懺悔/響平
駅裏にたどり着いたけど、人がすごく多い。ロータリーも大混雑していた。光一の車が見える。車は道路脇に停まり、ハザードを焚いていた。車から降りた光一が俺を探してる。
行かないと。
そう思うのに足に力が入らない。走ってくれない。
光一は俺を見つけると、すごい勢いで走ってきてくれた。
「お待たせ。遅くなってごめん。行こう」
わずかに頷いた俺の顔を覗き込み肩を抱き寄せ、車へ誘導してくれる。ドアを開けてくれて、俺は助手席に乗り込んだ。
「……大丈夫? 頭痛いの?」
「ううん。もう、……治ってる」
光一は、ギュッと固く握り締めている俺の拳を包み込むように握った。
「冷たい……顔色も悪いし、貧血起こしてるんじゃないかな? もしかして踏切事故……目撃しちゃったの?」
光一の言葉に蘇る、女子高生のなにも見えていない瞳。
俺は無言のまま、なんとか首だけ縦に動かした。
俺は彼女を見た。わかってた。
「……そっか……ショックだよね」
光一は俺の手を包んでいた手を離し、俺の頭を慰めるように撫でた。
「響平、家に来る? あ、明日会社あるもんね? 無理か……」
「……行く」
だんだん力を失くす光一の声に返事をすると、光一はバッと俺を見た。途端に、甘い香りが俺を包み込む。その香りはとてもいい匂いで、ガチガチに強張っていた気持ちと体をゆっくりと溶かしてくれる。
「じゃ、じゃあ、行こう! なんか体があったまるもん作るよ」
「うん」
家に着くなり光一は「座ってて?」と言い、キッチンへ向かった。
ソファに座り呆然としていると、しばらくして「響平、こっちおいでよ」と俺を呼ぶ。ダイニングテーブルへ移動すると湯気のたつカップがでてきた。
「どーぞ。食欲ないかもしれないけど、スープだけでも飲んでみて? あったまるから」
「……ありがと」
目の前に置かれたカップを手に取り両手で包むと、じわりと手のひらがあったかくなって、ジンジンと熱くなっていく。卵とワカメのコンソメスープ。
「飲んで食欲が湧いたら、このパンひたして食べてみたらどうかな? スープおかわりあるからね」
テーブルにはスープと一緒に丸いバターロールが用意されていた。
「まだ食べれるなら、パスタもすぐに作れるからね」
「うん、いただきます」
スープに口をつけフーフーしてすすると、ふわりと優しい味がした。
温かいスープを体内へ送り、フーッと息を吐いた。
「光一」
「うん?」
「……ありがと」
「全然! なんにもしてないよ?」
「来てくれたし。……これも」
カップを両手でつつみ、光一を見た。
また甘い香りがして、俺はそっと目を閉じその香りを大きく吸い込んだ。
じんわり沁み込むスープと同じ。温かい。
「……うん。さっきより随分と顔色が良くなった。良かった良かった」
「うん」
光一はニコニコして、ちぎったパンを浸しパクッと口に入れた。
「ん! 美味しいよ? 響平もやってみなよ」
「うん」
光一が気を遣ってくれている。俺が元気になれるように、なんとかお腹を満たさないとって思ってるのかもしれない。
俺はパンを手に取り、同じようにスープに浸し口に入れた。
食欲なんてからっきしなかった。でも、光一の気持ちに応えたい。口に残るパンをスープで飲み込んだ。
光一に見守られながら、パンとスープを交互に食べて、お腹も心も満たされる。
やっぱり光一のそばはすごく落ち着く。
食べ終わると、勧められるまま風呂に浸かり、用意してくれた光一のパジャマを着込んでソファでただボーッとする。
みずからそう務めた。なにも考えたくはない。思い出したくもない。
俺のあとに入った光一が風呂から戻って来た。髪をタオルで拭きながら、俺の横に座る。シャンプーの匂いに混じって、また甘い香りが俺を包み込んだ。
俺を見て、そっと微笑んでくれる。でも、その目はいつもの感じじゃなくて、心配そうに少し寂しそうに揺れていた。
逃げてちゃ、ダメだよね。光一には本当のことを、言わなきゃ……。
俺は視線を上げ、少し微笑んで見せた。
大丈夫。光一がそばにいてくれる。
「光一。あのね……」
「ん?」
「俺、本当は見てない。事故」
「……え……」
「俺が見たのは……死んじゃった女子高生。死ぬ……直前の」
再び恐怖の影が俺を飲み込もうと忍び寄る。
俺は俯き、腿の上に置いていた手を重ね揉み合わせ気持ちを紛らわせた。
「すれ違ったんだ。……目が……合って……普通じゃ……なかった。……な、なかった、のに……」
声が震えて上手く話せない。光一の腕が肩に回ったと思った瞬間、両腕で優しく抱き寄せられた。甘い匂いがもっと濃くなる。その香りに慰められる。
「響平のせいじゃないよ? 響平が悪いわけじゃない。死のうとしている人間に気付いたからって止められる? 悪いけど……響平が巻き込まれなくて良かったって思うよ。冷たいかもしれないけど」
俺を包む腕の力がいっそう強くなる。
光一が憤っているのが感じられた。
「ううん。巻き込まれてるよね? こんなに怯えてさ……響平には関係ないのに……」
光一のかけてくれる言葉と香りに、喉の締め付けがやわらいでいく。
「……耳鳴りがした、あのカフェの時みたいに……。もっと早くから、わかってた。彼女が遠くにいる時から、小さく鳴り出して、……近づいてくるにつれ大きくなった。……きっと。俺、止められたんだよ……きっと」
「響平、明日、病院へ行こう。二人で。ね?」
俺の言葉を遮るように光一が言った。
「俺、響平の話を信じる。響平の頭の中できっとなにか異変が起きてる。だから、心配なんだ。一度でいい、ちゃんと脳の検査をしよう? ね? そういう症例があるんだよ。脳に腫瘍ができた途端に、違う人格が顔を出したり、特殊な能力に目覚めたり。だから、一緒に行こう?」
光一の言葉に体が縮み竦んだ。
脳? 腫瘍? 人格? やだよ。なに言ってんだよ……そんなの……怖いよ……。
俺は首をフルフルと左右に振った。でも光一の目はすごく真剣だった。心底、心配してくれている。
「なにがあっても、どんな結果が出たとしても、俺はそばにいる。それに、検査して異常が無いって分かれば、他の原因だって探せる。でしょ? なぜ耳鳴りが起こるのか。知りたくない?」
知りたいけど、知りたくない。そう思った。でも、このままじゃきっと俺は壊れる。
光一の言葉に押されるように俺はしぶしぶ頷いた。
「……わかった」