オネェさん/響平
この店に飛び込んだ事情を話すと、神妙な表情で聞いていたオネェさんが嬉々として背筋を伸ばす。
「なによぉ、そんなことなら早く言いなさいよお! いいわぁ、あたしに任せなさい!」
パッと俺の手を取り、張り切って店の奥へと連れて行く。
「これに着替えましょ! スーツじゃバレちゃう! カツラも貸してあげる!」
オネェさんが貸してくれた服はワンピースだった。カツラは茶髪のサラサラロングヘア。
じょ、女装……!?
確かにこれなら俺だとは思わないだろうけど……。
頬を引き攣らせる俺に構うことなく、一気にコトが運ばれていく。鞄を取られ、上着を脱がされ、あれよあれよと言う間に変身。オネェさんはテキパキと動き、俺に悩む余裕すら与えてくれない。
「靴もミュールも貸してあげる。脱いだ服はこの袋に入れて!」
急き立てるようにスラックスを脱ぐと、オネェさんの動きが止まった。
「お兄さん足、綺麗ねぇ〜。ストッキング履かなくても大丈夫かしら? でも念の為に履いた方がいいわね」
い、いったい……なんの念のため……?
ワンピースに着替え終わると、オネェさんのテンションがグンと跳ねあがった。
「まあーー! いい男は何しても似合うわね! ほら、ここ座りなさい!」
「や、あの……えっ?」
すごい力でグイと肩を押し下げられ、無理やり鏡台前の椅子に座らされた。
「服だけじゃ違和感あるから!」
「や、外暗いし、ウプっ!」
俺の言葉はスルーされ顔に何かを塗り込まれる。その次にファンデーション。顔中パフパフされて、なにか言おうものなら、ちょっと粉の味がした。
「お肌ツルツル〜。次はチークね? それと、ほらグロスで! ちょっと目閉じてライナー引くから! ほらぁ〜見てよ! どんだけぇ~」
こっちがどんだけぇ~~~だっつーの!
もうされるがままで身を委ねていると、オネェさんが俺の前から退いた。大きな体で隠れていた鏡が映し出した姿にギョッとする。眉毛がカツラの前髪で隠れて、ツヤツヤぷるんになった唇。顔の輪郭と眉毛がロングヘアーのかつらで隠れた俺は本当に女の子みたいだった。自分の目を疑ってしまうデキだ。
……アリかも。
オネェさんも十分に俺をいじくり倒し大満足という感じで、お店の従業員専用の裏口を案内してくれた。それにしても足はスースーするし、ピチピチと締め付けられるわ、つま先立ちで歩き辛いわ。女の人って大変だな。
裏口の前まで来て、オネェさんが俺の背中をポンポンと叩き、背筋を伸ばせと言ってきた。両肩を掴み、肩甲骨をグッと後ろへ寄せる。背筋が伸びた俺を見……俺の胸を見て「うーん」なんて唸ってる。
「オッパイ無いのはしょうがないか。袋を両手で抱えたら? そうしたら貧乳もバレないわよ。それともブラジャーをつける? 中に詰め物してあげるわ」
俺は丁重にお断りして、胸の前で袋を抱えた。オネェさんにヘコヘコと頭を下げて外へ出る。人影とバイクがないことを確認し、すぐに光ちゃんへ連絡した。
「あ、光ちゃん? お店を出たよ」
『今どこ?』
「駅から俺のマンションまでの通りの一本裏側の通り。お店の裏側」
『裏ね。すぐ行く。そこで待ってて』
「うん」
通話を終え、不自然にならないように辺りに探りを入れる。ひとりきりで裏道にいるのはとても心もとない。
格好もこんなだし……。変装したのはいいけど、アイツらが近寄ってきたらこの靴じゃ走れないぞ。
不安に身を強ばらせ、光ちゃん早く来て! と念じながら携帯を握っていると、車のライトが近づいてきた。
身の毛が逆立つ感覚。お店の方へあとずさる。
あれは光ちゃんの車じゃない。
車はスピードを落として俺の前を通り過ぎ、キュッと停まって、バックしてきた。
やばっ! アイツら?
慌ててお店のドアノブに手をかけようとした時、助手席側の窓が下がった。
「……響平?」
ハッ!
顔は見えないけど、聞こえたのは光ちゃんの声だった。
「こう……ちゃん?」
「乗って!」
光ちゃんが助手席側のドアを内側から開けてくれた。俺は勢いよく車に乗り込みドアを閉めた。車が走り出し、ふーっと肩で息をついた。
「あー、ビックリした……。アイツらの車かと思っちゃったよ」
「俺もビックリだわ……」
ぼそっと呟く光ちゃんに顔を向けると、光ちゃんは車内の暗闇の中でも分かる程、目をまん丸にしていた。
「ああ……だよね……」
俺はロングヘアーの髪を指先で摘んで、苦笑いした。
「店のママさんが、オネェの人でさ。事情を話したら変装させられちゃって」
「へ~……オネェ……さんのやってる店だったんだ」
信号が赤に変わり停車すると、光ちゃんがハンドルに両腕を置いて前にグイと体を倒し、俺の顔を覗き込んできた。
「……普通に可愛いね」
そう言った途端、甘い香りがフワリと鼻先をくすぐる。
こ……これは……。
今度は俺の目が開いていく。今の感想が光ちゃんの本音だというのは匂いでわかった。確かに俺もアリとは思ったけど、光ちゃんに言われるのとでは全然意味が違って聞こえる。
車内、……暑くね? クーラー入れてもいいかなぁ?
光ちゃんは興味津々って感じに左手を伸ばして、俺の唇をツンツンと触った。
「すごい。ちゃんとメイクしてる」
「ちがっ! されたんだよ!」
「あははは。完璧に女の子に見えるよ? 違和感が全然無い。強いていえばちょっと背が高くて、それに……胸がまな板ってところがアレだけど。スレンダーボディの子も結構好きだぜ?」
「あのねぇ……ったく、そんなことはどうでもいいんだよ。それより、俺の家バレてるかも。アイツらに」
俺は目線で信号が変わったのを促し、本来すべき話題へと切り替える。光ちゃんは姿勢を戻し、車を走らせた。
「なんでバレたと思うの?」
「昨日の帰りに男とすれ違ったんだ。この間、逃がしたひったくりと同じ匂いがして振り返ったら、男も俺を見てて、慌てて逃げ帰ったんだけど……。もちろん警戒はしてたんだよ? 姿はなかったけど、匂いがずっと残ってた」
「……響平はスーパーのひったくりも目撃してるよね? あれも同じ奴なら……」
「うん」
光ちゃんは眉をひそめた。
「明らかに響平を狙ってだし……跡を付けられたのかもしれない。俺も車を借りてきて正解だったな。あ、これレンタカー。響平を迎えに行くのに車バレるとまずいかと思って」
「さすが光ちゃん」
「響平、自分の服は? 持ってる?」
「うん。ココに」
足元の紙袋をちょっと持ち上げて見せる。
「良かった。着替えて警察へ行こう。ひったくり犯を目撃したことで、そいつらから命を狙われたって届け出しに行こう。それに響平は男の顔も見てるんだろ? 警察で似顔絵作るのに協力してくれって言われるかもだし」
「そうだね、化粧も落とさなきゃ」
「残念だけど」
「コラコラ」
駅裏の駐車場でレンタカーから降り、光ちゃんの車に先に乗った。光ちゃんが駅前のレンタカー屋へ車を返しに行ってる間に、着替えを済ませる。光ちゃんはついでに、コンビニへ寄り、メイクが落とせるウエットティッシュみたいなのを買ってきてくれた。
「お疲れ様だったね」
「うん、光ちゃんも。ありがとうね。お疲れ様」
警察へ行き『相談』という名目で話をすると、最近相次いで起こっているひったくり犯との関連性を警察も認めてくれた。人相や体格など、犯人の特徴を細かく聞かれ、モンタージュを作る際には協力して欲しいと依頼された。
光ちゃんは「命を狙われているかもしれない」と訴えてくれたけど、そこはあんまり響いてないみたいだった。ただ一人で夜歩くのは避けたほうがいいかもしれない、とは言われた。
「一人で出歩くなって言われてもなぁ……。会社だってあるし」
車の中で警察との会話を思い返し、流れる景色を見ながらついボヤいてしまう。すると、ずっと黙って運転していた光ちゃんが、突然真剣な声を出した。
「響平……当分さ、俺の家に住まない?」
「えっ」
嬉しいけど……そこまで甘えちゃっていいんだろうか……。
「でも、光ちゃんにまで迷惑をかけちゃうかもしれないよ……」
光ちゃんの手がいきなり、俺の右手を掴む。
「迷惑なんて、一度も思ったことないよ。それに心配で仕事に行けなくなる。お願いだから、俺の家で様子をみよう。犯人が捕まれば大丈夫なんだし」
掴まれた手を見て光ちゃんを見た。光ちゃんの手は強く俺の手を握ってくれる。その熱に気持ちがほぐされる。
俺は光ちゃんをまっすぐ見て、微笑み頷いた。
「うん。ありがと」