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「それでこの街に居着いちゃったんだ、元夫さん」
雇用主である老魔術師ルイザ・クレオメンの書斎で、カレンはこの家で雇われている中年のメイドにそう言われた。
彼女の担当は掃除と洗濯といったハウスキーパーである。
その他もう二人、壮年のキッチンメイドと力仕事や雑用を担う下男がいる。
カレンの仕事は祐筆……という名の秘書のような補佐役のような、そんな役割だ。
齢九十になり、目が衰えて指の関節が変形したルイザ。
彼女がこの国の上級魔術師として名を馳せたのは遠い過去のことで、魔術師業を引退して久しいというのに未だに彼女の英智を求めて様々な人間から相談事が寄せられている。
カレンはその対応やルイザに変わって代筆を行ったりしているのだ。
今日もルイザに頼まれた書類の作成を行いながら、カレンは答えた。
「復縁なんてしないと何度も言ってるんだけど、私がこの街に住んでるなら自分もここで仕事を探すと言って……」
「まさに猪突猛進。若いっていいさねぇ」
この家の主であるルイザ・クレオメンが窓辺に置かれたロッキングチェアに座りながらそう言った。
初冬の柔らかな午後の日差しが彼女を包んでいる。
カレンはアメジストの瞳を向け、少々恨めしそうにルイザに言う。
「ルイザ様ったら面白がっておられません?」
「そりゃ面白いさね。別れてとうに終わったものと思っていた男が必死になって元妻に縋る。まるで小説か舞台や映画のシナリオのようじゃないか」
九十年という時を生き、様々な人間や出来事をその目に映してきたであろう老魔術師。
そんな彼女の好奇心は未だ衰えておらず、窪んだ眼がキラキラと輝いている。
その眼差しに当てられて、カレンは小さく首を振る。
「私はちっとも面白くはありませんわ。今さら、復縁なんて」
「いいじゃないかもう一度新たな関係を築いてみても。なにも夫婦としてやり直すだけが復縁じゃない。一度途絶えた縁を再び結ぶ。その縁は友人や近所の人、単なる同僚や顔見知りでも良いさね。縁とは多種多様なものだよ」
「……」
長生久視であるルイザの言葉は深い。
それに反論したくても、若年で浅薄なカレンではルイザを納得させるだけの言葉を並べ連ねる自信がない。
‘’もう、彼のことで傷付きたくないから”
そんな子どもみたいな、稚拙な理由でもいいのだろうか。
色々とぐるぐる考えあぐねるカレンの様子を見てルイザが小さく笑う。
「フッ……あんたは生真面目な性質さね。そんな難しく考えなくてもいいんだよ」
「難しく、考えているのでしょうか……?」
「今カレンの心に浮かんだ感情のままに身を委ねるのを、悪いと言ってるんじゃないのさ」
「……」
まるで見透かされている。
どうあったって敵わない。
そう思うとカレンはすっと肩の力が抜けた気がした。
「自分の思うままに……それでいいのでしょうか?」
ルイザは自身の頬にかかる窓越しの陽を心地よさそうに享受しながら頷いた。
「もちろん。でも老い先短い年寄りにほんの少しの楽しみを残しておくのも、若者の務めだと思うよ?」
そう言ったルイザの瞳はやはり好奇心でキラキラとしている。
「…………」
カレンはやれやれと首を振り、ココアブラウンの前髪を揺らしながら雇用主の前で盛大なため息をついたのであった。