第2話 名前を捨てるという選択
追放と言っても、乱暴に放り出されるわけではなかった。
最低限の旅費と、身の回りの荷物だけは与えられる。
それが王家なりの慈悲であり、
同時に「これ以上関わるな」という合図でもある。
馬車は、王都から離れた小さな街で私を降ろした。
白い石畳も、荘厳な門もない。
土の匂いと、人の生活が混じった空気。
「……悪くないわね」
私はそう呟き、深く息を吸い込んだ。
ここで生きるために、まず必要なのは――
身分を捨てること。
「一晩、部屋をお願いできますか」
宿の女主人は、私の服装を一瞥してから、穏やかに頷いた。
「名前は?」
一瞬、言葉に詰まる。
エレノア・フォン・グレイス。
その名は王都で、“悪役令嬢”として知られている。
「……エレノアで」
姓を、口にしなかった。
それだけで、不思議と胸が軽くなる。
翌朝、市場に出る。
目に入ったのは、品物よりも人の動きだった。
立ち止まる客。
声を張る商人。
売れ残りに、ほんの一瞬だけ向けられる視線。
(数字じゃない。空気ね)
王都の社交界で身についたのは、
相手の言葉よりも、表情や間を読むことだった。
それは、ここでも通じるらしい。
「お嬢さん」
声をかけてきたのは、露店ではなく、
きちんとした店構えの男だった。
「さっきから、ずっと見ていたね」
「失礼でしたら謝ります」
「いや。商売の目だと思ってね」
その言葉に、少しだけ驚く。
私はまだ、何もしていない。
けれど彼は、私を追い払わなかった。
「仕事を探しているの?」
「……生き方を、探しています」
自分でも意外なほど、素直な言葉だった。
男は短く笑い、道の向こうを指さす。
「なら、しばらくここに来な。
金じゃなく、様子を見る」
条件も、約束もない。
でも私は、その誘いを受けた。
王都では、常に誰かに選ばれてきた。
けれどここでは――
私が、選ぶ側になれる。
婚約破棄の、その後の話は、
静かに形を変えながら、進んでいく。




