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龍脈の子  作者: キタノユ


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第二十四話 二つの勅命

 勅使の任務は、金冊を読み上げて終わりではなかった。

 儀式を終えた後には、事務的な通達が山ほどある。


 黒泥沼の集会場の奥には卓が据えられ、勅使と官吏が上座に、朗月がその向かいに着き、燎駿が戸口に立つ。三人の従者たちも含め、他の人間は全て追い出されていた。


 外では、集会場の入口脇に白葉はくよう紅英こうえい蒼嶽そうがくら三人の従者たちが控えて膝をついている。

 千里は集会場前の広場の端、木の根元に座り込んでいた。

 隣には、渓舟けいしゅうが腕を組んで立っている。


 建物の周囲には、翔鸞衛しょうらんえいの武官たちが等間隔に立哨していた。

 物々しい甲冑の銀が秋の陽を弾き、腰の太刀に手を添えたまま、微動だにしない。


 つい先刻まで人夫たちが気軽に出入りしていた集会場が、まるで別の場所になってしまったかのようだった。


 村人たちは遠巻きに様子を窺う。

 武官たちと目が合いそうになると、慌てて顔を逸らす。


「おっちゃん、朗月、どうなるんだ」

 千里が、何度目かの問いを渓舟に向けた。

「しっ」

 渓舟が低く窘める。


 千里は口を閉じたが、膝の上に置いた拳は落ち着かない。

「……なぁ」

「静かにしろと言ったろう」

 渓舟の声からは、普段の軽口が鳴りを潜めていた。


 千里は唇を噛み、集会場の閉じられた扉を睨んだ。



 中では顔色が優れない朗月が、書簡の束が並ぶ卓を挟んで、勅使の高官と向き合っていた。


 一つ。一月以内を目処に帝都へ帰還すること。

 一つ。幽谷州ゆうこくしゅうにおける治水事業については、然るべき後任者に引き継ぐこと。

 一つ。身辺および帝都への道中の護衛は、燎駿を筆頭とする翔鸞衛があたる。

 一つ。帝都到着後は東宮に入り、以降、朗月の身辺は宮中の規範が適用される。


 等々々々々、延々と読み上げが続く。


 勅使が最後の書簡を卓に置き、朗月を見た。

「以上が通達の全てにございます。何かご質問は」


 しばしの沈黙の後、ようやく朗月の唇が動いた。

「父上と、母上と、兄上たちは……どうして、おられる」


 勅使の手が、一瞬止まった。

 朗月の顔を見て、それから静かに頷いた。


「陛下におかれましては御壮健であらせられ、后妃の方々も、他の皇子殿下方も、変わりなく息災にございます」


 朗月は目を伏せ、小さく息を吐いた。

 それ以上の質問がないと見計らい、高官は改まった響きで、かたわらの官吏に目配せをする。


「……もう一つ、陛下より別途の御意ぎょいを預かっております」

 促され、官吏がはこの中から紫紺の封蝋ふうろうで閉じられた新たな封書を取り出した。


「つきましては、龍脈の子を――千里なる者を、こちらへ」

「――な」

 朗月の顔が、上がった。



 小屋の外で、千里は膝を抱えて落ち着かなかった。

「なぁ」

「何度も言わせるな。静かにしていろ」

 渓舟にたしなめられ、千里は身を小さくする。


 不意に、扉が開いた。


「朗月!?」

 千里が弾かれたように顔を上げると、戸口に立っていたのは燎駿だった。

 切れ長の目が千里を見やり、一言だけ告げる。


「千里少年。中へ」

「お、おれ?」

「そうだ。来い」


 千里は助けを求めるように、渓舟を振り返った。

 渓舟はただ頷き返し、送り出すしかできない。


 入り口付近に控えていた三人は困惑した面持ちだ。

 燎駿の向こう、室内に朗月の青い横顔が見える。


「行くっ」

 千里は立ち上がり燎駿の後につく。

 困惑する三人の前を通り抜け、集会場の中へ足を踏み入れた。


 背後で扉が閉められる。

 ちょうど太陽が真上に登って影となった薄暗い室内、書簡で埋め尽くされた卓の前で顔色を悪くしている朗月の姿があった。


「朗月!」

 千里は訳も分からぬまま、朗月の傍に駆け寄る。


「皇太子殿下、とお呼びなさいませ、『千里様』。それから、無闇に殿下はお近づきになりませぬよう」

 高官の声に、千里は振り向いた。


「なんでだよ。ここは宮中じゃねえよ!」

 宮中で老宦官(かんがん)に叱られた記憶が、千里の顔を赤くする。

 反対に、若い官吏は青くなっている。


 高官は大きく息を吐いた。

 呆れか、諦めか、それよりも仕事が先だと、聞かん坊をとがめることはせず、取り出された封書の封蝋を切った。


 書を広げ、一度目を通してから、勅使の高官は千里と朗月の双方に視線を据えた。

「陛下の御意を、申し上げる」

 次に続く言葉は、朗月の顔色をさらに青ざめさせることになる。


「『帰還には、龍脈の子を伴うべし』」


「――な」

 朗月は絶句した。


「ん??」

 横で千里は、疑問符を浮かべて朗月を見上げる。


「どういう……一体、陛下はどのようなご意向で……!」

 朗月の手が、反射的に封書へ伸びた。

 勅使が制する間もなかった。

 紫紺の封蝋の中央には、確かに皇帝の私印である龍と華の刻印。


 立太子に関する書簡の束とは別に用意された、一通だけの「御意」。

 朗月の指が、ゆっくりと紙を握り締める。


 これが、本題か。


「陛下の御意にございます」

 勅使は感情を挟まぬ声で、それだけを返した。


「朗月、どうしたんだよ。顔、怖いぞ」

 千里は朗月の袖を引いた。


「龍脈の子って、おれのこと?」

 千里は朗月の顔と、封書と、高官と、出口を塞ぐように立つ燎駿と、もどって再び朗月へ、順繰りに視線を巡らせる。


「おれ、朗月と一緒に行くのか?」

「千里……」

 朗月の震える声と瞳が、答えだった。


 千里の手が、袖を掴んだまま止まった。



 勅使の一行が村を後にしたのは、それから間もなくだった。


 黒金の旗と馬車が土煙を上げて街道を去っていき、燎駿含む五名の翔鸞衛だけが残った。集会場の扉は開かれたまま。片付けられた卓の前で、朗月は動けずに、両手で顔を覆っていた。


「殿下!」

 白葉はじめ三人が朗月へ駆け寄ろうとしたが、戸口を固める翔鸞衛の腕が行く手を遮る。


「皇太子殿下の御前である。許しなく近づくことはならぬ」

「く……」


 白葉が押しかけたところを、紅英が白葉の肩を掴み、首を横に振った。蒼嶽も苦い顔で、押し留める。


「……朗月」

 千里は朗月の前に回り込み、覆われた手の隙間を覗き込んだ。

 指の間から、落ち着きなく揺れる目と、視線がかち合う。

 雪山で行き倒れていた時よりも、白い顔をしていた。


「なぁ、元気出せって」

 千里は、掴んだ朗月の袖を左右に振った。


「お、おれは朗月といっしょに行くなら、そんな悪くないって思うぞ」

 それは――これほど悲しい顔をするほど、悪いことなのか。


 朗月が皇帝になればいい、と思った。

 自分は勉強を頑張って、いつか都で学びたい、と思った。


 それらが思いのほか、早く叶おうとしているだけではないか。


「朗月……?」

 呼びかけても、返事がない。


 朗月と共に都へ行くことへどこか興奮を覚えている自分と、目の前で苦しんでいる朗月の姿が、うまく繋がらない。


 苦しんでいる朗月に何を言えばいいのか。

 何をすればいいのか、わからない。

 だから、考える前に体が動いた。


 千里は横から朗月の体にしがみついた。

 細い腕に力をこめて、朗月の肩に回す。


「っ……」

 朗月の肩が、一度、大きく揺れた。


「無礼な――」

 戸口に立っていた翔鸞衛の一人が、鋭い声を上げかける。

 燎駿が片手でそれを制した。


 朗月の、顔を覆っていた手が、ゆっくりと下りた。

 震える指先が、千里の小さな背中を探り当て、抱きしめ返す。

 言葉なく、千里の体温を確かめるように。


 千里を抱いたまま、朗月は燎駿に向けて口を開いた。

「宮中の規範が適用されるのは、東宮に入ってからだ」


 声の震えはなかった。


「ここでは、私の身辺に口出しをするな」

「しかし――」

 翔鸞衛の武官たちがわずかにたじろぐ。


「――承知いたしました」

 燎駿は片膝をついたまま頷き、部下たちの動揺を封じる。


「ただし、殿下。御身おんみつつがなく都へお送りすることは、勅命にございます。これだけは、いかなる仰せがあろうとも曲げること叶わぬこと、何卒、御容赦を」


「……すまない」

 朗月は千里の頭を抱えたまま、目を閉じた。


「朗月……」

 千里も負けじと、朗月の袖を小さな手で握りしめた。


 しばらく動かない二人を部屋の外から見守るしかできず、紅英が唇を噛んでいた。白葉は空を仰いだ。蒼嶽は目を閉じている。

 燎駿はじめ翔鸞衛たちは揃って片膝をつき、皇太子が顔を上げる時を黙って待ち続けた。


 扉が開け放たれた集会場の様子を見渡せる木陰で、渓舟は腕を組んだまま、その全てを見ていた。


 異例だ。

 何もかもが。


 かつて中央の工部で末席を汚した身だ。

 宮中の典礼がいかに重んじられ、その一つ一つにどれほどの意味が編み込まれているか、骨身に沁みている。


 こんな辺境の村で、泥の飯場の隣で、村人や人夫たちの目の前で行われた冊立など、瑞華史上これまでにあったであろうか。


 陛下は、朗月をあなどって手順を省いたのではない。

 手順を省いてでも、急いだ。意図的に。


 黒田郷の治水がひと段落した途端に、送られた勅使。

 待てない事情が――朗月を皇太子にしなければならない理由が、先にある。


 そして、あえて執り行われた、辺境での「急拵きゅうごしらえ」の冊立。

 証人となった村人たちが、朗月にとって人質となるのだ。


 まず、「皇太子の御尊顔」を下民がまともに直視すること自体、とうに万死に値するほどの不敬である。


 さらに。もし朗月と千里が勅使を無碍むげにすれば、村人たちは否応なしに皇帝の威信に関わる場面を目撃したことになる。


 二重に、ただでは済まない。


 朗月に黙って冊立を受けさせ、千里を説得するしかない状況を作り出すための――互いの優しさを利用した策略だろう。


「……きな臭ぇ」

 呟きは風にさえさらわれず、渓舟の足元に落ちた。

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