第七三七話、逃げる敵。追尾は――
「異世界帝国艦隊、離脱行動に移りつつあり」
航空戦艦『浅間』、T艦隊司令部に見張り員の報告が届いた。栗田 健男中将は眉をひそめる。
「ほう、この状況で敵が引くというのか」
サンディエゴに攻め寄せた敵艦隊は、まだまだ多い。特に、神明参謀長が見立てたところ、世界各国の未成艦艇で構成された異世界帝国艦隊は、戦闘力を充分に残していた。
つまり、死に体の太平洋艦隊と、加勢に現れたT艦隊と互角以上に戦える――と思われた。
藤島航空参謀が口を開く。
「連中、島が消えたんで動揺しているのでしょうか?」
日本軍名称『転移島』は、特殊部隊が設置した転移装置によって、今頃インド洋であろう。
異世界人たちは、何故島が消えてしまったのかわからず、混乱しているようにも思える。
「……大方、燃料だろう」
ポツリと神明が言えば、田之上首席参謀が頷いた。
「おそらくそうでしょう。奴ら、米本土に転移で飛び込んできましたから、島がなくなれば戻るところが近くにありません」
まず太平洋艦隊を撃滅することを優先したからか、敵の補給艦や上陸船団などはいなかった。つまりぞれぞれの艦の燃料タンクにある分しか、彼らにはないということだ。
「燃料切れを心配してか、なるほど」
栗田は顎に手を当てた。
「戦艦はともかく、駆逐艦は確かに不安だろうな。とすれば、敵が向かうのは――」
海図台の上の地図を見下ろす。藤島が言った。
「ハワイですな。そういえば連中、ここを占領していましたから」
それがなければ、果たして彼らは、自分たちの港に帰ることができたか怪しい。南太平洋をはじめ、日米の制海権を突っ切ることになっていただろう。
「敵が戦わずに撤退するのであれば……我々はどうするべきだと思う、神明」
栗田は問うた。藤島は目を剥く。
「ここは追撃ではないのですか?」
敗走する敵を追尾し、戦果拡大を図るのが戦いの常道。古来より、撤退戦を攻め立てるほうがより敵にダメージを与えられるものだ。
神明は事務的に言った。
「我が艦隊は、ここらで切り上げてもよいでしょう」
「神明さん!」
「藤島、今はイ号作戦が優先される。主戦場はインド洋であり、サンディエゴでの戦いは、転移島を確保するついでだ」
「しかし、敵をこのまま見す見す逃すのですか?」
「まさか」
神明は口元に笑みを浮かべた。
「今はまだ敵も元気だ。下手に突っかかれば、こちらも損害と消耗を覚悟しなくてはならない。だが彼らはどうあってもハワイにまで長躯移動せねばならない。その道中を、遊撃隊で襲撃する」
参謀長は、サンディエゴからハワイ、ホノルルまでの行程を指でなぞった。
「連中も無駄に燃料を消耗したくないだろう。この航路で、襲撃部隊を配置する。通商破壊をする潜水艦のように」
神明は、その戦力を口述する。
「転移島を捜索するための、哨戒空母がある。あれで輸送船を駆る要領で、護衛の駆逐艦を沈める。あと、バルト海封鎖作戦を終えて、待機している封鎖戦艦部隊がある。転移ブイを使って、敵針路の先回りして襲撃、そして離脱。これを繰り返しつつ、駆逐艦の数を減らして、潜水艦部隊で戦艦を攻撃する」
「漸減作戦のようだな」
栗田は、かつての対米戦術、米本土からハワイに、ハワイからフィリピンへ移動する敵艦隊を漸減する作戦を思い出した。
「しかし、敵には空母がいるが……どうなっているんだ?」
藤島に確認すれば、航空参謀は答えた。
「はっ、こちらの攻撃と共に航空隊が、敵空母の甲板を叩きましたから、大型空母4、中型空母2、航空戦艦ないし航空巡洋艦9隻の発着艦能力を奪ってあります。しかし、航空巡洋艦数隻と、氷山空母は、まだ航空機運用能力を残しています」
「氷山空母か……」
ハボクック計画にて、イギリスが計画したそれは、つい最近のものであり、計画では全長600メートル級の超大型氷山の空母である。
実はカナダでその計画が進められており、日本海軍の異世界氷の技術を用いて英海軍が現在製作中である。おそらく異世界帝国軍は、英本土を占領した際、ハボクック計画を知り、作ったのであろう。
戦闘機や双発爆撃機、およそ150機を運用するものとされているが――
「とんだ、鈍足のようだが、これはどうする?」
「敵の出方次第ですね」
神明は答えた。撤退の足手纏いとして、殿を任せるならしばし放置してもよいだろう。艦隊が、この鈍足氷山と足並みを揃えるのであれば、ハワイまでの道中の襲撃機会も増えるので、やはり後回しでいい。
うむ、と栗田は頷くと、藤島に再度向き直った。
「円盤兵器は? 確か、サンディエゴに数機が飛んでいったが……」
「ご安心ください。翔竜航空隊を向かわせてあります。こいつらは特殊転移弾ですから、間違いなく撃墜してくれるでしょう」
こちらは、第九航空艦隊から二式艦上攻撃機を借り、対艦誘導弾を積んだ航空隊をサンディエゴへと派遣している。円盤兵器アステールは防御障壁を持っているので、米航空隊では撃墜は難しい。
「米艦隊はどうなっている?」
栗田が尋ねると、白城情報参謀が報告した。
「大打撃を被ったようです」
8隻あった戦艦は無傷なものは1隻もなく、3隻を沈没。2隻が大破したという。
巡洋艦、駆逐艦は半減し、空母も円盤兵器の攻撃で、『エンタープライズⅡ』が大破、『スプリングフィールド』『カウペンス』が撃沈されたらしい。
「先ほど、米艦隊より、救援に駆けつけた件で感謝の電文を受け取りました。太平洋艦隊司令部も円盤の攻撃で破壊されましたが、ニミッツ太平洋艦隊司令長官とその幕僚らは退避していたため無事とのこと」
「それは何よりだが……」
栗田は微妙な表情を浮かべた。
「残った戦力で、追撃とか、あるいは大西洋への援軍は難しいかなぁ」
米軍も、大西洋から侵攻してくる異世界帝国の大艦隊の情報は得ている。英軍と協力し迎え撃つ計画だが、太平洋艦隊からの増援を得られないとなれば、大西洋艦隊のただでさえ苦しい状況が改善されることはない。
「長官。鉄島に待機している輸送船と海防艦をこちらに何隻か回して、米艦隊の漂流者救助に協力しましょう」
「うん?」
「T艦隊は、作戦のために移動をしなければなりませんが、まだ多数の漂流者がいる海域を立ち去るのも寝覚めが悪いですから。米軍に借りを作っておきましょう」
「そうだな。……手配を頼めるか?」
はっ――神明は、白城に言って、特設補給艦の『千早』と海防艦を送るよう手配する。さらにハワイ方面へ逃げる敵艦隊の攻撃のために、部隊を集めると、その攻撃手順の説明に田之上首席参謀を、関係部隊への説明に派遣した。
米残存艦が、味方乗組員の救助を行っている中、ただちにやってきた補給艦『千早』とその護衛艦に、漂流者回収支援を任せて、T艦隊主力は、サンディエゴを離れた。
エレウテリアー島が転移装置によって消えた時点で、インド洋では、連合艦隊がイ号作戦を行い、敵大艦隊の決戦を挑んでいるのだ。