第七七四話、バミューダ諸島沖大海戦
その日、ノーフォークを出撃した、レイモンド・スプルーアンス大将のアメリカ大西洋艦隊は、異世界帝国艦隊前衛・第二群へ向かって進撃していた。
敵は、昨夜バミューダ諸島を通過した。米本土の目と鼻の先である。陸軍航空隊が頼りにならない今、敵を懐に呼び込む必要はない。
「皇国の興廃この一戦にあり、か」
「何です?」
カール・ムーア参謀長が眉をひそめれば、スプルーアンス大将は薄く口元を緩めた。
「日本の友人から聞いてね。日本がロシアと戦っていたかの戦争で、バルチック艦隊を撃滅した戦いで日本艦隊が掲げたZ旗の意味する言葉だ」
「Z旗? タグボート求む、ではないのですか?」
「国際信号旗としてはそうだ。Zはアルファベットの最後。つまり後がない、ということに絡めて、艦隊乗員の士気を盛り上げたのだそうだ」
「そうなのですか」
ムーアは特に何も感じなかったようで、小さく肩をすくめた。
「不思議なものですな。我々がやったとしても、意味は通じないでしょう」
「ニミッツ大将ならわかるさ。あの人は、有名なトウゴウ・フリークだからね」
かのバルチック艦隊を破った日本の名将、東郷 平八郎を崇拝にも似た感情を持っているのが、太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツという男である。
「今日は一大海戦。歴史にその名を刻む戦いとなるだろう」
スプルーアンスは確信に満ちた表情を浮かべた。
「史上最大の海戦に参加できるのは、海軍軍人冥利に尽きる」
「もう少し、戦力差の優しい戦いだったらよかったのですが」
ムーア参謀長は、いつになくはっきりした物言いだった。どうやら北米防衛戦について色々考えて、精神的にいつもの冷静さがなりをひそめているらしい。
「寝不足かね、参謀長?」
「あなたよりは。いつも二十時になると、仕事を切り上げてお休みになられる、あなたと違いまして」
「よい仕事をするには、きちんと睡眠はとらなくてはいけない。集中力を欠き、正常な判断が下せなくなるのは、指揮官としてはよくないからね」
「睡眠の大切さはわかりますが、それなら、もう少しペーパーワークをご自身でこなされては如何ですか? そうすれば私も寝る時間を増やせます」
「人には得意不得意があるのだよ」
スプルーアンスは、ペーパーワークが大の苦手である。そんな上司を、後年ムーアはこう回想する。
『スプルーアンスほどの怠け者を、私は見たことがない!』と。
その時、艦隊の前衛、レーダーピケット艦が、『未確認航空機の接近』を通報した。単独、おそらく敵偵察機!
「来たか」
スプルーアンスは感情を排したような表情となる。
「各空母に攻撃隊の発艦を指示。敵の位置は――私が言うまでもないな」
「はい。日本海軍の偵察機が、敵艦隊の位置情報を速報してくれています」
まったく、アメリカの庭先で、日本人の索敵情報の方が正しいとは――米大西洋艦隊クルーたちも苦笑を禁じ得ない。
「頼もしいじゃないか」
スプルーアンスは言う。
「正しい航空戦をやるには、正確な位置情報は欠かせない」
いかに数百、数千の航空機を操ろうとも、位置を間違え、辿り着けないのでは意味がない。
大西洋艦隊の空母10隻――エセックス級空母8、インディペンデンス級軽空母2のうち、8隻の正規空母の飛行甲板に艦載機が並べられている。
基準排水量2万7100トン、全長265メートル、全幅45メートルの巨体は、日本海軍の主力空母に匹敵する。
機関出力15万馬力、最大速力33ノットの艦隊型主力空母の傑作といえる。その艦載機は90から102機と、搭載数も多い。
ネイビーブルーに塗られたグラマンF6Fヘルキャット、カーチスSB2Cヘルダイバー、グラマンTBFアベンジャーが、それぞれのエンジンを唸らせて、出撃の時を待っている。
敵偵察機が、大西洋艦隊を発見した。その時には上空警戒のF6Fが、敵偵察機を撃墜にかかっている。
「おそらく通報されましたな」
「今頃、敵艦隊も攻撃隊の準備にかかっているか、すでに待機していたならば発艦を開始するだろう」
スプルーアンスが頷くと、ただちに待機中だった攻撃隊が、各空母から発艦を始めた。
『バンカーヒル』『ホーネットⅡ』『フランクリン』『タイコンデロガ』『ランドルフ』『ワスプⅡ』『ベニントン』『ボクサー』――いずれも開戦後に就役した新鋭空母だ。
「敵第二群の空母は、大型空母5、中型空母5の計10隻。トータルでは若干こちらが少ないが、まだ互角の範囲だろう」
「そうであるなら――」
「そう、我々が優勢ということだ」
スプルーアンスは振り返った。
「ミッチャーの部隊にも命令。攻撃隊を出撃させよ」
太平洋艦隊からの回航された戦力――『エセックス』『レキシントンⅡ』『ラングレーⅡ』が、大西洋艦隊とは別に行動している。
本来なら、『エンタープライズⅡ』『プリングフィールド』『カウペンス』もあったのだが、先日のサンディエゴ沖海戦でやられてしまっている。
しかし一個航空戦隊分の合流は、敵前衛・第二群の航空戦力に対して、米軍側が数的優勢を確保したことになる。せめて、この戦場だけでも。
「最低でも航空戦で互角。優勢で戦いが推移できれば、水上打撃艦隊で、敵艦隊に決戦を挑む」
戦艦18隻、うち『ニューメキシコ』と『アイダホ』は低速なので、艦隊戦には随伴できない。
だが残る16隻はすべて16インチ砲搭載戦艦。新鋭の重攻撃・装甲型戦艦であるモンタナ級5隻は、敵主力戦艦であるオリクト級を上回る。
「もっとも、理想を言えば、極力戦力を残して敵船団を叩き、ニューヨーク方面に向かう敵艦隊を追いたいところではある」
「イギリス紳士の艦隊だけでは、不安ですからね」
ムーアは正直だった。
「しかしまさか、ニューヨーク方面の防衛をイギリス人に託すことになろうとは……」
「そうならないために、我々は各々が奮励努力し、目の前の艦隊をやっつける必要があるのだ」
そしてイギリス・カナダ艦隊と共同し、その敵も撃滅する。
残る三か所については、日本の友人たちに託すしかない。
大西洋艦隊は、異世界帝国艦隊を求めて、波を蹴り、突き進む。
この日、1944年9月2日。バミューダ諸島沖海戦の火蓋が切って落とされた。