第26話 値段のつく噂(商人視点)
朝市の喧騒は、いつもと変わらない。
パンの焼ける匂い、果物を叩く音、値切りの声。
――表向きは、だ。
「……三割、だと?」
帳面を睨んだまま、俺は思わず声を落とした。
薬草の仕入れ値。
回復系の素材。
聖印付きの副資材。
どれも、一週間前より明らかに上がっている。
「城からの買い付けが増えましてね」
問屋の男は、曖昧に笑った。
笑いながら、核心は言わない。
(ああ、そうか)
俺は、内心で頷いた。
“聖女の奇跡が弱っている”
――その噂は、もう噂の段階を過ぎている。
城は否定する。
公式には、何も変わっていないことになっている。
だが、市場は正直だ。
奇跡が安定しているなら、
備蓄を増やす必要はない。
奇跡が確実なら、
代替手段に金は出さない。
それでも城が動いているということは――
もう、信じきれていない。
「この量、今日中に欲しい」
城の使いがそう言った時、
周囲の商人たちが一斉に目配せを交わした。
(来たな)
誰も驚かない。
むしろ、確認が取れた、という顔だ。
「値は?」
「通常の――二割増しで」
一瞬、沈黙。
そして、俺は首を横に振った。
「三割です」
使者の眉が動く。
「……強気ですね」
「今朝、もう一本、同じ話が来まして」
嘘ではない。
“同じ話”は、城とは限らないが。
使者は、少しだけ迷い、
それから頷いた。
「……分かりました」
契約が成立する。
その瞬間、
周囲の空気が、はっきり変わった。
(決まりだ)
奇跡は、
もう“前提”として扱われていない。
荷をまとめながら、
ふと、別の記憶がよぎる。
――追放された令嬢。
城を出る前、
彼女が、商会に残した言葉。
「今は、何もしないでください。
ただ、“備えて”」
あの時は、
慎重すぎると思った。
だが。
(外れたのは……)
城の判断の方だ。
市場は、嘘をつかない。
金は、正直だ。
奇跡が戻るなら、
城は余った在庫を抱えることになる。
だが、もし戻らなければ。
(……倍で売れる)
俺だけじゃない。
周囲の商人も、同じ計算をしている。
「なあ」
隣の古株が、小声で言った。
「……あの令嬢、生きてるって話だ」
「だろうな」
「次は、どこで商うと思う?」
俺は、少しだけ笑った。
「城の中じゃないのは、確かだ」
視線の先、
王城の白い塔が、朝日に照らされている。
あそこでは、
まだ“奇跡はある”ことになっている。
だが、外ではもう――
値段が変わった。
それが、答えだ。
帳面を閉じながら、
俺は、次の仕入れ先を頭の中で組み立てた。
(――潮目は、完全に変わったな)
奇跡より先に、
世界は動いている。
そして、
追放された彼女は――
きっと、その流れを、
誰より早く読んでいる。




