役に立たない話
注)
・あらすじにも書きましたが、この作品はウルグアイ空軍機571便遭難事故をモデルにしたものとなっております。直接的な描写は避けましたが、スプラッタや人肉食を思わせる記述がございます。苦手な方や、凄惨な事故をモデルに小説が書かれる事に嫌悪感を感じられる方はブラウザバックをお願い致します。
・また非常にセンシティブな話題ではありますが、感想欄等では出来れば他の方や作者への人格否定等は避けてくださるよう伏してお願い申し上げます。
山も谷もないお話です。
―――世界で一番、人を食った生き物を知ってるか?
あぁ、そんなしかめっ面するんじゃねぇよ。
大して複雑な話じゃあない、単純でつまんねぇ話だ。
―――ライオン?確かにそいつは多そうだな。
だが、外れだ。
―――蚊?坊主、よく知ってるじゃねぇか。マラリアは怖えぞー?
だが、そいつでも無え。
―――神様?おいおい、罰当たりな事言うもんじゃねえよ、人殺しって意味じゃ間違っちゃいねえけどよ。
「よく生きろ」ってテメエの神に言われたくせに人殺しをしたやつが、いったい何億人いるのやら。
惜しかったな、坊主。ちぃとばかし外れだ。
―――ん?答え?
そんなもん、人間に決まってんだろ。
言ったろ?つまんねぇ話だって。
―――ははは、そう怒んなって。
いじわる問題って言われりゃその通り、確かにこれはオッサンが悪いわな。
―――じゃあ、これはオッサンの借りだ、坊主。
いつか返すから、忘れんじゃねぇぞ?
◇
……あれって絶対、物理的に食うって話じゃ無かったよなぁ。
憎たらしいほどに青い空を見上げ、一人現実逃避にふける。
あの時話したオッサンが誰だったのかは、今も知らない。
道端で転がってるのに気が付いて、少し話して、気が付いたら消えていた。
まぁ、そんな事はどうでも良いのだ。この現実を変えるには、何の役にも立ちやしないのだから。
―――眼前に広がるのは、どこまでも真っ白な雪原と、切り立った断崖。
そして、半分だけになった飛行機の残骸。
……ここに落ちて、何日経ったのだろうか?
それなりに長い時間が経った気がするが、実は大した時間でもないのかもしれない。
自分の時間感覚を信じられるほど、短い時間を過ごしていない事だけは確かだろう。
―――かろうじて繋がったラジオは、捜索が打ち切られたと告げている。
食料など、既にほとんど残っていない。
元々ほんの少しのスナック菓子に期待をする方が無理筋なのだ。仕方ない。
「おい、生きてるか?」
近くにいた生き残りの男が声をかけてきた。
じっとしながら考え事をしていたので、心配されたらしい。
「ああ、大丈夫だ」
「…………死んでるのかもしれんと思ったぞ」
心底心配したように男は言う。
大袈裟な………と言いたいが、状況が状況だ。
黙ったと思えば気づけば冷たくなっていた奴もいたから、心配するのも無理はない。
この数日で冷たくなった乗客たちの顔を思い出そうとして………止めた。今考えるべき事じゃない。
特に………今、この状況では。
「………やっぱり、食うしかないと思うか?」
「………代案があるならいつでも言ってくれ」
暗にそれ以外の選択肢は無いだろうと言いつつ、男が暗い顔をする。
気持ちはわかる。俺だって、こんなことはしたくない。
生き残ったのは十数人ほど。食料は………もうすでに尽きた。
あたりは一面、岩と雪に閉ざされた世界。
………食べられるものなど、一つしかない。
だがそれは、人として絶対に食べてはいけないものだ。
「………許されは、しないだろうな」
「まぁ………そうだな。これが許されるとは俺にも思えん」
当たり前だ。こんな蛮行が、許されてたまるものか。
出来る事なら、言葉にだってしたくない。
こんな、人に許されないような事。
「………食うしかないか」
「ああ」
きっと、許されはしないだろう。
いや、そもそも許されるべきではないのだ。
―――だから、「許してくれ」とだけは、言わない。言えない。
「………………………………すまない」
ぽつりと、消え入りそうな声で呟いて、
飛行機の破片から使えそうなものを一つ拾い、横たわった死体へと振り下ろした。
まるでゴムを殴ったみたいな感触がして、「人間じゃないみたいだ」なんて、意味不明な感傷が零れる。
凍り付いた肉は固く、破片を振り下ろすたびに、ザク、ザク、と、まるで生き物を穿るような音が響く。
………許してくれとは言えない罪に、許されてはならない罪に、人は何を呟けばいいのだろう?
何とか口をついて出せたのは、何時も投げかけていた、軽い言葉だけだった。
「………ごめんな」
こんなにひどい事をして。
「………………ごめんな」
遺言を果たす事すら、出来なくて。
救援はもう来ない。
それはつまり、俺たちが助かる可能性は、もう殆どないという事だ。
助からないと分かっているのに、それでも、生きようとする理由はあるのだろうか?
罪を犯してまで………友人を切り裂いてまで、生きようとする理由は、あるのだろうか?
―――分からない。
―――もう、分からない。
何もかもがぐちゃぐちゃなまま、ただ機械のように、友人を切り取る。
………そして、何度も振り下ろした飛行機の破片が毀れた頃に。
ぐちゃぐちゃになった物言わぬナニカと、小さな肉片が、転がっていた。
瞬きを忘れた虚ろな顔と目が合い、思わず吐き気が込み上げる。
―――ダメだ!
―――吐くな!!
それは、人間がする事だ。
友人を切り刻んだ人間が、する事じゃない。
お前は、お前だけは………それをしていい、わけが無い。
込み上げた胃液を無理やり飲み下し、空をにらんで、ぼそりと呟く。
「―――これを見て、神は………なんて言うのかねぇ」
思わずこぼしたのは、罪悪感からだろうか?
それは、帰ってくるはずの無い小さな嘆き。
―――しかし、思わぬ返答があった。
「―――――――――別に、何も言いやせんさ」
どこか聞き覚えのある声。
思わず振り向くと、立っていたのは古ぼけたコートを羽織ったオッサン。
顔など既に記憶も朧気だが、こんな顔だった気もする。
「何故?」
こんな山奥に、俺たち以外の人が住んでいる訳が無い。まして、そんな服装で来れる訳が無い。
「何でか……は今はいいだろ?まぁ、大して面白いもんでもねえよ」
とぼけたように、オッサンは言う。
「何をしに来たんだ?」
気付けば、近くにいたはずの生き残りの男が少し遠くに行っている。つい先ほどまで近くにいたというのに、急にオッサンが現れた異常事態には気付いていないらしい。
こんな場所にいきなり現れた事といい、普通の人間でない事は確かだろう。思わず破片を握りしめる。
「そんなに警戒せんでいい。俺はちょっとお喋りをしに来ただけで、特に何もせん……と言うより、何も出来んからな」
そう言いながら、オッサンはお手上げだと言わんばかりに両手を挙げる。
少々、残念そうな顔をしながら。
「お喋り?」
何で、今そんな事を………。
「言っただろ、借りだって。諸事情あって俗世の事に俺が直接手を出す事は出来なかったんだが、まぁそれでも話を聞くぐらいなら出来るからよ」
「そうか……」
何で今更、とか、何もできないなら帰れ、とか、正直なところ思ってしまった。想像だが、この状況を何とかする事も出来る存在ではあるのだろう。同時に、言っても仕方ないんだろうな、とも感じる。
愉快犯、というのは少し違うのだろう。どちらかというと、知人が死にそうだから様子を見に来た、といった感じだろうか。陽気にふるまってはいるが、オッサンの様子にはどこか気遣いを感じる。
「で、神さんはなんて言うか、だったか?―――何も言わねえよ、あいつは」
まるで知り合いの事を話すかのように気楽な口調でオッサンは告げる。まるで世間話のように言われた事実に驚いていると、何でもない事のようにオッサンは続ける。
「神は何もしねえし、何も出来ねえんだよ、基本的にな。そりゃ勿論、死んだ後なら仕事だから地獄送りやら天国送りやら異世界送りやら色々やるけどな?生きてる人間は別だ。……それにお前の言う神ってあの人妻好きなドSの事だろ?あいつ、人間の事はペットくらいにしか思ってねえぞ?」
「いや、ペットって…………」
それは流石に言いすぎなのではなかろうか。いや、だって聖書でも…………あれ、事実では?
「一応、仕事は出来る奴だぞ?キャラが薄い息子とセットでよくバラエティー番組に出てるから、人気者ではあるしな?」
俺が微妙な顔をしている事に気づいたのか、オッサンが一応の弁護らしきものを投げかけてくる。
「いや、でも、えぇ……………」
息子さんもキャラが薄いってどういうキャラ付けなんだそれ……。知りたくなった、そんな事。
「で、お前さんのやろうとしてることな。ぶっちゃけ、そんなに珍しくもない。タブーになってる事は確かに多いんだが、死者への弔いとしてやってる奴らも結構いたし、薬の材料に子供を使うなんてのもあった話だ。いい事だとまでは言わねえが、お前さんが思うほど許されない事でもねえよ。まあ、この辺は一人一人主義主張やら信条やら色々あるだろうから、気にするなとも言えないんだが」
あっけらかんとした口調でいろいろと衝撃的な事をオッサンは言う。
「いや、でも、人として許されていい事じゃないだろう……?」
他人事なら人それぞれで終わってもいい話だが、自分がやるとなると許されていい事だとはとても思えない。まして、友人を切り刻むなんてクソみたいな行為をした後だ。
「まあ、何を言おうが俺は第三者で、お前は当事者だ。当事者の行動に第三者がうだうだ言うのは無粋だろうさ。俺が言いてぇのは、人類の道徳って別に大したことねぇぞって事だけだ。生きたまま寸刻みやら猫の火あぶりやら、酷え話は他にいくらでもあるし………神もそこまで人間に期待してねえぞ?それに俺が許されるって言ったところで、お前さん、満足するか?他人に言われたからって満足しちまうなら、それはそれで人間としてどうなんだ?」
「それは……」
正論ではある。
同時に、無責任だなとも感じる。
結局の所、このオッサンはどこまでも傍観者で、どこまでも他人事なのだ。
「―――結局、何が言いたいんだよ、アンタは」
本当にただ、喋りに来ただけ。
それ以上もそれ以下もなく、傍観者として、言いたい放題言いたかっただけ。
何がしたいのか分からず、思っていたよりも低い声が出た。
……するとオッサンは、申し訳なさそうに頬を掻く。
「あー、怒らせちまったかな?すまん。やっぱ人間ってよく分かんねえんだ。じゃあ、最後にこれだけ言っておく。助かる道はある。だが常識や良識の中に、答えは無い。考えろ、そして導き出せ。―――俺がお前さんに言える、最大限の助言だ。足掻けよ、坊主」
真面目くさった顔で言い残し、オッサンはフッと煙のように消えた。
さっきまですぐそこに立っていたと言うのに、見渡しても足跡すら見当たらない。
「あ………………」
まるで、白昼夢みたいだ。
いや…………もしかすると、本当にそうだったのかもしれない。
こんなところにあのオッサンがいるなんて、普通ならあり得ない話なのだから。
いや、でも、まさか………………
「―――い!……おい!どうしたんだ!生きてるか!?」
急に大声が聞こえてきた。
身を切るような寒さと共に、急に現実が迫ってきたように感じる。
どうやら少し離れたところから、男が声をかけてきていたようだ。
「ああ、大丈夫だ」
ついさっきもこんなやり取りをしたなと思いつつ、心配する男に答える。
男は明らかにホッとした顔をした。
「………死んでるのかと思ったぞ」
「すまない」
だいぶ心配させてしまったらしい。少し申し訳なく思いながら、雪原の向こうに聳え立つ岸壁を見上げる。鈍く輝く岸壁に……フッと、オッサンの言葉が脳裏によぎった。
―――きっと、無理だ。
―――常識的に考えて、そんな事、出来るはずがない。
―――だが、もし、可能なら………
◇
「常識で考えれば、不可能だ。何の装備もない遭難した人間が、雪の中、アンデス山脈を越えるだなんて」
「ですが、貴方達はそれを成し遂げました。自分たち以外何の助けもない、あの状況から」
「何の助けもない………か。本当にその通りだ。我々には、何の助けも無かった。ただ、足掻いただけだったんだ」
「そういえば一度だけ、前も見えないような強風が急に止んだ事が、あったような気がする……」
なんて付け足したら野暮ですかね。
スターゲイザーパイをパイ投げアタックする話とどちらを書くか悩み、こちらを選びました。何かを間違えた気がしてならないです。
そして、これを「食事」と言い張る勇気……。