新しい光/光一
海沿いの公園に車を停めて、周りを見回す。
うん。この時間だし……平日だし、車もまばらだ。
走らせている間、響平はなにを話しかけても俯いたまま口を開こうとしなかった。
車を停めて窓を下ろすと、湿った海風が車内を満たす。
静かだった響平がやっと口を開いた。
「光一。病院は……もういい」
「うん……ごめんな? 俺が連れてったから……辛い目に遭わせちゃって」
響平は力なく首を横に振った。
「医者の言うとおりだよ。きっと。病気とかそんなんじゃなくって。俺、頭がおかしくなっちゃったんだ」
「俺はそうは思わない。というか……さっき確信した」
自分の手のひらをぼんやり見ていた響平が、視線を俺へと向ける。捨て犬みたいに悲しい目だった。
「かくしん?」
「キッカケは分からない。でも、響平は第六感が冴え渡っちゃってるんだよ」
なんて言っていいのか……。
俺にも上手い言葉が見つからなかったけど、響平はボソボソ言った。
「うん。わかるよ? 光一の言ってること。俺もそう思う」
「え? ホント?」
うなじを指先でポリポリと掻き、響平は深刻そうに言った。
「……わかるんだ。きっと。人が死んじゃうのが」
「それってさ、一種の超能力だよ? 共振って言ったけどもっとすごい能力が開花しちゃってるんだよ」
元気のない表情をしてた響平が少しだけ微笑み、また視線を落として海を見つめた。
「……いらないよ……そんなの」
「ああ。まぁ。確かに……医者じゃないし、スーパーマンじゃないし、事前に分かったっていいことなんかないよね……」
ただ耳鳴りがして、頭が痛くなるだけなんて……ん?
「響平、他にはなにも感じないの? 不思議なこととか」
「……ぅん」
響平は一瞬黙ったけど、こくんと頷いた。
「そっか。気分転換にさ、散歩でもしない? ほら、ちょうど、夕日が綺麗だよ?」
映画でよくあるサイコキネシスとか、エスパーとか? なんてちょっと想像してみたんだけど、そういう能力は無いらしい。他人事だと思って面白がってる! と怒られちゃうから言わないでおこう。
響平は渋々といった感じに頷き、車を降りた。
公園の入口にある自販機でジュースを買う。公園では、もう日も暮れるというのに、幼い兄弟がフリスビーで遊んでいた。お兄ちゃんは小学二、三年生くらいだろうか? 家がこの辺りなのかもしれない。
「もーっ、ちゃんととれよー」
「にーちゃんが、まっすぐなげてよー」
投げる側も、受け取る側もまだまだ下手くそな感じで、微笑ましい光景を眺めていた。
「あー! もぉー!」
お兄ちゃんの方が渾身の力で投げたフリスビーが、響平の足元に転がってきた。
これ、力入れちゃダメだよね。軽く投げるもんなのに。
響平は屈んで手に取ると、走ってきた弟くんに目線を合わせ「はい」と渡した。
「ありがとう!」
ニコニコ笑顔でお礼を言った弟くんに、響平もニコッと笑い、立ち上がりひらひら手を振る。笑顔になった響平をホッと眺めていると、響平が顔をしかめた。みるみる青ざめていく顔。
「ど、した?」
響平が俺の腕をギュッと掴んだ。
「光一……あの子、死んじゃう」
「……え?」
ギョッとして兄弟を見つめた。投げ返す弟くん。フリスビーは力なく、お兄ちゃんの足元に落ちた。
「へたくそ~」
お兄ちゃんはそれを拾うと、見本を見せてやる。といわんばかりに大きく腕を振った。高く上がるフリスビー。風に煽られたフリスビーは公園の敷地を超えてしまった。
「わー! あははは」
弟くんは両手を伸ばし、空を飛ぶフリスビーを見上げながら夢中で追っかけてる。その先は道路だ。
「光ちゃんっ!」
響平が叫んだのと同時に走った。空しか見てない子供の腕をガッと掴むと、弟くんはビクッと俺を見上げた。目の前の道路にフリスビーがポトンと落ちる。次の瞬間、大型のダンプが勢いよく走り抜けた。
──────っ!
冷たい汗がスッと背中を伝う。
「……道路に落ちたら、拾うのは危ないよ?」
「う、ん……」
振り返ると響平が地面に座り込み、心底ホッとした顔をしていた。
「危ないから。お兄ちゃんが取ってくるよ」
俺は左右を確認して道路の真ん中に落ちたフリスビーを拾った。
公園に戻ると、弟くんを守るように響平が立っている。そのうしろにお兄ちゃんが半泣きな顔で立ちすくんでいた。叱られると思ったのかもしれない。俺はお兄ちゃんの方へフリスビーを渡すと、頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「もっと道路から離れて遊ぼうな。それにもう暗くなる時間だから、家に帰った方がいいぞ?」
「うん……ありがとう」
「ありがとうなら、こっちのお兄ちゃんに言いなさい」
響平を指さすと、兄弟は声を揃えて「ありがとおございます!」と大きな声で言って頭をペコッと下げた。「え?」という顔のあと、響平が嬉しそうに「うん」と頷く。
「バイバイ。気をつけてね」
「はーい。おにーちゃんばいばーい」
大きな声を上げ手を振り、手を繋いで公園から出て行く兄弟を見送る。
響平も、ションボリ顔とバイバイできたらしい。
「帰ろっか?」
「うん!」
◇ ◇ ◇
響平のアパートに到着したのは六時頃だった。
「今日は色々あって疲れたと思うから、早く寝ろよ?」
「うん。ありがとう」
「うん。おやすみ」
響平がチラリと俺に視線を向ける。
「ん?」
車を降りないで、チラチラチラチラこっちを見る。
な、なんだ? なになに?
「え……なに? どした? あ、また耳鳴り?」
「ううん……そうじゃ、ないんだけど……」
「ないんだけど……?」
そわそわしてるような、もじもじしてるような煮え切らない様子。
微妙な空気にドキドキしてきた。
こ、これは、まさか……いやいやいや。 ないだろ? それはないだろ? 変な期待しちゃダメでしょ?
押さえつける感情はまったくその威力を弱めようとしないで、どんどん膨らんでくる。
響平がピクッとほんの一瞬なにかに気づいたような表情を見せた。頬がうっすらと赤くなる。
「あ、の……さぁ……」
か、かわいい……ってこんな時に俺ってやつは!
邪心をはねのけ、俺は生唾を喉へ押しやった。
「う、うん……」
「玄関まで……いい……かな?」
「ん? う、うんうん。もちろん送ってくよ」
元気に見えるけど、やっぱりまだ不安なのかな? 本当なら、横で添い寝して寝顔を見守ってやりたいくらいだけど。そんな申し出をしたらきっと「はぁ?」って返されちゃうかもしれないし。いや、確実に追い返される。というか、せっかく仲良くなれたのにまた振り出しに戻ってしまう。それだけは絶対に避けたい。
玄関まででも十分だ。
些細なことでもいい。俺を頼ってくれるのが嬉しい。
うしろを歩く俺を気にするように響平は歩いていたけど、ポケットから鍵を取り出しドアへ差し込んだ。
ドアを開け、俺を上目遣いで見上げてくる。
な、なんだろう……なんかさっきから様子、やっぱり変だよね?
そう思いつつ、響平の上目遣いに否応なく顔が熱くなる。
「…………」
しばらくの沈黙に戸惑ってると、響平がいきなり両手を広げ、バッと抱きついてきた。
「いっ!」
ドッキーン! と高鳴る心臓。慌てて回す腕。
きょ、響平……!?
抱きしめ返そうと腕に力を入れたら、響平は深呼吸するように大きく息を吸い、俺の背中をバシバシバシと叩いた。わけがわからなくてビックリしてるとバッと離れる。
な、なんだ、ハグ……だったのか?
響平の表情はなんだかすごく嬉しそうというか……やけに満足そうだった。
「今日は本当ありがと! じゃあ、また!」
「う、うん。……また……」
響平はニッコリ微笑むと、顔の横で手をパッと開いてクルリと回転。すんなり部屋の中へ入っていった。目の前で閉まるドア。
「…………」
はぁ~~……ビックリした。
胸に手を当て、こっそり息を吐く。
まだドキドキしてるよ。でも……。
頬が緩んでしまう。
朝はどうなるかと心配したのに……。
全身に感じるハグの余韻。
あぁ、夢みたいだ。これ以上を期待するなんて、贅沢だよな。
「おやすみ」
閉まったドアにそっと呟いた。