ヒーローになれるかも/響平
突如、目覚めた力が怖くて仕方がなかった。
自分でどうすることもできないまま、まるで呼び寄せているかのように周りで起こる死。
世界中どこかしらで、誰かが死んでる。死ぬということは本来決して珍しいことではないのだろうけど、一人の人間の一生だけで見ればそれはやっぱり珍しいことのはずなんだ。
よりによって、死に際を察知できる力が芽生えた途端、立て続けに二件も出くわすことないじゃないか。そして、その事実は病院で決定打となった。
俺はこの先、耳鳴りと頭痛と人の死を見つめながら生きて行かなきゃならないのかと悲嘆と絶望に暮れた。
でも、海沿いの公園で交通事故から兄弟を救えた出来事が、そんな俺に明るい未来を提示してくれた。
この力はただの災いではなく、もしかすると尊い力なんじゃないかと。
それもこれも、光ちゃんがいてくれたからだ。
光ちゃんが病院へ行こうと言わなければ、付き添ってくれなければ、俺は決して自分から病院へ行くようなことはしなかっただろう。少し考えれば容易にわかる。病院は死に一番近い場所なんだから。でも、あっちこっちしらみつぶしに検査を受け、災いに直面することで、頭痛や耳鳴りの原因を俺たちは認識できた。
それに、光ちゃんが海へ連れて行ってくれなければ、この力の本当の意味にも気づけなかったと思う。
光ちゃんがいてくれて、再び出会えてよかった。
もう会えないって思っていたのに。神様のくれたこの再会を俺はこんどこそ大事にしないと。
もう絶対に、光ちゃんを裏切ったりしない。
数日後、神様はまた俺に新たな転機を与えた。
金曜日の夕方、俺は仕事帰りにスーパーへ寄った。冷蔵庫が空っぽだったし、朝食用のパンもなくなってしまったからだ。
六時半頃だった。駐輪場の前を通った時、異様な匂いを感じた。
なにかが腐ったようなイヤな匂い。チラッと匂いの方を見ると、若い男が駐輪場の隅っこで携帯を触っていた。黒いジャージにグレーのマスク。これといって、汚れているようにも見えない。どこにでもいる普通の外見。
でも……。
どことなく嫌な予感を感じつつスーパーの入口へ向かうと、ちょうど買い物を終えた中年の女性が出てきた。自転車の前カゴにバッグを入れる。するとそいつは、駐輪場から自転車を取り出そうとしてる女性に近づき、ヒョイと前カゴからバッグをひったくって走り出した。女性が悲鳴を上げる。
「ちょっとっ!」
びっくりした俺も咄嗟に大声を出し追いかけた。だけど男は、ちょっと離れた所に停めてたバイクで走り去ってしまった。すぐに警察へ通報したけど、やってきた警官に話せたのはひったくり犯の服装くらいだった。
おかしいと思っていた。怪しいってわかってたのに……ちくしょう。
そう、嫌な予感がした。嫌な匂いと共に。
気になって仕方がなかった。あの嫌な匂い。男がバイクで去ってからは、匂いも忽然と消えていたんだ。
そういえば、謎の頭痛とやたらと匂いが気になり始めたのは同時期だった気がする。
公園でぶつかった男の強烈な悪臭を思い出す。浮浪者のような悪臭を発していたのに、スーツ姿だった男。
あれ以降、光ちゃんのいい香りしか嗅いでいなかったからすっかり忘れていたけど、もしかすると頭痛や耳鳴りが死を予期するのと同じで、匂いは警告、あるいはメッセージなのかも。だとしたら、これもやっぱり俺にとっての転機なのではないだろうか。
アパートに着いて、俺はすぐに光ちゃんへ電話をした。
「お疲れ様。この間はありがと。光ちゃんがいてくれて本当に良かったって思った。……ありがとね?」
『お疲れ様! 全然いいよ! それより体調はどう? 俺で良ければいつでも呼んでよ!』
光ちゃんの言葉に嘘はないと思えた。俺のことをすごく気にかけてくれている。薬局で会った時も、病院での付き添いでもそれは感じた。なにより光ちゃんの甘い香り……。
間違いないって思う。確固たるシルシに気づいてしまったから。
「うん、大丈夫。そう言ってもらえると助かるよ」
『本当に心配してるんだよ? でも、あんまりしつこいと嫌がられるかと思ってさ。響平からの連絡を待ってた。元気そうで良かった。ホッとした』
光ちゃんの声を聞いてるとくすぐったい気持ちになる。
「そうなの? じゃあ、もっと早くに連絡すればよかった! あのね、あれから落ち着いて考えてみたんだ。俺の……アレについて。願って手に入れたわけじゃないけど、ちゃんと向き合っていこうかなって思う」
『うんうん。俺もそれが正解だと思うよ! なんで? なんて考えても分かんないなら次のステップに行かなきゃだよね』
「うん。それでね? 早速、光ちゃんにお願いしたいことがあって……急なんだけど明日、できれば明後日も付き合ってほしいんだ。……忙しいかな?」
『大丈夫だよ』
光ちゃんは期待通りの返事をくれた。
土日の約束を取り付け、気持ちは逸るばかりだった。あれだけ悲観していた力だったけど、それは違っていた。俺の考えが正しければ、俺はヒーローになれる。
興奮は中々収まらなくて、ベッドの中で何度も目を閉じたけど、これから起こるであろういろいろな場面が瞼に浮かび、その度にバチッと目を開けてしまう。
そんな眠れぬ夜を過ごし、ゴロゴロとベッドを転がる。眠れたのはいったい何時だっただろう。
それなのに朝、七時に目を覚ましちゃう俺。どれだけワクワクしちゃってんだよ! ってツッコミを入れながらもニヤニヤが止まらない。
光ちゃんと約束したのは昼の一時だっていうのにさ。
朝からずっとソワソワしてたから、ピーンポーンと弾むインターホンの音に、待ってましたといそいそとドアを開けた。その瞬間、甘いバニラと優しい花の香りがブワッと舞い込んでくる。
期待を裏切らない光ちゃんに大満足。嬉しくて仕方がない。
「いらっしゃい!」
「お、お邪魔します」
ニコニコ笑顔の光ちゃんは今日もとんでもなくカッコイイ。光ちゃんは持ってた紙袋をズイと差し出した。
「あ、これ。土産。あとで……一緒に食べない? 人気のスイーツなんだ。今、買ってきちゃった」
紙袋を受け取り、袋の中を覗いた。
白い箱の中はケーキなのかな?
「うんうん! ありがと。あとで食べよう! 入って入って」
「お、おう。お邪魔しまーす。冷蔵庫に入るかな?」
「大丈夫。冷蔵庫ガラガラだから」
「あははは」
コーヒーはケーキと一緒でいいよね? なんて、お言葉に甘えてペットボトルのお茶を出す。だって、のんびりするために光ちゃんに来てもらったわけじゃない。
ソファに座る光ちゃんの前に「どうぞ」とペットボトルを置き、光ちゃんと同じ目線になるようソファへ座った。
「それでさ、さっそくなんだけど」
「うん」
腿を摩りながら本題を切り出す俺に、光ちゃんは体ごと斜めに座り直し、正面から俺を見つめた。
「この間、光ちゃん質問してきたでしょ。覚えてる?」
「ん? 質問?」
「他にもなにか感じないか? って」
「ああ……うんうん。超能力って、色々あるじゃん? 人の考えてることが読み取れたり、火を生み出したり、物体を動かせたり。とか、考えちゃって……ごめん。映画の観過ぎだね」
「ううん、あの時ね。俺、ないよって言ったんだけど。本当はあるんだ」
光ちゃんは俺の言葉に「うそっ! マジ?」と目を丸くした。慌てて両手を広げる。
「あ、いや、でも、そんな火を出したりとか、神通力とかそういう派手なものじゃなくて、もっと、こう……地味っていうか、曖昧なんだけど……匂い?」
「におい? 香りってこと?」
「うん。人から匂ってくるんだ」
光ちゃんは自分の腕を鼻に持っていって、クンクンと匂いを嗅いだ。
「あ! その体臭とか香水とかそういうんじゃなくって。……なんていうのかな? 空気?オーラっていうか。ホントうまく言えないんだけど……」
「うん」
上手く説明できないのがもどかしい。でも、光ちゃんは真摯に耳を傾けてくれる。そんな姿に背中を押してもらって話を続けた。
「この間ね、会社帰りにスーパーの前の自転車置き場でね? 変な匂いがしたんだ。なんていうか、腐臭みたいな嫌な匂い」
「うん……」
「そこに黒ずくめの男が立っていて、嫌だなぁって思っていたら、ちょうど買い物を終えたおばさんが自転車のカゴに鞄を入れたの。そしたら黒ずくめのソイツが、駐輪場から自転車を取り出そうとしてるおばさんの鞄をひったくって走り出したんだ。俺びっくりして追いかけたんだけど、ちょっと離れた所に停めてたバイクで走って逃げちゃって……」
「うそ……すごいな。追いかけたの?」
「結局捕まえられなかったんだけどね」
俺は自分の不甲斐なさに苦笑いした。でも、悔やんでたって仕方がない。終わったことだし。大事なのはこれから。
「まぁ、それはいいんだけど。男が去ったあとは嫌な匂いもしなくなっていてさ。なにか関係があるんじゃないかなって。ほら、耳鳴りと頭痛で誰かが死ぬことがわかるみたいに、匂いで悪いことをするやつを感じられる? とか……」
「うーん……例えば響平、オーラって言ったよね? それと同じで善良な人間と、悪意を持った人間では、出してる匂いが違うってのは分かる気がする。勘が強い人ってのはそういう気配を敏感に察知するよね? 例えば刑事もそうだと思う。嘘をついてる人間は分かるって言うじゃん? 警察二十四時とかでさー」
「うん、それ!」
さすが映画好きな光ちゃんだ。俺の突拍子も証拠もない話を真剣に聞いてくれる。他の人ならおそらくバカにするか、お愛想でお茶を濁されるのがオチだろう。だけど光ちゃんは違う。面白がって調子を合わせてるわけじゃないって、俺わかるよ。
さっきまで興味津々な姿勢で話を聞いてた光ちゃんが、しばらくすると腕を組みなにか真剣に考えてる顔をした。
「でもさ、実際、犯行が行われる前に響平には分かったんだよね? あいつ怪しいって……それってすごいことだと思うんだ。本当に匂いで悪意を持った人間や犯罪者が分かるなら、まさに特殊能力だよね?」
「うんうん!」
「でも、どうやって確かめりゃいいんだ?」
「……うん、俺もね? 実際出くわしたのはその一回だし。待っててもそんな現場に都合よく出くわさないよね」
「だよな。……うーん……ひったくり……」
親身になって対策を考えてくれる光ちゃんに勇気をもらい、考えていたことを打ち明けた。
「……俺すっごくショックだった。変な力の存在に気付いて、最初は自分が殺してるような気すらしたし。人が死ぬのを分かったところで、気分悪いだけだって」
「うん」
光ちゃんが眉を下げて頷く。
「正直へこんだ。でも、あの兄弟を交通事故から助けることができてすごく嬉しかったんだ。人のために役に立てられる力なんだって。命を救うとかそんな大きなことでなくても、匂いの力も本物だとすれば、この力がもっといいことに役立てることができるんじゃないかなって」
光ちゃんの表情が明るくなり、大きく「うん」と相槌を打つ。
「だから、確かめようと思うんだ。自分から探しに行く。悪いやつを」
膝の上で握っていた自分の拳にギュッと力を入れた。
光ちゃんは「分かった」とバッと立ち上がり言った。
「響平がそう決めたのなら、出掛ける準備しよう。ここにいても確かめられない。行こ!」
「うん」
「とりあえず、繁華街に出よう。人が多けりゃ犯罪も多発する」
光ちゃんの表情がワクワクしてる。きっと俺もだ。
俺達は息巻いて部屋を飛び出した。