第九一九話、ムンドゥス皇帝とテシス大将
南極の地で、日本海軍とムンドゥス帝国が交戦している頃、遠く離れた北の海に、艦隊が集結していた。
亡きサタナス元帥が主導した日本本土侵攻作戦。
それに参加したムンドゥス帝国艦隊、その残存戦力であった。
「……酷くやられたものですな」
紫星艦隊参謀長のジョグ・ネオン中将は、惨憺たる帝国艦隊の姿を見やり、そう口にした。
この海域には、本営艦隊、征服軍第一艦隊、同第二艦隊と、ゲート展開部隊など、日本連合艦隊との激戦の中、生き残った艦艇が集まっている。
もちろん紫星艦隊も。
「参謀長」
「はい。何でしょうか、スイィ首席参謀」
ネオンが頷くと、フィネーフィカ・スイィ大佐は口を開いた。
「艦隊は、まだこのままなのでしょうか?」
「そうですね、まだ指示は出ておりませんから」
地球征服軍の拠点であるティポタは、今、日本軍が攻めてきているという。サタナス元帥の日本侵攻作戦で、各地で艦隊同士がぶつかったにも関わらず、日本海軍は艦隊をティポタに送り出す余力があるという。
これは恐ろしいだと、初老の参謀長は思うのだ。
「気になりますか?」
「ええ、まあ」
スイィは曖昧な態度をとった。敬愛するヴォルク・テシス大将は、今、本国との通信のため専用室に入ったまま戻ってこない。
失敗した日本侵攻作戦の経緯を説明しているのだろうが……。
「今回の件で、閣下が責を負う可能性は高いのでしょうか?」
「さあ、どうでしょうね」
さほど気にしていないようにネオンは答えた。
「皇帝陛下の決められることですから。……不安ですか?」
「はい、まあ……」
司令長官が不在だとこれか――首席参謀の態度に、ネオンは内心呟いた。
「作戦の主導は、征服軍司令部のものであり、作戦の責任においては、そちらにあります。我らがテシス大将は、一部隊の指揮官ですし、あの方の撤退指示にしても、妥当だと私は思いますがね」
戦闘中による旗艦の損傷。上陸地点が封鎖されたことで、舞鶴上陸は事実上、不可能であった。
「他の誰が指揮官だったとしても、あれは無理です。そう考えると、テシス大将に不手際があったとは認められません。客観的に見れば、ですが」
ネオンはそう判断するが、結局のところ、皇帝陛下のご機嫌次第であろう、というところに着地するのであった。
・ ・ ・
ムンドゥス帝国皇帝は、独裁者であり、時に気分で物事を判断することがある。
普段は豪胆にして冷静。しかし世の中に完璧な人間がいないように、時々拗ねたり、気分で判断する。
今回、皇帝親衛隊であるヴォルク・テシスが、サタナス元帥の進めた日本本土侵攻作戦の顛末について報告した時に限れば、皇帝は機嫌のいい方だったと言えた。
『――そうか、サタナスは雄々しく散ったか」
地球征服軍司令長官、サタナス元帥の最期に、皇帝は瞑目した。
『それでこそ、ムンドゥスの戦士である』
この様子では、サタナス家のお家取り潰しや所領の取り上げなどはないな、とテシスは思った。
姑息な臆病者には、まったく容赦のない皇帝である。一方で彼は戦士を優遇するから、たとえ死んだとしても、一定の敬意を払い、遺族にも手厚い男でもある。
『あやつの息子、ゲラーンはどうしたか?』
「最後まで戦線に踏みとどまりましたが、敵の猛攻の前に万策尽き、撤退しました。生きています」
『生きておるか。よく無事に逃げられたものだ』
「転移装置付きの軍艦に乗っておりましたから」
『ほう、転移装置……』
思わせぶりな声を出した皇帝。テシスは付け加えた。
「私が授けた戦術の実行のために、載せるように勧めたのです。それがなければ、彼も討ち死にしていたでしょう」
『運のいい男、ということか。なるほどわかった』
皇帝はそこで話を、作戦経過に戻した。
『――貴様でさえ阻まれた日本軍の策。これは見事なものと褒めるべきなのだろうね』
「敵の切り札が、我が発明のクリュスタロスであるのを確認し、それによる艦隊殲滅は回避できたのは収穫です」
彼らが異世界氷と呼ぶ氷の巨大なる壁。これによって葬られたムンドゥス帝国艦隊もある。
『敵の切り札を切り札でなくした。よくやった、テシス大将』
「はい、閣下。しかし、あの壁をよもや上陸阻止の壁とするとは、この私も驚嘆させられました」
『転移で移動する防壁か。日本軍も実に面白い使い方をするものよ。ますます実際に目にして戦いたくなった』
「では、いよいよ……」
この地球世界に皇帝陛下が来る――テシスは心の中で呟いた。
『左様。兵力を集まった。地球世界の住人どもの抵抗が、今から楽しみだ」
彼は、狩りを楽しむように地球世界にきて、侵略と破壊を楽しむつもりだ。初めは資源獲得のための戦争だが、派遣した征服軍がやられたことで、皇帝は本気の『戦』を堪能しようとしているのだ。
「よろしいでしょうか?」
『何だ?』
「今、日本軍がティポタに攻撃を仕掛けております」
『うむ、それは余も知っている。本国ゲート防衛艦隊が、慌てて出ておったが』
あまり気のない口調の皇帝である。ムンドゥス帝国本国に敵が来るかもしれない、という危機感はまったく感じられない。
ゲート防衛艦隊に絶対の信頼を寄せている――わけではなくこれは。
――切ったな、陛下は。
『返り討ちにできないようなら、ティポタは放棄し、ゲートも破棄するよう命じた。地球世界に行くのに、ティポタでなければならないという理由もない』
「はっ」
皇帝が他人事のように振る舞うわけである。ティポタが放棄されるのであれば、こちらに集まっている艦隊から、戦力を抽出して援軍に向かう必要もない。