目覚めた朝/響平
次に意識が戻ったのは、瞼の向こう側の明るく温かい光のせいだった。
あぁ、朝かな? 日の光? 気持ちいい。あったかくて、平和だ……。なんにも怖いことのない世界……。
だんだん意識がハッキリとしてきて、俺は心地よく自然と目が覚めた。
でも、もう少し、このまま穏やかな眠りの世界にいたいのに。
うっすら目を開くと、視界は暗く遮られている。
あれ? あの日の光は?
違和感を感じながら視線を上げていくと、顎。口。長いまつ毛……光ちゃんの顔があった。
おわっ!
認識した俺の体がビクッと動く。
「……ん……」
光ちゃんの濃くて長いまつ毛が震えた。
ゆるく回された腕がゆっくりと俺を締め上げる。
え、え、えっ……ええええ?
グググと引き寄せられ、どんどん光ちゃんに密着していく。
ワタワタと気ばっかり焦って、起き抜けの体は動かない。さらに腕の中へと納められてしまい、光ちゃんの口が俺のおでこに当たった。
「……ん、いいにおい……」
夢を見てるのか楽しそうな声色の寝言が聞こえた。
ガッチンガッチンに固まっていると、光ちゃんの顔がだんだん下がってくる。
お、おいおいおいおい!
ひえええーと顔をそむけたら、綺麗な鼻筋の先が目尻から耳へと伝い降りてくる。
うわぁぁ……。
光ちゃんが「いい匂い」の元を探すワンコみたいに、俺の耳の裏に鼻を当てクンクンしてくる。
ほのかなバニラの香りに包まれながら、背筋がクッと震えた。
悪寒なんかじゃなくて、もっと官能的な感じ……。
「……いいにおい……する……」
……光ちゃんのがよっぽどいい匂いしてるのにっ!
「んふふふ~……」
光ちゃんのおっとりした笑い声が、耳のすぐそばで聞こえる。息を飲んでいると、光ちゃんの鼻先が耳の裏に擦りつけられる。
うぅぅ、くすぐったいっ……
ふるふると感触にひたすら耐えている時だった。
ひゃうっっっ!
光ちゃんはあろうことか、俺の耳にハムッと齧り付いた。美味しいお菓子でも食べる夢を見ているのか、ハムハムしながらも、温かくてやわらかいそんでもって潤ってる肉厚が俺の耳にぺとぺととあたる。俺は完全にパニックで、声もなく口がパカッと開いたまま。
完全に息が止まる。
ジュワァァと頬が熱くなっていく。
光ちゃんは歯は立てず、ソフトクリームでも食べるみたいに唇だけでハムハムしてる。
な、な、な、なにが起こってんだよぉぉぉ……!
柔らかくてあったかい生き物が耳の中へ入ってきて、ギョッとする。
やばいやばいやばいやばい! このままでは非常にヤバい!
慌てて光ちゃんの胸をバシバシ叩いた。
ちょっ、光ちゃん! 起きてっ!
「んむう……?」
光ちゃんの口がやっと耳から離れた。
ゆっくり上がる顔。なのに腕は全然緩む気配がない。
「ん、んん~」
光ちゃんは俺を捕まえたままゴロンと仰向けになった。くるんと体が持ち上がる。
え! わわっ?
仰向けになった光ちゃんの上に乗せられてしまった。
この体勢って……ええええっっっ…………
「……おはよ……」
光ちゃんが目を閉じたままボソッと言った。まだ半分眠ってるみたい。
「お……おは……よ」
一応挨拶を返したら、光ちゃんの瞼がゆっくり開き、天井を見て、俺を見た。
「……重いと思ったら……すごい寝相だね……響平」
そう言いながら腕をダランと離す。
嘘だろぉーーーーーーーーーー!
「いや……ないない。俺じゃない! 今、光ちゃんがグルンてっ」
「いいよ。響平くらいなら潰れないから……」
はあぁぁぁ!?
全く噛み合わない会話。でも俺の心臓はドキドキ鳴りっぱなし。とりあえず上から退かせていただいて、光ちゃんの横にあぐらをかいた。光ちゃんは「うーん」と伸びをしてまたゴロンとうつ伏せになる。
「あのぉー、そういうことでは、なくてですね……」
「……あー……なんかスゲーいい夢見てた気がする……」
ふざけんなよっ! なんなのよ一体っ!
抗議する声は心の中だけだった。なぜか光ちゃんに言えない。
なんて言ったらいいのかわからない。俺のドキドキを返せ! なんて言えるわけもないし。
「……歯磨きしてくる」
「んー……」
もう逃げるしかない。
夢の中にいた相手に言っても無駄だしね……。
そろりとベッドから降り、一目散に洗面所へ駆け込んだ。
トイレを済ませ、洗顔をして気持ちを切り替えた。スッキリして戻って来た俺の目に飛び込んできたのは、ベランダでラジオ体操をしている男の姿。お口あんぐりでポカンとその光景を眺めてると、ラジオ体操第一をちゃんと最後までこなした光ちゃんが部屋へ入ってくる。
「爽やかな朝だなー。あったかいなー。なんて思ったらもう昼だね」
「は……はぁ……」
「よし! 街に行こうか? ランチしがてら防犯パトロールしよう」
とても機嫌のいい光ちゃんに呆気に取られるばかりだった。
それからふたりして街でランチして、見回りがてら周辺をぶらつく。でも、結局またまた散歩していただけ。でも初日のようにガッカリ感は全くなかった。見回りだけど、普通にお喋りしながら風景を楽しんでいた。いいお天気だしね。
楽しい時間を過ごしながらふと気付く。
これじゃ、ただのデートだな。ん? デート? いやいや、デートではない。多分……。
目的をすっかり忘れてる自分に呆れながら、それでもいいかと思ってる。そんな自分に戸惑いながら、一日を終えた。