騒動と異変/光一
叫び声にびっくりして目を向けると、生垣の向こうで女性が騒いでいる。
え? なに? なんなの?
なにごとかと立ち上がると、人が倒れているのが見えた。男性だ。うつぶせのまま動かない。
「おい! 誰か! 救急車呼べ! 救急車!」
「大丈夫ですか?」
「誰か医者! 医者いない!?」
うずくまった人の周りを歩行者が囲んでいる。
「んうっ、うぅっ! ……うぅ……っ」
目の前では頭を抱えた響平が苦しんでる。俺はどうしていいか分からず、響平の肩を抱き寄せ背中を摩った。
「響平? 大丈夫?」
店の客も店員も外の騒ぎに気を取られている。遠くの方でかすかなサイレン音が聞こえたと思ったら、響平の動きが不意に止まった。
「あ……?」
拍子抜けした響平の声。
頭を抱えていた腕からも力が抜ける。
「……響平?」
「うん……止んだ」
救急車が到着し、救急隊員が降りてきた。
騒然としていたギャラリーも静かに見守る。響平も俺も周りもみんなが静かになった。
ひとりの救急隊員は心臓マッサージをしながら人工呼吸を繰り返し、もう一人の隊員がAEDの用意をしている。もう一人はストレッチャーを出した。
「離れてください」
心臓マッサージをしていた隊員も離れて、AEDが施される。それからストレッチャーに乗せられ、男性は車内へ運ばれた。
何歳くらいだろう? 六十代くらいに見える男性がチラと見えた。顔面は青ざめていて、意識があるようには見えない。隣の席に座っていたカップルのヒソヒソと話す声が聞こえてきた。
「死んじゃったみたいだな」
「えー、やだぁー……ほんとに?」
どうなんだろう。『心臓が止まって何分以内なら生存する確率が何パーセント』とかよくテレビでやってるけど……。
実際に現場に遭遇すると、見ているだけしかできなかった自分を悔やんだ。
会社でAEDの講習と一緒に、心臓マッサージの練習もしたことがあるのに。
「……ビックリしたね……って、響平もう大丈夫なの?」
響平の肩を抱き寄せていたことに気がついて、そっと手を離す。響平は怯えているようだった。顔色も悪い。
「怖かったね」
響平は口を結んだまま、ぎこちなく頷いた。
「今の人、きっと大丈夫だよ。割と早く救急車来たし……」
とても大丈夫には見えなかったけど、元気づけるために言った。でも響平は、俯いたまま納得してない様子。
「どうしたの? やっぱ頭、痛い?」
響平は目を伏せたままぎこちなく首を振った。
「……帰ろうか?」
響平は頷き。素直に立ち上がった。
黙りこくる背中を支えながら、会計を済ませ店を出る。車に乗り込みながら、響平をチラッと見た。
すっかり元気がなくなってしまった。まだ頭痛がするのか、さっきの出来事がよっぽどショックだったのか……。
心ここにあらず、という雰囲気。俺が隣にいることも忘れてしまっているみたいだ。
無言の響平を乗せ、車は最初に出会ったドラッグストアに近付いた。
「家、この辺?」
「うん。二つ目の角を右に行ったとこのアパート」
「じゃあ送るよ」
言葉を発した響平にホッとする。案内されるがまま響平のアパートへ到着した。
せっかく会えて、楽しかったのに。最後にとんでもない場面を目撃してしまった。残念に思いながら、助手席の響平を見る。きっとドアを開けてサッサと降りてしまうのだろう。
「到着したよ」
「うん。ありがと」
「響平、あの、また……連絡……していい?」
次に繋げたくて、勇気を振り絞り話しかけた。すると響平が、ハンドルを握ってる俺の腕をギュッと掴んだ。
「……帰っちゃうの?」
「え?」
「このまま、帰る?」
不安そうな上目遣い。
予想外の展開に目をぱちくりさせながら答えた。
「いや……用事ないから、全然大丈夫だけど……上がっていいの?」
響平は視線を落としコクリと頷いた。
元気の無い様子は変わらない。というか……なにかに怯えているように見える。だから、俺に帰るなと? でも、なんで? どうして急に?
戸惑いつつ、笑顔を作った。
「うん。じゃあ、上がる」
車を近くのパーキングに停め、響平のあとに続いてアパートの階段を上がる。響平の様子は心配だけど、ちょっとだけワクワクしている自分がいる。
「どうぞ」
「お邪魔します」
響平は俺を部屋に上げると、すぐにドアの鍵を掛けた。チェーンもする。
普通の、至極当たり前の動作ではあるのだけれど、俺には響平が異常なほど怯えてるように見えた。
玄関から部屋の全貌が見れる。冷蔵庫にベッドと、服の入った引き出しタイプのクリアーボックス。スーツの掛かったポール。正方形のローテーブルが一つ。角にテレビ。飾り気のない部屋。
隣にもう一部屋あるが、寝室なんだろう。
「へー……意外にさっぱりした感じなんだな」
殺風景だけど、決して居心地は悪くなかった。キチンと生活している空気が感じられる。響平がグラスにペットボトルのお茶を注ぎローテーブルへ置いた。
「座りなよ」
「あ、うん。ありがとう」
小さなローテーブルの前に座ると、なぜか響平が俺のすぐ隣に腰を下ろす。ドキッとした。
なんだろ……。
自分の部屋なのに、響平はまるで、借りてきた猫みたいに小さくなっている。「帰るのか?」なんて引き止めたくせに、静かに考え込んでいる様子にも違和感を覚えた。
近すぎる。触れてないのに、響平の体温を感じとれそうだし、俺がドキドキしているのがバレてしまいそうだ。
喉が引っかかる。口の中の水分がどんどん奪われていく。
俺はグラスを持ち、お茶をゆっくりと喉に流し込んだ。
「……あの人、大丈夫じゃないよ」
突然俯いた響平がポツリと言った。
「へ? ……え、さっきの男性のこと?」
「うん。わかるんだ」
「なにが、わかるの?」
「亡くなってる……」
まさかの発言にポカンとした。
え、響平って……霊感とかそういうの強かったっけ?
「え、なんで? なんで? なんか見えたの?」
「ううん。なんでかもわからないけど。そんな気がする」
「気がする? ……だけ?」
「…………」
響平は自分で自分をギュッと抱きしめた。さらに小さくなる響平の肩に腕を回して軽く揺すった。
「あんなの目の前で見ちゃって動揺したんだよな。分かるよ。俺もビックリしたもん。会社でAEDの使い方も、心臓マッサージしながら人工呼吸もちゃんと講習受けていたのに。なんにもできなかった……」
俺の言葉に、響平はプルプルと首を振るばかりだ。
まただ、酷く怯えてる。
響平は自分を抱えていた腕を離し、口の前で両手を包むように重ね擦った。震えるのを我慢してるみたい。
見守っていると響平が呟いた。
「お……俺の……っせいだ……」
「え?」
「……死んじゃったの」
「へ? いやいやいや……響平のせいじゃないし。関係ないじゃん。なんでそう思うの?」
「耳鳴り……が、止んだ……それまでは、ちゃんと生きてたのに。俺の、俺が……」
俺なりに響平の言ってることをなんとか理解しようと頭を回したけど、結局なにを言ってるのかさっぱり分からない。
「え、ちょっと待って。整理しよう。響平は耳鳴りがしたんだね? キーンみたいな音?」
ガクガクと震えながら頷く。
「そしたら、だよね? 俺も覚えてるよ。響平が耳を塞いですぐに、悲鳴が聞こえた……」
中庭の外を見たら誰か倒れていて、響平も具合悪そうだった。
んー……て事は? 耳鳴り……耳鳴り……耳……。
俺は高校や、大学で受けたある授業の内容を思い出した。
「それさ……共鳴したってことじゃないの?」
響平は俯いていた目を俺へ向けた。訝しむ顔。
「……共鳴?」
「共鳴って授業で習ったの……覚えてない? 物理の授業だったと思う」
「言葉は知ってる。でも……なんで?」
「共鳴と同じ意味で、共振ってあるのも覚えてる?」
「うん」
「何が原因かは分からないけど、響平は今日、朝から体調が悪かった。そういう時って、例えばさ、風邪みたいなもんで、免疫力が下がってると風邪ひろったりするでしょ?」
「…………」
響平は黙って俺を見つめていた。話を聞いてくれるらしい。
「いつもはそんなこと起こらないのに、響平はたまたま、なんていうかな……あの男性の……例えば死期が近いって感じてしまった。とか?」
「……共振で?」
「共振みたいなもんなのかなって思ったの。今日の響平の様子を思い出して。それに、人ってたまに不思議なこと起きるよね? 虫の知らせとかさ、夜中眠っていて、地震がくる直前に目を覚ますとか……あるよね?」
「うん……」
「たまたま、前触れみたいなモノを響平は感じて、それが耳鳴りだった。とにかく結論を言えば、あれは響平のせいじゃないってこと!」
俺を見つめたまま、響平は自信なさげに「うん」と頷いた。俺は肩をグイと引き寄せて、バンバンと響平の肩を手のひらで叩いた。
どう考えたって響平の発想はおかしい。
「響平はたまたま、感じてしまっただけ」
「…………」
響平は無言で、甘えるみたいに俺の肩へ頭をくっつけた。
頼ってくれて、こんな時だけどちょっと嬉しい。
「もっと単純に疲れのピークかもよ? 偏頭痛ひどいし」
「……うん」
弱ってる響平は俺をドキドキさせる。励ましてあげなきゃいけないのに。言葉がまとまらない。
「ショックはショックだよね。だから神経過敏になってるんだよ。あんまり考えない方がいい。きっとたまたまだし……」
「……うん……」
響平はようやく小さく頷くと、口元を緩めた。
ちょっと落ち着けた様子だ。
「もう、こんなことは起きないよ」
「そうだね」
「もしまた怖い思いをしたらすぐ連絡してね? 飛んでいくから」
「うん。ありがと」
「絶対だよ? 意外に近くに住んでるのも分かったし。連絡してくれたら本当に駆けつけるから」
「うん」
響平はもたれていた体を起こし、俺を見つめてそっと微笑んだ。儚くて、吸い込まれそうな笑顔だった。
本日の更新はここまでになります。