第九三七話、海の魔物に銛を撃て
「うわー、それ本気で言ってます? ええ、もう……」
第七航空戦隊、空母『赤城』艦攻隊第二中隊を率いる檜木勝善大尉は、榎木飛行長から新たな指示を受けて、間の抜けた声を発した。
「海のバケモンって……ナンですかそれ?」
「オレも知らん」
榎木は、きっぱり告げた。
「しかし機動部隊司令部からのお達しだ。諦めて化け物に誘導弾を届けてこい」
「……しかしですなあ、飛行長」
檜木は口を尖らせた。
「いままで戦ったことないような相手ですよ?」
「何事にも最初はある」
「聞いた話じゃ、四十だか五十ノットくらいで突っ走るっていうじゃないですか。そんな早いもんに、誘導弾をぶち当てるって、照準器が追従できるんですか?」
「高速のモーターボートを狙えっていうんじゃないんだ。的は、伊号潜水艦よりデカいらしい。そんなデカい的を当てられないようなヘタ糞は、日本海軍にはおらんと思うがな」
「……五十ノットを舐めてませんか?」
「舐めてはおらん。しかし、飛行機に比べたら全然遅いということを忘れるな」
そこで榎木は意味深な笑みを浮かべた。
「ここで仕留めれば、お前さんの戦歴という名の勲章が増えるだろう。初物殺しの異名がつくかもしれん」
「勲章なんぞもらったことはないですが、……しかし異名は、いいかもしれませんな」
檜木は顎に手を当て、ニヤリとする。榎木は言った。
「かの旗艦級戦艦、キーリア型とかいうらしいが、そいつの初撃沈をやってくれたお前さんだ」
アメリカ本土防衛戦――バミューダ島沖海戦での折り、異世界帝国艦隊、第一戦闘軍団の旗艦『キーリア・デオ』を沈めたのが、当事、T艦隊の『雲龍』艦攻隊を指揮していた檜木大尉である。
「今回も我が海軍の先駆けとして、海の化け物を退治してこい!」
「わかりました」
かくて、『赤城』の艦攻隊に、敵性不明生物討伐の任務が下された。
・ ・ ・
攻略部隊が撤退したタマタヴ沖を、敵性生物はしばし回遊した。
この間、第十七潜水戦隊のマ号潜が、これと遭遇したが、魚雷攻撃は通用せず、最初に交戦した伊612が体当たりで返り討ちにあった。
以後、出くわしたマ号潜は、攻撃は仕掛けど、体当たりには転移で避けるしかなく、離脱を強いられることになる。
この一連の遭遇により、小沢は潜水艦部隊の一時退避を要請した。潜水艦と戦うために生物が海に潜ると、接触している偵察機が見失ってしまうからだ。空から見つけられないとなると、特別艦攻隊が攻撃することもできない。
機動部隊からの要請を受けて、攻略支援部隊の大西 瀧治郎中将は、第十七潜水戦隊に離脱を命じた。
海域に潜水艦がいなくなり、敵性生物はやがて、もう獲物はいないと考えたのか、迷走するように移動した後、小沢機動部隊の方へ針路を向けた。
機動部隊の旗艦『武尊』で小沢は、この動きに顔をしかめる。
「遠方にいながら、敵はこちらがわかるのか」
レーダーやソナーがあるわけでもない。しかし偵察機が割り出した針路上に、小沢機動部隊が存在する。
「海の生物ですから、機械よりも優秀な目や耳を持っているのでしょう」
神明は言った。動物の能力は、人間のそれでは及びもつかないことも多々ある。それは聴覚だったり嗅覚だったり。地磁気を感じとり、位置や方位を割り出すことができたり、などなど。
大前参謀副長は海図を見下ろした。
「艦攻隊がやってくれなければ、我々も転移退避する羽目になりそうですね」
「上手くやってくれることを期待するしかない」
小沢は憮然とした表情のまま告げるのだった。
・ ・ ・
「あれか……」
檜木大尉と流星改二、九機はマダガスカル海上を高速で移動する岩の塊のようなものを視野に捉えた。
波を割る先端に尾びれのようなものがついている。鯨でも鮫でもない黒い塊が高速で北上している。
「何が伊号潜よりデカいだ。体の半分以上、海の下じゃないか」
せいぜい呂号潜水艦くらいの大きさが波を被って、出たり入ったりを繰り返している。艦舷は低い……と言いかけ、そもそも生き物だからそれは違うと思い直す。
「ふざけやがって! あれを狙えってか。――山田! 目標の後方から真っ直ぐ追尾しろ」
「了解です!」
これだけ早いと横からだと狙いにくい。後ろから追いつく感じで狙うほうが、左右に振る量が少ない分、当てやすい。
誘導装置をセットアップ。スコープを覗き込んで――
「あっ!」
「あ?」
目標が潜った。どんどん深く沈んでいくせいで、あっという間に上からは見えなくなった。
「おいくそ、冗談だろ!」
四式転移誘導弾を撃ち込むだけの簡単なお仕事だったはずだ。だが敵性不明物体は、潜航してしまい、空から狙えなくなってしまった。
檜木は歯噛みし、通信機を操作する。
「機動部隊に連絡する! 敵を見失った! 敵は潜航!」
・ ・ ・
機動部隊旗艦『武尊』。檜木隊が、目標を喪失した報告が届き、司令部は騒然とする。
「潜った?」
「逃げたのでしょうか?」
「こちらに向かって? いやそれはないだろう」
海に潜りつつ、機動部隊に向かって突進を続けているはずだ。大前が唸る。
「しかし、海中にいられては、攻撃隊も誘導弾を撃てません。対潜魚雷では敵に通用しませんし」
「囮が必要になるな」
神明はポツリと言った。小沢は視線をやる。
「詳しく」
「はい。敵は水上艦艇を攻撃する際、海上に出てくるようなので、こちらは囮を出して敵の攻撃を誘います。そこを、艦攻隊が四式を叩き込む」
「うむ、なるほど。で、肝心の囮だが――」
「攻略部隊から、無人艦を借りましょう」
神明は言った。敵性生物についてはまだわからないことが多い。突発的な行動で無用な犠牲を出すのは避けたかった。