悪夢/響平
月光の下。大きな木にもたれ、絡み合うシルエット。ひそやかな吐息。甘さを帯びた微かな笑い声。唇が触れ合うたびに濡れた音がする。
トクントクンと高鳴る心臓。誘われるような気持ちで息を飲み目を凝らせば、暗闇の中の人影が徐々に見えてくる。
恋人たちはふたりとも男だった。ギョッとした俺は無意識に後ずさりしていた。トンと誰かにぶつかる。振り返るなり背後の誰かが俺の顎を掴む。
────なんで逃げるんだよ
顔のない男は俺を羽交い絞めにし、耳元で囁いた。
シタカッタンダロ?
違う! 違うんだ!
俺は闇雲に暴れ、その腕から逃げ出した。草むらに倒れ、四つん這いになり、地面を蹴って一目散に走り出す。
キョウヘイ? マッテ、キョウヘイ……
違う、違う!
あいつの声が聞こえた。戸惑うような、悲しんでいるような。俺は耳を塞ぎ、月光の下をひたすら走る。必死に走って走って走って、なのに進まない。足が重い。鉛のようだ。足元には得体の知れない真っ黒な水たまり。
なんだこれ。公園になんでこんなものが。
くるぶしまでタールのような液体に浸かっている。足が上がらない。もがけばもがくほどズブズブと沈んでいく。
誰か助けて。誰か────────
手を伸ばした先に触れた布を掴み引っ張るのと同時に、勢いよく目を開く。
「っは、はっ……」
体を起こすとベージュの遮光カーテンの隙間から一筋の朝日が差し込んでいた。
またか……。
六年経った今でも、見る悪夢。
同じ悪夢ならいっそ、殺人犯に追われる夢の方がまだましだ。目が覚めればきれいさっぱり、そこで終わるのだから。
重い体を起こし、時間を確認すると土曜だというのに六時に目が覚めてしまった。
「悪夢で起こされるとか、マジで最悪」
ローテーブルの上に無造作に散らばる郵便物へ目を向ける。
原因は紛れもなくあれのせいだ。
高校の同窓会への案内状。
今までも小規模な同窓会の誘いはいくつかあったけれど、全て断ってきた。
先のことなんて何も考えてなかった。ただひたすらはしゃいで、バカをやっていたあの頃を思い出す。いつだって懐かしく思うのと同時に、胸の奥がしくしくと痛む。どうしたってあいつの無邪気な笑顔が浮かんでくるから。
間宮光一。
高校の三年間、俺の隣にはいつもあいつがいて、それが当たり前で……最高の友達だったのに。もう、長いこと会っていない。正確に言えば、あの夜からずっと……。
彼はこの同窓会に参加するらしい。高校を卒業し、国立大学の富山に行った光一。その後のことはたまたま友達から聞けた情報のみ。俺も同窓会は全部不参加を決めているから、実際のところは何も分からない。電話では「六年ぶりに全員集合」と聞いたけれど、光一は今までの同窓会にも参加したことがあったんだろうか。それとも、今回が初めて?
なんて、そんなことを考えてもどうしようもない。俺は行かないんだ。光一が参加していたとしても、今回が初めてだったとしても何も変わりはしないのだから。
案内状を手に取り、無意味な期待ごとグシャリと握りつぶした瞬間だった。
「っ……」
目の奥にツキンと強い痛みが走る。
「……ったー……」
パチパチとまばたきし、目頭を指先で押さえる。
鋭い痛みは一瞬だった。
おそるおそる首を左右に動かしてみたけれど異常はない。
眼精疲労だろうか? まさか血管が切れたとか……ないよね?
怖い想像を忘れようとテレビの電源を入れた。
『……昨日の午後四時ごろ、世田谷区祖師川四丁目の川中清二さんの自宅で男女の遺体が発見されました。連絡がとれないことを不審に思った親族が家を訪ね、折り重なるように倒れていた、この家に住む清二さんと千代子さんを発見したということです。遺体は死後数日経っているとのことで……』
また酷い事件が起きたようだ。
たとえ夢の話であったにせよ、己の不適切な思考に後悔した。
テレビ画面の中には、上空からの映像が流れていた。どこにでもある一軒家がブルーシートに覆われ、大勢の捜査員が出入りしている。車両も多い。やたら警察官が多いのは、それだけ残虐な現場ということなんだろうか。
情報によれば、ふたつの遺体はリビングにあり、両方とも無数の刺し傷が確認されているらしい。強盗殺人として捜査を始めているとのことだった。
現場から画面が切り替わる。
朝の情報番組に似つかわしくない、神妙な面持ちのメインキャスターが口を開いた。
『最近、こういった事件が多くないですか?』
『はい。先月も似たような事件がありましたね。犯人も捕まっていません』
『奥さんが旦那さんをかばうように折り重なっていたなんて、いたたまれませんね』
『本当に残虐な事件です。被害者のご冥福をお祈りいたします』
いたましい事件。人生いつなんどき被害者になるかわからない……。
いつの間にか手から落ち、床に転がっている潰れた招待状を見下ろす。
加害者にも……か……。
あんな夢を見るのも、光一を置いてひとりで逃げたことを悔やんでいるからだ。それだけ。それだけに決まってる。俺は別に……。
ああ、また考えてる。こんなものがあるからだ。
招待状をゴミ箱へ投げ捨てる。
「うっ!」
またズキンと頭に痛みが走った。しかも今度はズキズキが止まらない。頭を押えながら薬を飲もうと戸棚を開けた。鎮痛剤の箱の中身はラスト二錠。こめかみで疼く痛みに顔をしかめながら、助かったと水で薬を流し込んだ。
なんとかソファまで辿り着き、倒れるように転がる。
「……うぅ」
目を瞑り、痛みが引くことを念じながら静かに蹲った。
テレビ番組はとっくに内容が変わり、明るく賑やかなBGMが流れている。楽しそうな声と笑い声。痛みで内容なんか入ってこない。騒々しさにイライラする。でもリモコンへ手を伸ばす余力すらなかった。しばらくすると薬のおかげか少しだけ痛みが引いてきた。
今日は土曜で助かった。このまま眠ってしまおう。
本日22時頃、三話目更新します。
お楽しみに!