第14話 聞かれなかった報告
――それは、私が王都を去る少し前のことだった。
重たい扉が閉じる音が、静かな室内に響いた。
「以上が、今月分の市井からの報告です」
文官は一礼し、書類を差し出した。
私は受け取り、目を通す。
取引の遅れ。
支払い処理の滞り。
通行証発行の保留。
一つ一つは、今すぐ問題になるものではない。
だが、行を追うごとに、胸の奥に冷たいものが積もっていく。
「……件数が、増えていますね」
「はい。ただ、特定の通りや商会に集中しているわけではなく……」
「広がっている、ということですね」
私の言葉に、文官は一瞬だけ目を伏せた。
「恐れながら、その通りです」
私は書類を机に置いた。
数字は、正直だ。
騒がず、訴えず、ただ並ぶ。
だがこれは、数字になる前の“兆し”だ。
商品が遅れ、判断が後回しにされ、
それでもまだ「回っている」と言い張れる段階。
「原因は?」
「明確なものは……。担当部署が曖昧になっており、
最終判断が保留されるケースが増えています」
保留。
それは、否定ではない。
けれど、肯定でもない。
「王太子殿下には?」
「要点はすでに。ただ、緊急性は低いと判断されたようで……」
文官は言葉を選んでいる。
責めるつもりはなかった。
誰も、悪意を持って先送りしているわけではない。
ただ、自分の見える範囲しか見ていないだけだ。
「宰相閣下は?」
「殿下のご判断待ちです」
私は静かに息を吐いた。
今はまだ、店は開いている。
人も雇われている。
王都は、形の上では動いている。
だからこそ、この報告は軽い。
――今、止めなければならない理由が、
まだ“事件”として現れていないから。
「このまま進めば、どうなりますか」
私の問いに、文官は少し考えてから答えた。
「遅れが常態化し、商会の体力次第では……立ち行かなくなる恐れがあります」
予測形。
可能性。
未来の話。
だから、聞かれない。
「分かりました。この件、私の方で整理し直します」
「よろしいのですか?」
「はい。今はまだ、間に合います」
それが、私の本心だった。
文官は深く頭を下げ、部屋を出ていく。
一人になり、私は机の上の書類を見つめた。
この国は、静かに回っている。
だから、止まり始める音は、とても小さい。
聞こえているのに、
聞こうとしなければ、届かない。
私はペンを取った。
この報告が、
今は聞かれなくても。
――いつか「そう言えば」と思い出される日が来るとしても。
それでも、書かずにはいられなかった。




