再会/響平
「……んぅ……」
次に目が覚めたのは四時間後の十時だった。
目が覚めた時はそうでもなかったのに、体を起こすと、またこめかみにうっすらと鈍い痛みを感じた。
「うー。マジかよ」
もう家に鎮痛剤はない。幸い、痛みはまだ軽い。店もそろそろ開店している頃だ。今のうちに買いに行かなきゃ……。薬さえあればまた眠れるかもしれない。あとは安静にして月曜にはまた仕事に行けるだろう。
体をそっと起こし、着替えてアパートを出た。
一番近い薬局まで徒歩で十五分。
駅に向かう途中にある薬局。毎日通っている道だ。もうすぐ小さな公園が見えてくる。立派な桜並木で囲まれた敷地。今の時期はちょうど蕾が膨らみ、ちらほらと小さな花が顔を覗かせている。そんな春を感じるのどかな風景は俺のお気に入りなんだけど、今は桜を見上げ楽しむ気分には到底なれない。頭を支えながら歩いていると前方から早足でやってきた男性を避けきれず肩がぶつかってしまった。
「あ、すみません」
うっ……
鼻を突く激臭に、つい握った拳で鼻と口を塞ぐ。
男性は顔のほとんどを覆うような大きなマスクをしてメガネをかけていた。こちらの動揺に気づくことなく、目を伏せたまま曖昧に頭を下げ通り過ぎる。
すごい悪臭なのに、自覚がないのだろうか?
身なりはきっちりとしているのに、もう何か月も何年も風呂に入っていないと思う程とんでもない臭い。思わず露骨な反応をしてしまった。気付かれたら怒鳴られてもおかしくないところだった。
恐る恐る振り返ったけど、男の姿はもうない。なのに微かに臭いが残ってる。
高級そうなスーツ姿だった。なのに、あんな臭いがするなんてありえる? 自分の匂いには案外気付かない、なんてレベルじゃなかった。まるで腐った生ゴミみたいな匂い。
もしかして、公園に動物の死骸があってそれがたまたま風に乗って来ただけなのか?
遠くからけたたましいパトカーと救急車のサイレンが次々に聞こえてきた。その賑やかな音に目を向ける。公園の向こうの大通りを走るパトカー。二、三台。そのうしろから救急車と消防車。周りの歩行者もみんな振り向く。
ふと、今朝のニュースを思い出す。
「……いやだなぁ」
鈍い痛みが強くなった気がする。ズキズキとは別の、眩暈のような感覚にも襲われた。熱が出るまえの悪寒はない。風邪じゃないと思う。じゃあこれはいったいなんの痛みなのか。こんな体調不良は初めてだ。
やっと薬局の看板が見えてきた。もうちょっとだ。
歩いてると、また前から来た人にぶつかりそうになった。奇異の目で見られる。
「すみませ……」
平衡感覚までおかしくなっているらしい。自分ではまっすぐ歩いているつもりなのに。
ドラッグストアの駐車場にはたくさんの車が停まっていた。店の自動ドアが開き、山積みの商品を乗せたカートが出てくる。避けたつもりだったけど体は動いていなかった。腰にカートがガンと当たり、俺はそのカートにガシャンと手を突いてしまった。荷崩れを起こし、カートから落ちるトイレットペーパー。その向こうにギョッとした男性の顔と慌てた声。
「あっ! すみません! 大丈夫ですか?」
「……ごめん、なさい」
「えっ……響平?」
名前を呼ばれ男に目を向けた。苗字じゃなく突然ファーストネームで呼んできた男は、目をまん丸にして、口をポカンと開けたまま、俺を見ている。それはよく知った顔だった。
くっきりとしたパーツに、やたらと整った顔立ち。柔らかな黒髪、切れ長の涼しげな目元。高く通った鼻。ふっくらとした艶のある唇。一個一個のパーツが全て正解な場所に収まったイケメン過ぎる顔。見間違えるはずもない。
驚いていた男の顔が、歓喜に満ちるように輝く。
「……久しぶり? 光一だよ?」
瞬間、ブワッと甘い匂いが広がった。シュークリームとか、お菓子系の甘い香り。匂いのせいか、それとも思いがけない再会に驚いたせいか、ずっと続いていた頭痛がふわっと和らぐ。
「……コウイチ?」
信じられない。六年間ずっと避け続けてきたのに、まさかこんなところで再会するなんて。
間宮光一は高校時代の友達で、もうずっと会っていない、俺の親友だった男……。
「本当に響平だ。全然変わってないからすぐに分かったよ! こんなところで会えるなんて……」
嬉しそうに口元を綻ばせ、高ぶった声を出していた光一が言葉を切る。カートに手を突いたままの俺を見て、歓喜の表情はみるみる輝きを失い、心配そうに曇っていく。
「響平……どっか、具合悪いの? 顔色が良くないよ」
最悪だ。こんな状態で再会してしまうなんて……。
「あ、うん、朝から頭が痛くて、薬買いに来た」
なんだそれ、なに普通に話してんだ俺。そんな立場じゃないだろ。もっと言わないといけないことあるだろっ!
「鎮痛剤? 俺、持ってるよ。あ、いつも決まったやつなの?」
「……特に決まってない……」
「ああ、じゃあ。ちょっと待って」
光一はポケットからキーを出すと、駐車場の入口近くに停まっていたシルバーの車にかざした。ピッて電子音とロックが外れる音。光一が助手席のドアを開ける。
「立ってるのも辛そうじゃん。乗りなよ。今、薬出すから」
「……う、うん。ありがとう」
光一は変わらない。変わらずお人好し。あんなことをした俺に昔と変わらず優しくしてくれる。後ろめたさが頭痛に拍車をかける。どんな顔をしていいのか分からなくて俯いていると、背中に温もりを感じた。その温もりがそっと背中をさすってくれる。
「大丈夫?」
「うん」
光一に支えられながら助手席に乗り込む。光一は後部座席のドアを開け、カートいっぱいの大荷物をドカドカ入れると、今買ってきたばかりの袋からミネラルウォーターを手に運転席へ乗り込んできた。俺にペットボトルを寄越し、右手を開く。その中には白い錠剤が一錠。
「これ、一錠でいいし眠くならないから、運転も出来るしいいよ。飲んでみなよ」
「ありがと」
再会を懐かしむ余裕もなく、俺は光一から受け取った錠剤を飲み込んだ。
「……ごめん、ちょっと休ませてもらってもいい?」
「うんうん。もちろん。効き目も早いし、ラクになったらいいけどなぁ。あ、シート倒しなよ」
「うん」
光一は俺が寄りかかっているシートをゆっくりと倒した。車内は絶えず甘くいい匂いが充満している。香水かなにかつけているのだろうか? 落ち着く香り。さっきもらった薬、効き目が早いとは言ってたけど、もう痛みが緩和し始めている。ぼんやり考えているうちに、何か話している光一の声がだんだん小さく遠退いていった。
◆ ◆ ◆
トントンと肩に軽い刺激を受け目が覚める。
「響平? 大丈夫?」
見慣れない景色に辺りを見回し、隣の人影にぼんやりとした焦点を合わせる。光一がゆっくり微笑んだ。
あぁ、そうか。薬局で光一と再会したんだっけ。
ゆっくりシートから起きあがろうとすると、何かに阻まれた。
「えっ……」
「あ、ちょっと待ってね」
なに? って思っていると、いつの間にか掛かっていたシートベルトを光一が丁寧に外してくれる。
「はい、どうぞ」
「あぁ、ありがとう」
なんとなくバツが悪くて、窓の外を見ればどこかの地下駐車場だった。
「ここ、俺の住んでるマンションの駐車場だよ。それより、頭痛はどう?」
「あぁ……うん。ちょっとボーッとした感じは残ってるけど、痛みは大丈夫そう。光ちゃんの言った通り、この薬よく効くんだね」
光一の顔がパッと輝いて、ハッと気がつく。うっかり昔の呼び名で呼んでしまった。まずいと思ったけれど、嬉しそうな光一の表情につい苦笑いが零れてしまう。
光一はいつもそうだった。喜怒哀楽がストレートで、感情が全部だだもれでわかりやすい。
「そっか。良かった! んで……響平、その、予定とか、ないなら上がっていかない? 久しぶりだしさ。ゆっくり話したいなって……この薬で良かったらさ、箱ごとあげるし。新品のやつ」
本日の更新はここまでとなります。
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