第九八九話、皇帝陛下の玩具
『御報告いたします。我が軍は、テルセイラ島ならびにサンタマリア島を占領いたしました。残存戦力の捜索を行っていますが、敵は夜にうちに撤退した模様です』
モニターごしの部下からの報告に、ムンドゥス帝国親衛軍、ササ長官は頷いた。
『ご苦労』
上がってきたレポートに目を通すササだが、仮面に隠されたその素顔が今どのような表情なのか周囲から窺い知れない。
『まあ、見事なものだよ。君も見るか、テシス大将』
執務室に招いた紫星艦隊司令長官、ヴォルク・テシス大将はレポートを受け取る。
「包囲艦隊に被害が出ましたね」
『うむ、我々は敵を些か甘く見ていたようだ』
ササは答えた。
『アメリカとイギリス、ドイツの主力艦隊を叩いた今、ろくな反撃戦力は残っていないと見ていたが、旧式戦艦とはいえ八隻が沈められた』
「こちらの戦果は、ほぼないようですが」
『島を占領した。それ以外に、と言われると君の指摘の通りだよ。……耳が痛いな』
「相手は、おそらく日本海軍でしょうな」
すっとテシスが真顔で言えば、ササの頭が動いた。
『それは間違いない。我らの偵察部隊がアメリカ、カナダの水上艦隊の様子を探っているが、そちらに動きはない』
消去法でみても、日本海軍の仕業であろう。
『やはり彼らは侮れない。地中海で君の艦隊を奇襲しただけのことはある』
「……」
テシスは無言である。司令部がマルタ島からクレタ島に移動していて難を逃れたが、旗艦であった『ギガーコス』と僚艦『ドランシェル』が、改装工事中のところを叩かれ、完全破壊された。
所属する艦隊にも被害が出ており、再編にかかる時間がまた延びてしまった。
『テシス大将』
「はっ」
『戦功を狙うなら再編を急ぐことだ。アゾレス諸島は落ちたが、このレポートを見れば、皇帝陛下はすぐに二千艦隊を動かそうと仰るだろう』
二千艦隊――皇帝陛下の艦隊。およそ二千隻近い艦で構成される皇帝自慢の玩具、直轄艦隊である。
皇帝の一言で政治も何ものにも縛れることなく動く、彼だけの艦隊。帝国軍にあって最強の皇帝のイエスマン。皇帝に対して、絶対にノーと言わない軍隊である。
『皇帝陛下は、日本軍を相手に遊ぼうというのだ』
そのためにこの世界に主力ともどもやってきた。有力な戦力を有するアメリカ、イギリス、ドイツの主要艦隊が壊滅した今、皇帝が遊べる海軍は日本だけとなっている。せっかく来たのに自慢の玩具で遊べないのは、彼は望んでいない。
『君も、皇帝陛下の親衛隊であれば、その後詰めとして控えていなければよろしくない立場であろう? 日本軍は転移を活用する軍隊だ。側面、背後を固めるのも重要な役割である。親衛軍としても、皇帝陛下には全力でお遊びいただかなければならない……。わかるな?』
・ ・ ・
1月23日、異世界帝国、帝国第二艦隊が地中海を出て、バミューダ諸島へ向かっているのが確認された。
アゾレス諸島を奪回され、異世界帝国の次なる手。これに米英政府ならびに軍は恐れおののくのである。
ブリテン奪回作戦、南米侵攻作戦で、米英海軍は主力艦隊を喪失。バミューダへ向かう敵艦隊に対して正面きって迎撃できる戦力はなかった。
大西洋での危機。
しかし日本もまた対岸の火事と決め込む余裕はなかった。
異世界帝国軍は、太平洋に乗り出してきたのだ。
『サモアにて敵大艦隊出現。水平線の彼方まで、敵の艦隊で埋め尽くされている!』
南方方面艦隊、第11航空艦隊の偵察隊から悲鳴のような報告が届き、内地に転送。軍令部ならびに海軍省は半ばパニックに陥った。
異世界帝国は何の予告もなく、突然南太平洋に軍を進めてきた。1月25日、サモアに異世界帝国軍が強襲上陸、占領。
敵は西進するかと思われたが、その進路はソロモンではなく、ギルバート・マーシャル諸島方面へと向いていた。
「数千隻の大艦隊……」
海軍大臣兼、軍令部総長の嶋田 繁太郎大将は絶句する。
大西洋から敵が進出してきた、とかスエズ運河を超えてインド洋に出てきた、というのならまだわかる。
だが南太平洋に大軍が現れるなど、想像外であった。
「これほどの大艦隊が、マーシャル諸島へ進撃してくるとは……」
見たくもないものを見たという顔になる嶋田。小沢 治三郎軍令部次長は寄越された情報に目を通し、眉をひそめる。
「敵情の把握が甘いですな。遮蔽機による偵察が難しくなったせいもありますが、この数をそのまま受け取ってもいいものかどうか」
「というと……?」
「構成がわからなければ、敵を過大評価しているのか、あるいは過小評価しているのかわからんということです」
この数千隻の数の半分を、たとえばルベル・クルーザーが占めているのか、または有人型の戦艦、空母なのかで総合的な戦力の値も変わる。
大半がルベル・クルーザーであれば、数で劣勢であろうとも現状の日本海軍でも戦術次第で何とかできる。だがそうでなければ……総力を上げた迎撃をせねばならない。
「ギルバート諸島は哨戒拠点と小規模な基地しかなく、抵抗はほぼ不可能でしょう」
小沢は言った。
「すぐに撤退させるべきです。そして我が軍は次のマーシャル諸島に敵がやってきたところを迎え撃ちます」
異世界帝国軍がマーシャル諸島の各基地に攻め込んだところで、連合艦隊ならびに各航空艦隊を結集し、後背を衝く。
現地の守備隊はおそらく蹴散らされるだろう。だが敵の戦力が島の制圧に割かれているところを狙い、連合艦隊ほか主力をぶつければ、数の劣勢でも一撃を見舞えるのではないか。
「失礼します、総長!」
軍令部第三部長の大野 竹二少将が駆け込む勢いでやってきた。
「どうした? 落ち着きたまえ――」
「マーシャル諸島、各基地が敵の攻撃を受けました!」
「なにっ!?」
嶋田、そして小沢は目を見開く。
「アステールほか円盤兵器群がクェゼリン、エニウェトク、マロエラップ他マーシャル諸島の我が軍拠点を攻撃。飛行場ならびに守備隊は大打撃を被ったようです!」