ラッキーダイス
アルノリッドの酒場は夜遅くまで多くの人で賑わっていた。荒くれ者たちが冒険の武勇伝を語り、吟遊詩人が古代の英雄の物語を奏でる。見張りの仕事を終えた王国騎士は酒で疲れを癒し、給仕の娘は男たちの中を器用にかき分け料理を運ぶ。普段通りの喧騒の中、ジェイソンはカウンター席で隣の女と談話していた。
「…その時俺は言ったのさ、『お前もローグなら、次からは同業者以外から盗むんだな』ってな」
そう言って髪をかきあげ、女の方をちらりと見る。女はあまり興味がなさそうだった。
「ねえ、アナタも女たらしのつもりなら、次からは同業者を狙うのはやめなさい。私今日彼女と来てるの。そこで酔いつぶれてるみたいだから、そろそろ帰るわ」
彼女はジェイソンを小馬鹿にするように同じ仕草で髪をかきあげると、その場を去っていった。
「狙いが外れたな」
酒場のマスターがしわがれた声で、ジェイソンに呼びかける。ジェイソンは未だ先程の女の方を見たまま、グラスをかたむけた。
「おかしいな、俺のトークのスキルも錆び付いたかな」
「それにしても彼女持ちとは、お前さんも運がないな。こいつはオレの奢りだ、飲んで忘れろ」
マスターはそういうと、シワだらけの熟練の手で酒をグラスに注ぐ。ジェイソンは彼の方に向き直ると、ポケットからコインを一枚取り出し指の間で弄んだ。
「景気いいな、マスター」
「そういうお前さんはどうなんだ、稼ぎの方は」
「それがここんとこさっぱりでな。墓荒らしやら盗賊退治やらやってみたんだが、どうもパッとしない」
「ツケで払ってもう一ヶ月だぞ。そろそろまともな稼ぎ口でも見つけろ」
マスターは顔をしかめ、酒場の奥の方を顎で示す。そこの壁には、様々な依頼書や手配書が貼ってあった。
「良さそうなのがないんだよ。ほとんどの依頼は俺一人じゃ無理だし、手配書にもしょぼい金額の奴か強すぎる奴しかいない」
「じゃあ傭兵団にでも入ったらどうなんだ」
「それもいいがな、募集してるとこがなくてな」
そう言いながらもジェイソンは席を立ち掲示板の方へ向かう。一応見ておこう、と壁を物色していると、端の方にやや場違いなものが貼ってあった。
「こいつは、なかなか面白そうだな」
貼り紙を壁から剥がすと、冒険の予感に少し口元を緩ませジェイソンはカウンター席へと戻った。
「マスター、酔い醒ましに水をくれ。明日は早く発つことになりそうだ」
彼がカウンターに広げた先程の紙には、拙い字とドラゴンの絵とともにこう書いてあった。
―――かつて竜の巣穴だった洞窟でお宝探し、参加者募集中―――
翌朝、ジェイソンは装備を整え町外れの一本松の丘へ向かった。昨晩の貼り紙によると、参加希望者はそこに朝七時に集合とある。早朝のまだ少し涼しい風を頬に感じながら、ジェイソンは丘の上を目指した。
一本松の下には人影がひとつあった。両手剣を背中にかけたその姿は、ジェイソンを見ると小走りで駆け寄ってきた。
「もしかしてあなた、私の張り紙読んで来てくれた人?」
兜の覆面の奥の声は、若い女のものだった。
「名前はジェイソンだ。お前は――」
「ライリー。グロセール村のライリー・ベーカーよ」
覆面をあげた彼女の顔は、興奮でキラキラと輝いて見えた。ジェイソンは女に勢いよく握手され少々面食らいながらも、余裕そうな態度を崩さず質問した。
「なあライリー、お前が主催者なら、他のメンバーはどこにいるんだ?」
「それが、あなたが最初に来たみたい。もうちょっと待てば、もっと来ると思うわ」
そして実際、十五分ほど後に二人の人影が街の方から現れた。
「良かった!新しいメンバーよ!」
ライリーはそう言うと、彼らを迎えに丘を駆け下りていく。ジェイソンはそんな彼女を見ながら、自分もそちらへと向かった。
「僕の名前はフェイラス、ドルイドをやってる。よろしくね」
「私はエヴリン、見てのとおりモンクだ」
自己紹介を軽く済ませると、二人はほかのメンバーを探して丘の周囲に目を走らせる。ライリーはハーフエルフとノームの二人組に、もう少し待ってみようと提案した。
しばらく経った後、ジェイソンが声を上げた。
「なあ、みんな、そろそろ待つのやめて出発しちまわないか?もう八時になる、ここまで待っても来ないってことはこれで全員なんだろう」
「私も賛成だ」
エヴリンも彼の発言に頷く。ライリーは最後に五分だけ待つように提案した。フェイラスはと言うと、木陰で小鳥たちと戯れていた。この調子ではどれほど待っても大丈夫なようだ。
ジェイソンが最後にもう一度丘の上から周囲を見渡すと、なんとふもとにこちらへと走ってくる人影があった。大柄なその人影は、足音を轟かせて丘を全速力で上がってきた。
「悪い悪い、遅れたー!」
ハーフオークのその女は、上着の裾をたなびかせてやってくると、豪快に笑ってそう言った。
「で、どいつがリーダーだ?」
「私、ライリーよ。走ってきてくれてありがとう」
「よろしくな、ライリー。アタシはマーサってんだ」
他のメンバーも立ち上がり、遅れてきたマーサと挨拶を交わす。フェイラスだけ、マーサの轟音で小鳥たちが驚いて飛んでいってしまったことに少々不服そうだった。
「今度こそこれで全員だな、よし、出発しよう」
エヴリンがそう言ってライリーに案内を促したところ、彼らの背後から突然冷気が漂った。
驚いた一行の視線の先の木陰には、いつの間にか長身痩躯の男が立っていた。黒いマントに身を包んだその男は、その冷たい目をライリーに向けた。
「待て。我輩もそなたらの旅に加わる」
目の前の男から闇の魔法の気配を感じ取り、エヴリンは咄嗟に拳を構えた。気が拳に流れ、淡い青色に発光する。ライリーも男の存在感に気圧されつつも、質問をなげかけた。
「待って、あなたも私の貼り紙を見て来たの?」
「いかにも。我輩はルシウス・ヴァン・リリアック伯爵」
「お前もしかして、ヴァンパイアか?」
ジェイソンがルシウスにそう問いかけると、彼は重苦しく頷いた。そして闇が彼の周辺に現れ、その姿を包み込む。一瞬のうちに、ルシウスの姿は消え一匹のコウモリが現れた。
「すげぇ!」
「かっこいい!」
マーサとフェイラスが同時に声を上げ、目を輝かせる。コウモリはその場で少し旋回した後、もう一度ルシウスの姿に戻った。
「わあ、素晴らしい才能ね、ルシウス。私たちのパーティーへようこそ。私はリーダーのライリーよ」
ルシウスは滑るようにライリー達に近づくと、これで全員かと問いかけた。
「ええと、みんなこれでメンバー十分だと思う?」
「六人もいりゃ大丈夫だろ」
ライリーの問いにマーサが答え、皆も賛同の声を上げる。
「オーケー。じゃあ、ドラゴンの巣穴探検隊、出発よ!」
「後でチーム名考えた方がいいかもな」
ジェイソンは横のフェイラスにそう声をかけると、彼はクスクスと笑った。かくして一行は、古のドラゴンの巣穴へと歩を進めた。
深い森の中を進む一行。ライリーが言うには、目的地であるドラゴンの巣穴はもう少し先だ。鳥の声や時折聞こえる獣の唸り声が、涼しい森の中を進む彼らの耳に入る。その声は彼らを歓迎しているようにも、拒んでいるようにも聞こえた。
「動物たちが警戒してる。この森はあんまり人が立ち入ったことが無いみたい」
フェイラスがつぶやく。エヴリンはそんな彼を見上げながら、感心して言った。
「お前たちハーフエルフは、皆動物の声が聞こえるのか?」
「いいや、ドルイドになった人だけだよ。僕なんかより全然すごい人は、動物に変身したりも出来ちゃうんだ。あのルシウスさんみたいにね」
そう言ってルシウスの方を見る。彼は仏頂面のまま、我関せずといった形で歩いていた。一方ジェイソンは、先頭を歩くライリーの元で彼女に話しかけていた。
「そこで俺はこう言った、『お前もローグなら、次からは同業者以外から盗むんだな』ってな」
「かっこいい!ジェイソンはプロのローグなのね」
昨晩の女とは違い楽しんで話を聞いてくれる彼女の反応に、ジェイソンは満更でもない。調子に乗って武器のダガーを片手でクルクル回すトリックを披露していると、後ろからマーサにどつかれた。
「おい、何するんだよ危ないな!」
「ハッ、アンタそのパンチライン、何回練習したんだ?あとそのドヤ顔も」
突然真理をつかれジェイソンは一瞬だけ動揺する。しかし直ぐに普段の調子を取り戻すと、余裕の表情を浮かべて答えた。
「俺みたいなクールな奴は、練習しなくても得意なのさ」
そう言ってダガーを再び弄び始める。しかし突然、彼は立ち止まりダガーを持ち直して構えた。
「どうしたのジェイソン?」
ライリーは彼の豹変に戸惑うが、マーサはすぐに彼の意図を察した。腰にかけていた大振りな銃を取り出し、前方に向けて構える。
「囲まれてるな、何体だ」
「気配消してるけど、これはワイルドウルフだね。大体五、六頭ぐらいかな」
フェイラスも杖を取りだして真剣な顔立ちになる。ライリーはそんな仲間の反応を見て、慌てて剣を背中から取り出した。
「近づいてきてるぞ、皆、陣形を組め」
エヴリンが小声で、しかししっかりとした声で指示を出す。一行は歪な円を描くようにまとまると、相手の攻撃を待った。
沈黙を破ったのはワイルドウルフの咆哮だった。ライリーの正面の草陰から飛び出したそれは、三メートルほどの体躯を空中に翻しライリー目掛けて飛び込んだ。
「危ない!」
エヴリンの拳がライリーの右側から飛び出し、ワイルドウルフの顔面に直撃する。小さな体の小さな拳から放たれた力強い一撃は、ワイルドウルフを奥の草むらまで撃ち飛ばした。
「気をつけろ、まだ来るぞ」
エヴリンはそう言うと、ライリーの横で再び構えの体制に入る。そんな彼女を見て、ライリーは両手剣の柄を握りしめた。
マーサの銃声が轟き、ワイルドウルフが悲鳴をあげる。
「ヘッドショット、とはいかねぇか。こいつらやっぱり硬いな」
「ああ、だが喉元の肉だけは柔らかい」
ジェイソンはマーサが銃で牽制する中、ダガーを構えて相手の隙を伺う。再び鉛玉が命中し、ワイルドウルフは怒りと痛みで頭を高くあげた。
「今だ」
ダガーの鈍い輝きが閃き、獣の鮮血が森の新緑に鮮やかに飛び散る。ジェイソンは容赦せず、返す刃でさらに深く喉元に切りつけた。肉を抉られ、気道が血で溢れかえった相手は力無く地面に倒れた。
「まずは一体、あとどれぐらいだ、フェイラス」
「まだ三体いる!」
そう言う彼は杖を構え、自然界の言葉で彼らに繰り返し語りかけた。僕たちは敵では無い、通してくれ、と。しかし凶暴な狩人達は聞く耳を持たず、久々の新鮮な食料に涎を垂らしている。フェイラスは仕方なく、森の木々に指示を出した。
『絡みつくツル』
彼の命令の元、地面から太いツルが何本も出現し、彼の前にいる二匹のワイルドウルフに巻きついた。獣達はもがき、その鋭い爪や牙でツルを断ち切ろうとする。しかしツルは依然締め付ける力を緩めない。
「ルシウスさん、援護お願い!」
集中のあまり顔を歪めながら、フェイラスが叫ぶ。この騒ぎの中一人悠然と佇んでいた彼は、ゆっくりと右手をあげた。
『槍錬成』
ルシウスの青白い手の周辺から闇が現れ、それが塊を成して複数の鋭利な槍先へと姿を変える。それらは身動きの取れないワイルドウルフ目掛けて飛び、その分厚い毛皮を貫き頭に突き刺さった。
「ナイス、ルシウスさん!トドメお願い!」
もう一度呪文を唱えようとした彼の後ろに、魔法で生まれたものでは無い黒い影が現れた。ルシウスは振り向きざまに脅威を確認した後、コウモリへと変化した。直後、彼の頭があったところを大きな前足が掠めた。
「まずいっ…!」
位置的に、次に狙われるのはフェイラスだ。彼は咄嗟に後ろに下がったが、集中を解いたためワイルドウルフ二頭を固定していたツルも緩んでしまった。自由を手に入れた彼らは、怒りのままにフェイラスに襲いかかる。
「下がれ!」
前に飛び出したのはジェイソンとエヴリンだ。エヴリンの拳が二頭の下顎を殴り、上を向かせる。がら空きになった首元目掛けて、ジェイソンの刃が牙を剥いた。息のあった攻撃に、二匹はなすすべもなく首から血を吹いて倒れ込んだ。
「怪我はないか?」
エヴリンが問いかける。フェイラスは頷き、前後の戦況を確認した。
彼らの前方では、群れの主と思われる巨大なワイルドウルフが臨戦態勢を取っていた。しかしマーサの連続かつ的確な銃撃を前に、踏みとどまっている。一方後方では、ライリーが手負いのワイルドウルフとの一騎打ちを仕掛けていた。相手はよろめきつつも、一撃一撃が致命傷となりうる攻撃を休む間もなくライリーに繰り出している。対する彼女は防戦一方で、両手剣を握る手は強く握りすぎて真っ白になっている。フェイラスの元からは見えないが兜の下の彼女の顔は同じく血の気が引いており、その目には明確な恐怖が映っていた。
「ライリーの方はジェイソンに任せる。私とフェイラスはあの怪物をやる」
短い言葉で的確な指示を出すと、エヴリンはマーサの巨体の影から弾丸のように飛び出した。すかさずワイルドウルフの巨大な足が振り下ろされるが、マーサの銃撃がそれを弾く。フェイラスも呪文の準備を始めた。いつの間にか彼の横にはルシウスが現れ、彼も呪文の狙いを定める。
『絡みつく茨』
『槍錬成』
太い茨が何本も地面から現れ、怪物の身体の自由を奪う。そこに鉛玉と魔法の槍先が浴びせられ、気を纏った拳が脳を頭蓋ごと揺らす。怪物は集中攻撃の前に苦痛の咆哮を上げた。
「心配するな、俺がやる」
敵の連撃に押されていたライリーの耳に、ジェイソンの声が聞こえた。両手に装備したダガーから繰り出される斬撃の連続に、ワイルドウルフの顔面は少しづつ血だらけになっていった。
一際大きな咆哮と共に、いきり立った獣は最期の力をふりしぼり後ろ足で立ち上がった。しかしその動きは悪手、彼の同胞たちを死に至らしめたものだ。ジェイソンの刃が弱点を捉え、獣はついに地面へと倒れふした。
「大丈夫か、ライリー?」
刃に付いた血を軽く払うと、ジェイソンは未だ固まっているライリーの元へ向かう。兜の仮面を上げ彼女の顔をのぞき込むと、彼女は剣を取り落とした。
「おい、本当に大丈…」
ライリーはふと我に返ると、落とした剣を持ち上げて、取り繕った明るい調子でジェイソンに向き直った。
「ふう、危なかった!ありがとうジェイソン、おかげで助かったわ!」
そう言って残りのメンバーの方へ向き直ると、ちょうどワイルドウルフのリーダーが地面に倒れるところだった。
「さっすがみんな、最高のチームワークね!これならドラゴンが来ても楽勝だわ!」
ライリーはそう言ってマーサ達の元へ駆け寄り、彼女にハグする。マーサも力強いハグで返すが、ライリーは潰されてしまいそうだ。
ジェイソンも彼らの元に合流し、労いの言葉をかける。初めての戦いに勝利したということで皆が盛り上がっている中、エヴリンはライリーの方を見つめていた。彼女の反応速度の遅さが気がかりになっていたが、マーサに傷を癒してほしいと言われ、彼女はすぐにそちらへ向かった。
深夜のような暗闇が一行の前に現れた。ねずみ色の険しい山肌に大きく空いたその洞窟は、かつて竜が根城としていたと言われてもしっくりくる程の大きさだった。ジェイソンは手元の火打石で落ちていた手頃な枯木に火をつけ、松明の代わりとした。
「ここが例の巣穴か」
「かなり奥行きがありそうだな」
口々に感想を言い合う中、ライリーは一行を早く中に入るよう促した。ジェイソンの松明の灯りの元、なお薄暗い洞窟の中を進む。天井の鍾乳石からは水がしたたり、フェイラスは顔に水が落ちてきて嫌そうな顔をした。
「汚らしい場所だ」
着ている格式高そうな黒衣の裾を濡らさないよう軽く持ち上げながら、ルシウスが文句を垂れる。それに対しマーサは、豪快に水を跳ねさせながら洞窟の中を物珍しそうに見て回っていた。
「ライリー、大丈夫か?先程から口数が少ないようだが…」
エヴリンが気がかりになっていたことを口にする。ジェイソンもライリーの顔を覗き込んだ。仮面を下ろしているのでよく見えないが、足取りも少し早く、何かを焦っているように見える。
「平気よ。それより、お宝のあるエリアを探しましょう。多分もう少し進んだ先にあるはずだから」
相変わらず声の調子は、今朝会った時のように明るい。しかしジェイソンは、その声の奥になにか隠されたものがあるのを見逃さなかった。
「なあ、何か言いたいことがあるんだったら…」
彼の発言はそこで止まった。洞窟の角を曲がった先に、信じられないものを目撃したからだ。
そこに鎮座していたのは、一頭の巨大なドラゴンだった。岩肌のような灰色の鱗は、松明の灯りを受けて鈍い光を返している。牛一頭を丸呑みできそうな口からは、一本一本が剣のように鋭くギザギザした牙が覗いていた。その目は固く閉ざされ、巨体の腹は微かに上下している。どうやら眠っているようだ。
「おいマジか…」
マーサが驚きの声を漏らす。ライリーは押し黙ったまま、ドラゴンのいる広大な部屋へと踏み入っていった。
「おい何してんだ!」
ジェイソンが駆け寄り、小声で彼女にそういった。残りの一行も大きな音を立てないよう注意しながら、二人の元へ向かう。
「張り紙には昔巣穴だった洞窟って書いてあっただろ!何で今もドラゴンがいんだよ!」
マーサが怒りの声を上げる。ライリーは覆面を上げ、いないとはどこにも書いていなかったと弁解した。
「それに、張り紙にはドラゴンの絵も書いてあったでしょ…?」
「あれそういう意味だったの!?」
フェイラスがパニックのあまり少し大きな声を出し、横にいたジェイソンにこづかれた。
「ライリー、どうして黙っていたんだ?」
エヴリンが糾弾する。その声には怒りよりも、戸惑いの感情が込められていた。
「実は…」
時間は少し遡る。グロセール村では、村人たちが穏やかな昼下がりを過ごしていた。羊飼いたちが牧羊犬に指示を出し、パン屋からは美味しい匂いが漂っている。のどかな村の中心にある噴水のそばで、ライリーは洗濯の仕上げを済ませていた。
「よっし、これでおしまい!」
独り言をつぶやくと、家族三人分の服の入った洗濯カゴを持ち上げ、ライリーは家へと向かう。遠くから遠雷の音が聞こえ、今日は部屋干しかなと考えながらライリーは歩き出した。今頃家では、パパとママが夕食の準備をしているはずだ。母さんは庭で野菜を採り、父さんはパン屋から帰ってきてる頃かな、などと彼女は思いを馳せた。
遠くから聞こえる翼の音と悲鳴で、ライリーは現実の世界に引き戻された。空を見上げると、そこには悪夢のような影が羽ばたいていた。灰色のその怪物は、黄色く光る邪悪な目を光らせ、グロセール村へと真っ直ぐに飛んできた。
洗濯カゴを落とし、家へとかけ出すライリー。しかしドラゴンの速度には勝てなかった。通りを全速力で駆け抜けてきた彼女の目に入ったのは、ドラゴンの鉤爪が民家をなぎ払い、村人の暮らしを引き裂く姿だった。
「嫌!」
目の前の現実を否定する彼女の目に、残酷にも映ったのは、竜が村人の一人をそのゴツゴツした手で掴む瞬間だった。ぐったりとしたその顔は、ライリーが生まれた時から毎日見てきたものだった。
「ママ!」
力無くうなだれる彼をつかみながら、ドラゴンは物欲しそうに近くのパン屋を睨みつけた。そこから飛び出してきたのは、ライリーの父親だった。彼は振り向いた視線の先に最愛の娘がいるのを確認すると、全身の力をふりしぼり叫んだ。
「逃げろ、ライリー!」
ライリーの足は固まって動けない。ドラゴンは視界の下の哀れな男を見ると、意地悪そうにニヤリと笑った。
「妻を離せ、この怪物が!」
勇敢な父親は怒りのままに怪物に罵声を浴びせる。ライリーが逃げるまで、少しでも時間が稼げればいい、その一心で彼は囮になる覚悟を固めた。
「ソウカ、貴様ラ家族カ…」
ドラゴンの口から、禍々しい声が発せられる。耳障りなその声には、明確な悪意が込められていた。
「ナラバ、共ニ食ッテヤロウ」
猛々しい鉤爪がライリーの父親を鷲掴みにする。彼は全身を締め付ける痛みに呻いた。怪物は二人を品定めするように眺めると、小声で呟いた。
「ガリガリニヤセ細ッテイルナ…、太ラセテカラ食ベルカ」
そう言うと、それはライリーの方に視線を向けた。ライリーは恐怖のあまり腰が抜け、地面にへたり混んでいる。竜はその醜悪な目を細め、口角を上げ悪魔のような笑みを見せた。
「イイ顔ダ小娘…、貴様ヲ今食ベルノハ惜シイ。ソノ絶望ガ熟シテカラ、マタ来ルトシヨウ」
ドラゴンはそう言い放つと、ぐったりと動かないライリーの両親を連れ、西の岩山へと飛び立っていった。後に残されたライリーは、あまりの出来事に動けないまま、ただ無力に涙を流すことしか出来なかった。
「それで、私は二人を助けるために、あなたたちを集めたの」
ライリーが語り終えると、早速ジェイソンは糾弾した。
「じゃお前は、冒険者でもなんでもないただの村娘で、俺たちは生きてるかも分からない両親のためにドラゴンの巣穴に連れ込まれたって?そもそもなんで騙す必要があったんだよ!」
「だって、ドラゴンがいるって言ったら、誰も行きたがらないかと思って…」
「王国騎士団にでも言えば良かっただろ!」
「彼らは動くの遅いもん!待ってる間にパパとママは食べられちゃうわ!」
「二人とも、一旦落ち着け!」
エヴリンの鋭い一声が、二人を黙らせる。エヴリンは一つため息を着いたあと、疲れた口調でライリーに話しかけた。
「ライリー、ご両親の件は残念だった。だが私達を騙して連れてきたのは、良くないと思う」
「それは本当に、ごめんなさい…。悪かったって、思ってる…」
半泣き状態のライリーは、弱々しく謝罪する。しかしその謝罪を全く受付けそうにない男がいた。
「つまり我輩は財宝ではなく、どこぞの知らぬ人間を救う旅に参加したというわけか。馬鹿馬鹿しい、帰らせてもらおう」
待って、というライリーの制止も聞かず、ルシウスはきびすを返して歩き出そうとした。その肩を掴んで歩みを停めさせたのは、マーサだった。
「おい待てよオッサン、ここまで来たのにそりゃねえだろ。ライリーの親がまだ生きてるんだったら、助けなきゃなんねえだろ」
ルシウスはうざったそうな目で、彼女の真剣な眼を睨みつける。そんな二人を横目に、フェイラスは未だ夢の世界にいるドラゴンの方を見ていた。
「ねえみんな、あれが起きる前に、一旦ここを離れた方がいいんじゃないかな…?」
「そうだな、財宝が無いんじゃ、ここにいる意味は無い。悪いがライリー、引くぞ」
「待って!お願い、私のパパとママを助けてよ!そしたらお金でもなんでもあげるから!」
「じゃあ最初からそういえば良かったじゃねえか!最も、ドラゴンがいるってのなら俺は最初から来なかったがな!」
「ね、ねえみんな…?」
フェイラスが怯えた声をあげる。その視線の先には、巨大な丸い黄色があった。鋭く縦長の瞳孔が、冒険者一行を睨みつけている。その目は安眠を邪魔された怒りで燃えていた。ドラゴンが、目を覚ました。
鼓膜を突き破るような咆哮が、洞窟に響き渡る。ドラゴンはゆっくりと起き上がり、鋭い鉤爪を天高く構えた。ジェイソンはその一瞬の隙を見逃さなかった。咄嗟に煙玉をポケットから取りだし、ドラゴンの顔面に投げつける。もうもうと黒い煙が上がり、怪物の顔は煙の中に消えた。苦しそうな咆哮が上がり、ドラゴンは顔の煙を払おうと頭を左右に激しく振った。
「今のうちだ!」
一行はドラゴンの巣穴の出口に向かって走り出す。ライリーだけが行くのを躊躇ったが、マーサに腕を捕まれやや連れて行かれるような形で逃げ出した。
「雑魚共ガァァア…!」
ドラゴンは苛立ちと怒りに任せ、口から青色の炎を勢い良く放った。その火炎の息吹は洞窟の上部の岩を粉々に打ち砕き、今まさに出口に飛び込まんとしていた一行の頭上に落ちてきた。
「まずい!『庇護するツル』!」
フェイラスが呪文を唱えると、地面の下から太いツルが一斉に生え、一行を覆う天井を形成した。しかし次々に落下する岩の影響で、幹のような太さのツルはギシギシと不安な音を立てた。
ドラゴンは再度燃え盛る息吹を放つ。今度の攻撃で洞窟の入口は完全に崩壊し、一行の目の前で唯一の脱出口は瓦礫の山と化した。ツルの盾も、今にもちぎれそうに悲鳴をあげている。幸いにも、ジェイソンの投げた煙玉に含まれる薬品がドラゴンの目を焼き、相手の視界を奪っていた。しかしドラゴンの回復力相手には、そう長く持たないだろう。
「こっちだ!走れ!」
先陣を切って走り出したのはエヴリンだ。ドラゴンの背後に、一回り小さい洞穴があるのを見つけたのだ。ドラゴンが通るには小さすぎるその洞穴は、どれほどの深さがあるのかは分からない。しかし、今の彼らにとっては唯一のシェルターであった。苦痛と怒りに暴れ狂うドラゴンを横目に、一行は全速力でそこへと走った。
もう少しで洞穴へと入れるというところで、ライリーはドラゴンの後ろに何かがあるのを見つけた。先程までは巨体に邪魔され見えなかったが、そこにあったのは金銀財宝の山だ。しかしライリーの目を引いたのはそれではなかった。財宝の山の前に、なにかの動物の肋骨がまるで檻のように置かれている。その中に、牛などの死骸とともに、二つの人影が横たわっている。見ず知らずの人間ならば、おそらく見逃してしまっていただろう。しかしその見知った服装を彼女が見逃すはずはなかった。忘れもしない、一週間前にさらわれたライリーの両親の姿が、そこにはあった。咄嗟にそちらに向かおうとするが、マーサに腕を引っ張られライリーは洞穴へと駆け込んだ。
「皆、怪我はないか?」
エヴリンが回復魔法の用意をしながら問いかける。見たところ、大きな怪我をしたものはおらず、皆かすり傷程度ですんでいるようだ。ただ、フェイラスの体力の消耗がやや激しく、彼は安全地帯に入ると洞窟の壁にぐったりともたれかかった。
「パパ、ママ…」
ジェイソンが呆然としているライリーの様子に気づき、どうかしたかと問いかける。
「あそこにパパとママがいた!助けに行かないと!」
ライリーは両親を見つけた嬉しさと死んでいるかもしれないという恐ろしさで情緒がぐちゃぐちゃになりながら、必死に一向に訴えかける。
「何だって!?どこにいたんだ、とりあえず連れてくるぞ」
「早まるなマーサ!生きている保証もない、それに今出たら今度こそ死ぬぞ!俺の毒煙もさすがにそろそろ効果が切れるはずだ」
「でも!可能性があるってんなら、それを見捨てるのは ダメだろ!」
彼女達の真剣な眼差しに、ジェイソンはたじろぐ。この洞穴がどこにつながっているのかは分からない。このままここで休んでいても、生きて帰れる保証は無い。いずれにせよ、ドラゴンと対峙しなければならないのなら…。
「ああもう分かったよ、助けに行くぞ。ただ、やるなら全員の協力がなくちゃダメだ。エヴリン、フェイラス、ルシウス、お前らはどうなんだ?」
エヴリンは腕組みをして、真剣に考えてから答えた。
「私は救助に賛成だ。だが、ドラゴンの囮が一人は必要になる。誰が行く?」
「僕は囮は遠慮させてもらうよ…。残りの魔力じゃ、戦うのは無理そうだ。救助グループに入れさせてほしい」
皆の目が残るルシウスの方を見る。ライリーは彼の赤い目をじっと覗き込み、心から訴えかけた。
「お願いルシウス、あなたの力が必要なの」
ルシウスは押し黙っていた口をやっと開いた。
「我輩もこのまま死ぬつもりは無い。ただ、力を使う代償を貰うぞ。そなたらのうち一人が我輩に血を寄越せ。さすれば、この力存分に振るってやろう」
「えっでも、お前に噛まれたらヴァンパイアになっちまうんじゃ」
ルシウスは呆れて頭を振った。
「愚か者が。そんなものはただの噂だ。食事の度に同族を増やしてはかなわん 」
そう言うと、彼は催促するように牙を少しみせ一行を睨んだ。
「ならアタシがやる。多分この中で一番消耗してないのはアタシだ」
マーサが手を挙げ、袖をまくった腕をルシウスの前に出す。しかしルシウスは顔をしかめ、その腕を軽く払い除けた。
「ハーフオークの血は味が悪い。人間、貴様が血を差し出せ」
「なんだよ態度でけぇな」
ムッとして袖を戻すマーサ。指を刺されたジェイソンは、溜息をつき覚悟を決めて腕を差し出した。ルシウスは大きな口を開け、その差し出された腕に勢いよく噛み付く。瞬間、彼は目を大きく見開いた。
「なんという美味!貴様、なぜ早く言わなかった」
「いや、自分の血の善し悪しなんて分かるわけないだろ」
「クックック、いいぞ人間。これは運がいい…」
口を離すと、ポケットから取り出した絹のハンカチで口を拭い、ルシウスは立ち上がった。
「力が溢れている…!さあ行け、血の礼だ、我輩がドラゴンを引きつけよう」
「ドコニ行ッタ…!出テ来イ、食イ殺シテヤル…!」
ドラゴンは未だ痛む目を血走らせ、崩壊した瓦礫の近くを探している。そんな怪物の後ろから、高揚した声が響き渡った。
「穢らわしき悪魔の獣よ、我輩の前にひれ伏せ!」
「何ダ…?」
ドラゴンは首をもたげ、ルシウスの方に向き直る。そこには、両手を広げて呪文の準備をする彼の姿があった。
『戦斧錬成』
頭上に現れた闇の雲が形をなし、巨大な双刃の斧へと姿を変える。ルシウスの指揮に従い、斧はドラゴンの頭へと振り下ろされた。ドラゴンは寸前で首をひねり頭部への直撃は免れたが、翼の体との結合部分への攻撃を許してしまった。斧はドラゴンの硬い鱗を貫通しその肉を顕にし、怪物は痛みに吠えた。
「貴様ァァア!」
「どうした、下等生物」
ルシウスはニヤリと笑い、さらなる攻撃の準備と再び手を高く掲げた。
「走れライリー、もう少しだ!」
ジェイソン達救助グループは財宝の山へと向かう。その鈍い光を放つ黄金の山に、ジェイソンの足は救助のためとは別の理由で力が入っていた。フェイラスはツルの呪文を唱えると、ライリーと自分の体を持ち上げ骨の檻に上部から入る。そこには、ぐったりと動かないライリーの両親の姿があった。
「パパ、ママ、起きて!私よ、ライリーよ!助けに来たの、友達もいるわ!お願い、起きて!」
ライリーがその体を揺すると、父親はかすかに呻き声を上げた。はっとした彼女の目から、涙がこぼれ落ちる。
「生きてる!
フェイラスがすぐに母親の方も確認する。意識は無いが、その体からは確かに生命力を感じ取れる。フェイラスはライリーに向け、親指を立ててニッコリ笑った。
喜びに浸るのはまだ早い。ツルの呪文で両親の体を下に下ろすと、準備していたマーサとお宝を物色していたジェイソンがその体を担ぎ上げた。エヴリンがすぐに回復呪文をかけ、簡単な応急処置を済ませる。
「洞穴へ!」
すぐに走り出す五人。しかし洞穴の近くまで来た時、不幸にも竜に気づかれてしまった。
「小娘、貴様ァァア!仲間モロトモ皆殺シダアァァア!」
完全に切れたドラゴンの息吹が、洞穴の入口を直撃する。小さな穴はひとたまりもなく、すぐに崩れた岩で塞がってしまった。
「余所見をするな、トカゲ」
ドラゴンの背後から、ルシウスの呪文が飛んでくる。しかし怒りで痛みすら感じないその巨体の前では、強力な攻撃もただ注意を引いただけだった。しかし今はそれで十分だ。ドラゴンの獰猛な鉤爪や尻尾の攻撃を、コウモリ変身で華麗にかわしつつ、ルシウスは相手を翻弄する。その間に、残る五人は必死で出口を探した。お宝の山の煌めきから活路を見出したのは、ジェイソンだ。
「あそこだ!上の壁から光が刺してる!」
そこははるか頭上にある亀裂だった。人が余裕で通れそうなそこからは夕日が差し込み、財宝の山に光を投げかけている。ジェイソンは一旦ライリーの父親を地面に下ろすと、二度と使うまいとしていた呪文を唱えた。
『浮遊する円盤』
彼らの足元に魔法陣が出現し、煌めく円盤となる。一行を載せた円盤は、非常にゆっくりとしたスピードで上へと上がり始めた。
「何だお前、魔法使えたのか!」
驚いた声を上げるマーサに、集中しているジェイソンは苛立った声で独り言のように返した。
「別に強くないがな」
しかしその目立つ円盤は、ドラゴンの目にもとまってしまった。ルシウスに背を向けたそれは、今や半分ほど登りきった円盤に素早く歩み寄る。ルシウスは全力で背後から攻撃を仕掛け気を引こうとするが、先程のような大技は出せない。ドラゴンは円盤の前に立ちはだかり、鉤爪を振り上げた。
「モウ逃ゲ場ハ無イゾォォオ!」
回復魔法で負傷者の命を繋ぐエヴリンには、その攻撃に反応出来なかった。思わずつぶりそうになった彼女の目に映ったのは、両手剣で攻撃を受け止めるライリーの姿だった。
その小柄な女性の体からは想像もつかないような力で、彼女はドラゴンの鉤爪を受け止める。全身の力を引き出しその攻撃を弾き飛ばすと、剣を不格好に構え直し次の攻撃に備えた。
「お前なんかに、私の家族は、友達は、傷つけさせない!」
その目は、激怒のあまり燃えているかのように爛々と輝いていた。その腕は攻撃を受け止めた衝撃で少し不自然な方向に曲がっている。たとえ骨が折れていようと、今のライリーは気にしていなかった。
ドラゴンは最後まで抵抗する人間に対して理性を失い、爪の連続攻撃ではなく火炎の咆哮で焼き払うという選択を取った。洞窟の壁にこれほどまでに近いところで攻撃を放てば、洞窟そのものが崩れるかもしれない。しかし今の怪物には、自分の身の安全よりも目の前の邪魔者を殺す方がずっと重要だった。
「させるかぁぁーっ!」
ライリーは叫び声をあげると、持っていた剣をドラゴンの眼球目掛けて投げつけた。両手剣はそもそも投擲武器では無い。しかしライリーの投げたそれは、ドラゴンの右の眼球を正確に射止め、光を奪った。
「ギャァアアァァアァ!」
痛みに苦しみ、ドラゴンはその顔を上へと向けた。叫び声とともに口から火炎の咆哮がほとばしり、洞窟の天井を焼き尽くす。耐えられなくなった洞窟は、徐々に崩壊を始めた。
ジェイソンの円盤が目的地に到着すると、急いで一行は光の射す方へ向かう。そこは山の斜面に出ており、一行が来た森の方へと続いていた。崩れ落ちる洞窟の方を振り返ると、一匹のコウモリが落石を避けながら飛んでいる。しかしドラゴンの咆哮がなおも轟く中、ルシウスはやっとの思いで一行に合流した。洞窟の出口から一目散に走り出した瞬間、大量の煙が一行を後ろから襲い、同時にドラゴンの叫び声も聞こえなくなった。
ライリーが目を覚ますと、そこは見慣れない部屋の一室だった。ベッドに横たわったその体は傷一つなく、清潔なパジャマに包まれている。横を見ると、パパとママが穏やかな寝顔でベッドに横たわっている。一瞬、今までの冒険は全てただの悪夢だったんじゃないか、そんな考えがライリーの頭によぎった。
「起きた!おいみんな、ライリーが起きたぞ!」
男の声で、ライリーは現実に引き戻された。もはや聞きなれたその声は、紛れもなくジェイソンのものであった。彼はベッドサイドに置いてあった水の入ったコップを取ると、ライリーの元へ運んだ。ライリーはそれを受け取ると、まだ少しぼーっとする頭で入口のドアを見た。
ドアから、共に旅をした仲間たちがわっと入ってきた。一番先に駆け寄ってきてベッド横からきついハグをしてきたのは、マーサだ。満面の笑みのフェイラス、少し疲れた優しい表情のエヴリンがそれに続く。ルシウスは扉の横からただ見ているだけだったが、その口角はうっすらと上がっていた。
「みんな…。そうだ、パパとママは?」
「安心して。もう回復して、今は疲れて眠っているだけだ」
ほっとしたと同時に、ライリーの目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。少し焦るフェイラスを見て、ライリーは笑顔を見せる。
「ありがと、みんな。私みんなのこと騙したのに、いっぱい助けてもらっちゃった」
窓際の壁にもたれかかっていたジェイソンが、ダガーをくるくる回しながら答える。
「騙したってのは間違いないが、その分ちゃんと俺たちを守ってくれたろ?それで帳消しだ。それに、結局財宝はあった訳だしな」
そう言って彼は、ポケットから一つの黄金の物体を取り出した。巣穴から唯一持ち帰ることの出来たそれは、窓辺から入る昼の陽光を浴びてキラキラと光る、六面ダイスだった。
「それで、結局そのダイス一個しか持って帰れなかったのか?」
酒場のマスターは冒険譚を聞き終え、一行に問いかける。
「ああ、あの時は人命優先だったからな」
「それでもプロのローグかねぇ」
「分かってないな、プロのローグってのは、財宝よりも女の心の方が大事なのさ」
そう言って、キザな仕草で髪をかきあげ、ライリーの方を見る。しかし当のライリーは、キョトンとした顔で彼を見つめたあと、にっこりと笑った。そんなやり取りを見たマスターは大声で笑う。
「ハッハッハ、お前さん本当に女たらしか?成功してるところを見た事ねぇ」
「いいんだよ、別に」
ジェイソンはそう言うと、仲間たちの方へと向き直った。
「さてっと、俺たちこれからどうするかな」
一番に口を開いたのは、なんとルシウスであった。
「我輩はジェイソンと行動を共にする。こやつの血は滅多に見つからないものだ。暫くは味わいたい」
「人をいいワイン扱いするな」
「ねえ、せっかくだから、もう少し一緒に冒険しない?」
言い合う二人に、ライリーが割って入る。
「私、今回の冒険で気づいたの。パパとママを守れるような力が欲しいって。だから、もう少し私のわがままに付き合って欲しい!」
「傭兵団でもやるか?面白そうだな、入れてくれ!」
マーサがそう言って豪快に笑う。
「僕もいいよ。君たちと一緒なら、一人より心強い!」
フェイラスも笑顔で承諾する。
「私も賛成だが、傭兵団として登録するなら、名前が必要だな。何か案はあるか?」
エヴリンが皆に問いかける。ジェイソンはニヤリと笑って、先程の戦利品を取り出した。
「俺たちはドラゴンから一人も欠けずに逃げ出したんだぜ?こんなラッキーなことってあるか」
「そもそも、みんなに出会えたのが一番のラッキーだったな!」
ライリーが笑顔でそう言う。ジェイソンは仲間たちの顔を見回した。
「じゃあ、今日から俺たちは、傭兵団【ラッキーダイス】だ!」
チーム名が決まり談笑する彼らの耳に、酒場の扉が開く音が聞こえた。見ると、ボロボロの鎧を着た王国兵士が、所々破れしわくちゃになった紙を持ってその場に立っている。彼が紙に書かれている内容を読み上げると、ラッキーダイスの仲間たちは新たな冒険の予感に胸を躍らせた。