第九七六話、戦場はドーバー海峡
異世界帝国艦隊がドッガーバンクに現れた。
イギリス東方およそ100キロの沖合。古代オランダの言葉で、釣り舟という意味を持つそこに敵は大艦隊を送ってきた。
ダブリン近くに展開していたイギリス海軍G部隊は急報に接する。ブルース・フレーザー本国艦隊司令長官は敵の規模に眉をひそめる。
「当たり前のようにこれだけの敵を送ってくる。異世界帝国は充分過ぎるほどの増援をこの世界に送り込んでいたのだな」
英独加艦隊の総数に匹敵する敵艦隊。しかもこちらは艦隊決戦に不向きな護衛空母やスループなどを加えての互角では、正直劣勢といわざるを得ない。
「敵はこのままの針路ですとドーバー海峡を通り、大西洋へ出てくると思われます」
航海参謀の報告に、フレーザー大将は首肯する。
「まず狙われるのは、プリマスに上陸した部隊と船団ということだな」
「仕掛けるのであれば、やはりドーバー海峡ですか」
参謀長は告げた。
イギリスとフランスの間にあるイギリス海峡、フランスではラ・マンシュ海峡と呼ばれるその場所。一番互いの陸地が近い場所がドーバー海峡、フランスでカレー海峡となる。一番狭い場所で約34キロである。
大艦隊といえど、必ず通過する場所であれば捕捉は容易く、見逃すことはほぼない。つまりは敵対勢力がもっとも待ち伏せしやすいポイントであるということだ。
そして英独艦隊にとっては、通過しようとする異世界帝国艦隊を迎撃する立場にある。
「しかし敵が多すぎる」
戦艦では3倍。小型空母を除いた空母はこちらが20、向こうが30。艦載機搭載数で見れば、こちらは半分程度しかない。重巡洋艦も3倍、軽巡洋艦・防空巡洋艦でおよそ半分。駆逐艦が唯一2.8倍でこちらが勝っているが、空母の護衛などで後方に控えている数を考えれば、やや優勢程度と見るべきか。駆逐艦の不足は、敵は軽巡で補ってくると思われるので火力で見ればむしろこちらが不利か。
「アゾレス諸島のH部隊や南米のアメリカ艦隊も、有力な敵艦隊と交戦したのだろう?」
それでこの戦力をイギリスにも向けてくるのだから、完全に異世界帝国軍はその戦力を回復したと見るべきである。
「日本海軍に支援を求めますか?」
「アドミラル・タケモトの艦隊か」
しかしフレーザーは眉をひそめる。
「あちらはゲートの敵を抑えている。こちらに援軍を回せる余裕はあるまい」
だが仮にイギリスに来ている特務艦隊の戦力を加えたところで、敵艦隊に対して圧倒的な劣勢であるが。
だが陸軍は上陸し、故国奪回のために戦っている。ここで簡単に撤退などできるものか。この日のために準備してきた時間、物資などを考えれば、気分でやり直せるようなものではない。
「ロイヤル・ネイビーは見敵必戦。ここで引くわけにはいかない」
たとえ劣勢であっても。
「G部隊はドーバー海峡にて敵艦隊を迎え撃つ。各隊、集結せよ」
フレーザーの決意は固く、旗艦『ライオン』以下、本国艦隊主力は、日本海軍の転移ゲート艦の支援を受けてプリマスへ移動。ドーバー海峡へ向かって西進するのであった。
・ ・ ・
日本。軍令部次長、小沢 治三郎中将は九頭島軍港にやってきて、遊撃部隊指揮官である神明 龍造少将に面会した。
「イギリスに向かってもらいたい」
九頭島司令部の作戦室にて、小沢は神明と部隊参謀たちに伝えた。
「ロイヤル・ネイビーは、ドーバー海峡にて敵と戦う腹づもりだ。だが戦力差は圧倒的だ。正直、連合艦隊が出動するくらいの戦力が必要だが、言うまでもなく連合艦隊は動かせん」
とはいえ、神明の預かる戦力でできることなど高が知れている。
「遊撃部隊であれば何ができそうだ?」
「嫌がらせ程度。具体的には敵戦力の漸減でしょうか」
神明は答えた。
もとより艦隊を全滅させられるほどの戦力ではない。魔法陣型転移ゲートを使ったシベリア送り戦法、異世界氷の壁を使った体当たりなど、敵艦隊を一挙に叩ける攻撃はすでに対策されて使えない。
ここ最近、遮蔽も対策されているため、奇襲攻撃も以前ほど簡単ではなく、偵察も難度も増している。
「せめてイギリス・ドイツの主力艦隊が、同等に戦えるレベルにまで漸減できれば、勝機も出てくるとは思います」
「それができれば、な」
小沢は、そうだろうな、という顔をした。
「できるか?」
「戦力の増員をお許しいただけるのなら」
連合艦隊は動かせない。そうなれば、軍令部直轄戦力から、となるが――
「再編中の第三航空艦隊か? それとも第九艦隊と第九航空艦隊か?」
それならば、多少調整は必要だが、軍令部の権限で使えなくはない。小沢は思ったが神明は続けた。
「無人艦隊を」
「駄目だ」
小沢は却下した。
「連合艦隊が再編、練兵中の今。無人艦隊は日本を守る防衛戦力だ。数が用意できるとはいえ、現状を考えれば戦力を消耗させるわけにはいかん。特に弾薬の充足率が悪い」
連合艦隊の主要艦艇に優先されているため、無人艦隊の各艦艇の砲弾の搭載量は多くない。
「今、一戦でもやらせれば、たとえ艦が無傷だったとしても当面補充が効かない。そこを敵が攻撃してきたら、無人艦隊は張り子の虎になるぞ」
「撃たなければ、どうです?」
神明は食い下がった。
「敵を引きつける囮として使います。無人艦隊で戦闘はやらせない。……それならどうですか?」
小沢は腕を組んで思案する。神明の言い分からすれば、敵艦隊を陽動するために無人艦隊を使い、空襲なり敵水上艦が向かってくるなりした場合、転移で離脱させるということらしい。
燃料の方は東南アジアやアメリカからの輸入でどうとでもなるから、整備の手間は発生するが、弾薬を消費しないのであれば英国に貸しを作る程度の価値はあるだろう。
「張り子の虎か……」
小沢は自重する。
「よし、具体的な策を聞こうじゃないか。それで俺を納得させられれば、無人艦隊の件、俺が何とかしてやる」
「わかりました」
神明は漸減案を小沢に説明した。敵艦隊への嫌がらせの数々を。




