 都の雑踏に揉まれ続けた体が、まだ揺れているような心地がする。


「人当たりしましたね。気持ちが落ち着くお茶を、淹れてきましょう」

 千里の顔色を確認して、懐安は食堂の方へ去っていった。


 入れ替わりに、表の門が立て続けに軋んだ。

 ぞろぞろと中庭へ入ってきたのは、墨の匂いや古い書物の埃が衣に染み込んだ、聚星坊の住人たちだった。


「いいいやはや、や、やややっと、ここ皇太子が、た、た立ったか……」

「長かったですのぅ。これでようやく、くだらない賭けが終わりますな」


 手にした巻物で肩を叩きながら、あるいは綴じ本を傍に抱えた彼らは、口々に街角に貼り出されたお触れの話題を転がしている。


 ふと、そのうちの一人が槐の根元でうずくまる小さな影、千里に気づいた。


「あら……新入りさん。どうなさいましたの? 干からびた果実みたいな、可哀想なお顔をして」

 風鈴が微かに鳴るような、穏やかで上品な響きだった。


「うぇ……?」

 千里が顔を上げると、楚々とした令嬢かの物腰の若い女が、心配そうに千里の顔を覗いていた。

 服装は、白衣。

 千里が聚星坊へやってきた初日に目撃した、何かに憑かれたように一心不乱に薬研を擂り潰していた女である。


「え、っと――」

「あ、お待ちになって。何も仰らないで。当ててみせますわ」


 千里が乾いた唇を開きかけた刹那、女の双眸に粘つく異様な光が宿った。


「眼窩の僅かな窪みと唇の乾燥具合からして水気不足は明白でございますけれどそれ以上に顔面へ血の気が昇っておられないのは気が上擦っていらっしゃる証拠ですわね加えて呼吸が浅く首筋の脈動が微かに遅ぅございますのは聴覚と視覚が過剰に刺激されて心神が消耗し切っておいでだからですわきっと都の淀んだ気脈と凄まじい人口密度に順応できておられないのでしょうとりあえず今すぐ陰虚を補う麦門冬と五味子を煎じたものを胃の腑に流し込んでいただくべきですが――」

「……」


 息継ぎの隙間すらない怒涛の早口に圧倒され、千里が瞬きも忘れて言葉を失っていると、食堂方面から静かな足音が近づいてきた。丸盆を携えた懐安だ。


「要するに、人酔いしたので水分をとっておやすみください、ということですね」

 湯気を立ち昇らせる白磁の茶碗が、千里の目の前へ差し出される。


「患者へのご説明は簡潔でなければなりませんよ。しかも相手は童なのですから」

「徐先生、ごもっともですわ……!」

 白衣の女は、はっと我に返って口元を袖で覆った。


「……変なの」

 千里は茶に口をつけながら、庭に集った奇妙な面々を見渡す。


「災難だったのぅ。今日は都中が底抜けに浮き足立っておる」

 古本街でも巡ってきたのか、両脇いっぱいに書物を抱えた老学者風情の男が、中庭に据えられた卓の上へ古書を重ねて置いた。途端、塔が瓦解して地に散らばる。


「お、お、おまけに、だ、だだ第七皇子様が選ばれたとあって、こ、ここ殊更に」

 痩せた男の、筋力が足りないか細い声が届く。

 だぶついた長い袖の衣に包まれるように、花壇の縁へ背を丸めて腰掛けた。


「第七皇子、朗月殿下――生まれつき龍の印がつかなかったという御方だね」

 軽やかな若い声がそれに続いた。この場で千里の次に若い青年だ。

 青年は老学者が散らかした書物を拾い集めて卓へ戻すと、そのまま千里のすぐ隣の石敷きへと気負いなく腰を下ろした。


「……みんなそう言うんだよな。兄ちゃん皇子の方が強くて良かったって」

 千里の手が、強く椀を握りしめる。


 不機嫌に唇を尖らせる顔へ、ふふ、と面白がるような吐息がすぐ隣から聞こえた。

「その様子だと、君は朗月皇子派なのか。なかなか通だね」

「ツウ?」

「世間の声に流されず、真の価値を見抜く目を持っている、という褒め言葉ですよ」


 懐安は穏やかな声音でそう補いながら、力み返った千里の指先から、空になった椀を滑らせるように抜き取った。


「さすがですわ、徐先生。なんて素敵な解釈かしら」

 白衣の女が、ぱっと顔を綻ばせて両手を胸の前で合わせた。


「朗月皇子派は玄人好みだと、僕は思うんだ。実際、君くらいの年齢の特に男児は、百戦錬磨の烈雲皇子の武勇伝を好む傾向にあるからね」

「クロウトゴの実……?」


 千里が別の何かを想像しているのをよそに、聚星坊しゅうせいぼうの住人たちは新・皇太子の是非についての議論を白熱させていく。


「僕は朗月殿下の立太子は、筋が通ってると考える」

 青年は槐の枝を拾い、枝先で足元に簡易的な大陸図を描いた。


「瑞華はここ三代に渡り、武威をもって版図を広げ続けてきた。そろそろ、地盤固めの時期であると陛下はお考えなのではないか。そこで、朗月殿下が手がけた幽谷州の治水が重要な意味を持つ」


「『都の食糧庫』の復興事業のことですわね」

 白衣の女が声を弾ませる。


「およそ百余年前、太祖たいそ御代みよの古い地誌を紐解けば、黒田郷一帯が瑞華随一の穀倉地帯であった事実が記されている。米や麦が秋ごとに幾艘いくそうもの穀物船に積まれ、途切れることなく帝都の倉へと運び込まれていた。蔵を司る戸部にも、あの地から納められた莫大な運上米の記録が確かに残っている」


 青年の口は、淀みなかった。

 早口でありながら、耳に心地いい。


「左様」

 老学者が深く頷く。

「殿下を、ただ田畑を耕すのみとあなどる声は多いが、なれど兵書にも『軍は糧を以て命と為す』と記されておる。『都の食糧庫』の復活は瑞華の国力の引き上げに繋がるであろう」


「仰る通りですわ」

 白衣の女が、熱を帯びた吐息を漏らした。

「医術の道におきましても、万病を防ぐ要は日々の糧にございます。食の巡りこそが民の血肉を養い、瑞華を強く、しなやかにするのですわ」


「……」

 住人たちの言葉の応酬へ、千里は前のめりに聞き入った。

 市井では少数派だった朗月への温かな称賛が、千里の頬を朱くする。


「さらに。朗月殿下は以前より宮中や王府の環境改善に心を砕かれていたことは、市井ではあまり知られていない事実だ」

 青年は続ける。


「下級宦官や女官たちの過酷な労役を見直し、内務官吏へ細かな口添えをされたと聞く。それに、政商せいしょうのみが暴利をむさぼらないよう、辺土の小農から直接作物を買い上げる流通を訴えていたとも」


 どこからか吹き抜ける風が、青年の言葉を肯定するように、槐の枝を揺らした。


「民の生活の根を張る細部にまで御目配りができる御方こそが、これからの瑞華を導く長に相応しい素質を持っていると、僕は思うんだ」


「な、な、なんで、そ、そそ、そんなに……宮中事情に、く、く詳しいのだ?」

 花壇の縁に背を丸めていた痩せた男が、だぶつく長い袖から首を突き出す。


「え、ええと」

 不意の問いかけに、雄弁だった青年の口元が微かに軋んだ。

「よく宮中へ出入りする知人から、色々と小耳に挟んでいるのだ」


「おれの知らない話ばっかりだ」

 千里は身を乗り出して、隣に座る青年の衣の袖を引いた。


「もっと聞かせてくれよ。朗月――殿下のこと」

 千里の熱意に、青年の口元からふっと力が抜けた。


「いいよ。それなら、友達にならないか。これから少しずつ情報交換をしていこうじゃないか」

「ともだち……うん!」

「よろしく」


 青年は意味ありげに双眸を細め、熱に浮かれる千里の顔をまっすぐに覗き込んだ。

「僕も、君と話したいことが山ほどあるんだ」


 槐の木陰で交わされる住人たちの交流を見守っていた懐安は、丸盆を手に再び厨房へと姿を消した。

 全員分の茶を淹れるために。

 まだまだ活発な「議論」は続きそうだ。


「そ、そ、そうなると……だ」

 だぶついた衣の袖口を握りしめ、花壇の縁に座る痩せた男が掠れた声を挟む。


「歴代の、お、王や皇帝に宿ると、ささされる……『龍の印』、すなわち、しゅ、祝福を持たぬ者が、そ、即位することになるが。……そ、それは、ど、どうなるのであろう、か」


 市場でも、皆がそのことを口々に囁き、朗月を「無印の皇子」と嘲笑っていた。


「そこなんだ」

 青年は膝を叩く。


「龍の印が『龍に認められた王の証』であるという認識が定着したのは、実は歴史上、ごく最近のことなのだ。瑞華の成り立ちを記した創世神話には、印のことなど一言も書かれていない。龍の血である荒れ狂う湖を鎮め、この国を興した始祖の記述にも、龍から印を賜って王になったとは書かれていないのだよ」


「えっ……」

 千里の口から、間の抜けた声が漏れる。

 老学者も、ふむ、と顎髭を撫でて頷いた。


「王位継承が『血の順番ではなく、王が選んだ者』とする瑞華祖法については、神話にもはっきりと記述がある。なのに、『王に与えられる龍の印』についての記述はすっぽりと抜け落ちているんだ」


「でも、『龍の印』自体は存在しますわ?」

 白衣の女が、楚々とした所作で小首を傾げた。

「術者や風脈師などは、その身に明らかな御印を宿しておりますもの。それが龍の祝福ではないと?」


「へぇ……」

 今度白葉に会ったら体に印がついているのか確認してみよう、と千里は密かな企みを浮かべる。


「そう。龍気を見たり、操ることを許された者には印が与えられるという記述は、神話の中で始祖王が立った後に登場する。『龍に代わり、王を助ける者たちの印』としてね」

 青年は枝先で地面に描いた大陸図を、軽く叩いた。


「しかし、『印を持つものが王である』という記述が登場するのは、ずっと後――瑞華の正史の、ほんの二百年弱前、五代前の皇帝の御代に編纂された史書の改訂からなんだ」


「どういうことだ??」

 千里は地面の図と、青年の顔を交互に見比べた。


「し、印の有無は、お王やここ皇帝たる資質とは……ななんら相関性がない、と、いうことで、あ、あるな」

「ではなぜ、急にそのような記述が現れたのかしら」


 青年は、槐の下から住人たちへゆっくり視線を巡らせる。

「そもそも玉体に触れて確かめることができたのは、ほんの一握りの人間だけだ。単に『書かれた・書かれていない』だけの話に過ぎないのだけどね」


「そこへさらに、人の「解釈」や「意図」が絡むものであるしのぅ」

 老学者が、卓上の分厚い書物を撫でながら深く頷いた。


「すげー……」

 次々と飛び交う耳慣れない学問の言葉や、めくるめく情報量に、千里はすっかり圧倒されていた。


 中でも、自分とそう歳が離れているように見えない青年の、淀みなく歴史を紐解く横顔に、千里は瞬きすら忘れて眼差しを釘付けにしている。


「そそこまで詳しいということは……き、君は、りゅ、龍理学りゅうりがくの探求を志しているのかい?」

「ああ」


 痩せた男の問いに、青年は再び千里へと視線を向けた。


「だから、千里。君ともっと話がしたいんだ。末長くね」

「??」

 千里はぱちりと目を瞬かせる。


 これが、千里にとって王都でできた二人目の「戦友」との出会いであった。


「さあ、少し休憩なさってはどうですか」

 間も無く食堂方面から、穏やかな声と共に茶の香ばしい匂いが中庭に近づいてきた。

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