第17話 帳簿に残らない話(商人視点)
王都南区、石畳の奥にある商会の応接室。
帳簿も契約書も、この部屋には置かれていない。
ここは――話だけをする場所だ。
「……で、その件ですが」
私は紅茶に口をつけながら、向かいに座る男を見た。
身なりは地味。商人というより、どこにでもいる使い走りだ。
だが、彼の背後にある“流れ”を思えば、無視できない。
「王都西門。穀物の入荷が、三日ほど遅れます」
「原因は?」
「検問です。理由は――不明、とされております」
不明、ね。
私はカップを置き、軽く息をついた。
「聖女様関連ですか」
「……おそらく」
その言葉だけで、話は終わる。
今の王都で、“聖女”の名が出る検問に、正当な理由など存在しない。
「では、東回りに切り替えを」
「費用が増えます」
「承知しています」
金で済むなら、安いものだ。
男は一度、視線を伏せた。
そして、わずかに声を落とす。
「――それと。西区の布問屋が、取引先を失いました」
「失った?」
「ええ。王城御用達から、外されたそうです」
……来たか。
私は内心で、小さく息を呑んだ。
「理由は?」
「帳簿不備、と」
あまりにも雑な理由だ。
王城が使う言葉じゃない。
「それで?」
「その穴を、誰が埋めるか。今、探している」
私は、ふっと笑った。
「“名のある商会”では、ないでしょうね」
「はい」
男も、わずかに笑った。
「条件は?」
「品質は二の次。納期厳守。
それから――口が堅いこと」
……なるほど。
王城は、もう自分たちの首を絞め始めている。
「引き受けましょう」
「よろしいのですか?」
「ええ。こちらは――」
私は言葉を切り、少しだけ間を置いた。
「名もありませんので」
男は、一瞬だけ目を見開き、すぐに頷いた。
「では、そのように」
彼が立ち去ったあと、私は一人、窓の外を見た。
王都は今日も平穏だ。
人々は何も知らず、買い物をし、祈りを捧げている。
だが――
物流が乱れ、
商人が消え、
取引が“名を失う”とき。
国は、静かに壊れる。
「……面白いお方だ」
追放された悪役令嬢。
名を捨て、王都の外で動いているという噂。
私はまだ、彼女の顔も、本名も知らない。
だが。
帳簿に残らない取引ほど、
国を動かすものはないのだ。




