第九〇〇話、切り札投入の末路
若狭湾に出現したムンドゥス帝国艦隊は、航空戦艦2、戦艦20、空母30、巡洋艦50、駆逐艦80。そこに多数の揚陸艦、輸送艦で構成されていた。
それらを確認した日本海軍の彩雲偵察機の報告には、これまでと異なる一文が添えられていた。
『敵はいずれも未確認の新型。艦体の色は一部を除き、緑!』
紫の艦隊ならぬ緑で塗装された艦隊が現れたのだった。
その一部、緑ではない艦が2隻、航空戦艦――プロトボロス級であり、それぞれが艦隊旗艦として一群を率いていた。その艦体色は紫、つまり紫星艦隊の所属である。
紫の艦が率いていることから、この緑の艦隊は、異世界帝国であろう――日本軍は、そう判断した。
そして、切り札である海氷島を、敵艦隊にぶつけた。
転移で現れた巨大なる異世界氷の塊は、まず舞鶴鎮守府に近い一群を押しつぶした。つまり航空戦艦1、戦艦10、空母15、巡洋艦25、駆逐艦40を。
波が起き、艦隊があった場所に巨大な氷壁が存在する。この光景は、ムンドゥス帝国将兵らを驚かせた。
遮蔽で潜伏している紫星艦隊旗艦『ギガーコス』でもまた、兵たちは目の前で起きた状況に愕然としていた。
紫星艦隊参謀長、ジョグ・ネオン中将は、呆れ顔になる。
「第二戦闘軍団を破壊した氷の壁というのは、本当だったわけですな」
「信じがたい気持ちは、わかるがね」
紫星艦隊司令長官、ヴォルク・テシス大将は薄く笑みを浮かべた。
「一応、対策はしていたが、この目で見るまでは半信半疑であった」
疑ってはいたが、実際に十数キロの巨大物体が転移してくるのを目の当たりにして、認めざるを得なかった。
「地球人は、我々と劣るところのない。つまりは対等かそれ以上の技術を有している。これを見れば、本国の連中がどれほど地球を下等な世界と見ていたとしても、認めるしかないだろう」
「おや……」
ネオン参謀長は、目の前の景色が変わったことに気づく。見張り員が叫んだ。
『氷山の壁、消滅! 転移しました!』
「ふむ、ベータ群を潰しにかかったか」
テシスは冷静である。
『氷山の壁、再出現!』
二群に分けた艦隊――最初に潰されたのがアルファ群。そして次に体当たりを食らったのがベータ群である。
だが――
『アルファ群、健在の模様』
潰されたように見えた一群は、無事な姿を見せていた。何事もなく、おそらく1隻も破壊されていないだろう。
フィネーフィカ・スイィ首席参謀が口を開いた。
「全艦、無事なようですね。閣下の推察通り――」
「あの氷は、我々が持ち込んだクリュスタロスだった」
テシスは相好を崩した。
「私が、太平洋艦隊司令長官だった頃、マーシャル諸島やハワイ近海に多数ばらまいた人工氷だ。日本人は、クリュスタロスを解析し、自分たちの兵器に組み込んだ」
もし本物の氷で作っていたなら、艦隊は無事では済まなかっただろう。……常温で溶けない氷の壁という時点で見当はついていたが。
おかげで一応の対策が図に当たった。
「あれは私の特許なのだがね。日本人はあれの溶かし方を知っているのだろうか……? まあいい。あれがクリュスタロスの塊であるとわかった以上、我が紫星艦隊には氷山の体当たりは無効だ」
テシスは司令官席から振り返った。
「情報参謀。本営艦隊、サタナス元帥に教えてやれ。敵の氷山の壁は、クリュスタロスの塊であると。私の教えた対策を使えば……まあ、旗艦くらいは体当たりされても助かるだろう」
他の艦が対抗装備を搭載しているかは知らない。作戦前にサタナス元帥の『プルートー』と、ゲラーン中将の『クレマンソー』には念のためと装備させたが、確定ではなかったから、それ以外の艦についてはわからない。
ともあれ、紫星艦隊の舞鶴上陸作戦は続行された。
・ ・ ・
海氷島の体当たりが通用しなかった。
この報告は、舞鶴鎮守府はもちろん、軍令部や連合艦隊にも衝撃を与えた。
「海氷島がぶつかっても敵が健在だと!?」
軍令部第一部長、中澤 祐少将、そして第一部部員たちも信じられない面持ちだった。どうして敵は巨大な氷壁に押しつぶされず、無傷で存在しているのか。
あり得ないことに動揺も大きい。本当なのか、誤報ではないかと疑う者さえいたが、偵察機のみならず、舞鶴鎮守府からも報告が相次げば、事実なのだろうと認めなくてはならなかった。
「これはまずいことになったぞ……!」
第七艦隊が、若狭湾に急行中であったが、海氷島で漸減するはずだった敵がそのままの戦力とぶつかる。連合艦隊は、さらに戦力を送ったらしいが、それで間に合うのかどうか。
一方、現地に向かいつつある第七艦隊、旗艦『長門』では――
「海氷島が効かないとか、考えもしませんでした!」
阿畑参謀長が、あからさまな声を上げる中、司令長官である武本 権三郎中将は、口ひげを撫でつけた。
「まあ、あの氷の塊も異世界産だったからな。どう扱うか、敵さんも心得があったということだろうよ」
老練なる指揮官の表情は厳めしいが、参謀たちと異なり動揺を見せることはなかった。
「……落ち着いてますね」
「馬鹿モン! 司令部要員たるもの、いちいち動揺などするでないわ! わしらの若い頃は、異世界人の技術とその解析に一喜一憂したもんだ。確かに今回のことは驚くべきことだろうが、腰を抜かすほどではない」
「腰を抜かしたことがあるんですか?」
「阿畑、貴様、いつもの調子に戻ったようだな」
武本はジロリと参謀長を見た。
「海氷島が通用しなかったことは事実として受け止めろ。……とはいえ、この戦力差は、ちと厳しいのぅ」
決定的な切り札が切り札として機能しなかった。敵の数が減っていない以上、奇策を用いるにしろ、戦艦7、空母6、大型巡洋艦4、特殊巡4、軽巡洋艦5、防空巡4、転移巡3、駆逐艦13で何とかしないといけないのである。