第七二六話、目先の大問題
回廊が一瞬で消え、通過中の戦艦群が一瞬で潰れ爆発するさまを、旗艦の司令塔からピリア・ポイニークン大将は目の当たりにした。
その時の彼女は、自身の赤毛を掻きむしり、発狂に近い大きな声をあげて怒りを露わにした。
ようやくこじ開けた唯一の通路が塞がり、また振り出しに戻ったのだ。旗艦は、氷山の壁の移動に巻き込まれずに済んだが、またも有力な戦艦8隻が失われ、ポイニークンの胃に穴を開けてきた。
第二戦闘軍団は、ジブラルタル海峡を出ることができず、北米侵攻作戦を進める第一戦闘軍団と合流ができない。
参謀長のイコノモス中将は、幕僚たちと作戦室で向き合う。航海参謀が口を開いた。
「敵は後方の補給船団を攻撃しています。艦隊は退却したようですが、散発的な襲撃が続いています。主に潜水艦と少数の航空機が」
「近場の軍港の使用が制限されております」
作戦参謀が言った。
「ここで補給船団を失えば、艦隊は動けなくなり、戦わずして主力が壊滅します」
「では、どうすると言うのだ?」
イコノモスの視線を受けて、作戦参謀は背筋を伸ばした。
「合流は遅れますが、クレタ島に戻り、アフリカ・ゲートからの迂回移動が最善かと。もちろん、第一戦闘軍団の戦いには遅れますが、後詰め部隊として加わることはできます」
「……」
「燃料がなくなり、動けなくなるのを一番避けねば」
「いや、作戦参謀。補給船団については、侵攻作戦中、クレタ島ゲートから定期的に送られてくることになっていた。今の船団に多少の損害が出ても、動けなくなることはない」
しかしそれは、本来、北米侵攻作戦で展開している艦隊のための物資や燃料であって、作戦前に地中海で消費されるものではない。
「ですが、参謀長。あの氷山の壁は、どうやら転移で動けます。回廊を開けても、先のように閉じられてしまいます」
意味はない。氷山を全て破壊したら――おそらく、それだけでどれだけの日時を浪費することになるかわかったものではない。せめて半壊に追い込んだとしても、時間を失うのは想像がついた。
通信参謀がやってきた。
「三、四日、待てば、転移装甲艦が本国より到着します。転移照射装置によって、邪魔な氷壁を飛ばすことができれば――」
「この忌々しいジブラルタル海峡を通過できるということか」
イコノモスは、視線を艦橋の窓の近くで頭を抱えているポイニークン大将へと向けた。参謀たちもそれに倣い、そして顔を見合わせた。
「決められるのは長官だ」
参謀長は静かに告げた。
「戻るのか。それとも、転移装甲艦を待つのか、な」
・ ・ ・
チ号作戦により、地中海から大西洋を目指す異世界帝国の大艦隊は、完全に足止めされた。
アフリカ・ゲートから出現した大艦隊は、大西洋を北上し北半球に到達した。
本来合流予定だった地中海の艦隊や、バルト海の艦隊は出てこれず、南米アマゾンの艦隊もまた、進撃を断念し、後詰め戦力に回った。
大西洋の大艦隊――第一戦闘軍団に合流できたのは、イギリスに駐留していた艦隊と、南米艦隊の増強部隊のみとなった。
それでも、大西洋のアメリカ、イギリス艦隊を数で圧倒的に凌駕する第一戦闘軍団である。日本やドイツの艦隊が来なければ、現状でも充分すぎる戦力ではあった。
これに対して、アメリカは、日本にも東海岸防衛に参加を要請した。地球の有力戦力を結集し、一丸となって戦わねばこの戦いは負ける。
しかし、日本側の回答は――
『現在、インド洋より、敵大艦隊が進撃中。これを対処せねば我が国を守れず。大規模戦力の派遣はできず』
アメリカが失われれば、物資が供給されずに日本も干上がる。そうなっては戦争どころではなくなる――とアメリカ側は主張した。
だが日本は、地中海やバルト海、アマゾン川の封鎖で、敵の大艦隊二つを足止めし、米英艦隊が戦う量を全体の三分の一にするなど、すでに沈める以上に貢献している、と突っぱねた。
『むしろ、太平洋に増援を出すくらいしても、バチが当たらないほど協力しているのだが?』
日本海軍が欧州や大西洋で活動しなかったら、どれだけの敵と対峙しなければならなかったのか、米国はそれを真摯に受け止めるべきである。
『こちらは、地中海を封鎖している部隊を引き揚げて、内地防衛に転用したいくらいだ。撤収させてもよろしいか?』
地中海の蓋がはずれ、もう一つの大艦隊が、大西洋の主力と合流する。そうなっては、米英軍に万が一にも勝てるのか。
その事実を突きつけたら、米国も引き下がった。この期に及んで、仲間内で争っている場合ではない、と米国代表は告げたが、日本側もまた『まったく同意するところである』と返した。
かくて米英は大西洋、日本はインド洋の敵と対峙することになる。
ドイツと義勇軍は、どちらで戦うべきか、決めかねているようで、日米英は今のところそれらを戦力として勘定はしていない。
ドイツにしろ義勇軍にしろ、欧州や米国の状況を考えれば大西洋の敵を叩きたいが、日本には大いに借りがあった。
また今後の作戦行動には日本海軍の支援が不可欠である。特に義勇軍にとって、異世界行きを支援してくれるのが、現状日本だけしかないのだ。
各国の思惑が、目の前の敵に注力すべきという結論に達するわけだが、米英が強い危機感を募らせている一方、日本もまた同じであった。
インド洋を進撃する異世界帝国の800隻の赤の艦隊、それに加わる紫の艦隊と大規模輸送船団。これらはトータルで見れば大西洋の第一戦闘軍団よりは少ない。
だが、まったく楽観はできなかった。正攻法で迎撃しようとすると、まったく勝ち筋が見えなかったのである。
軍令部の作戦課と、連合艦隊司令部による迎撃計画案の策定は難航していた。
「連合艦隊の主力戦力があれば、敵赤の艦隊の三分の二は、確実に撃滅できるでしょう」
草鹿 龍之介連合艦隊参謀長は、一同に告げた。
「しかし、精鋭たる第一、第二機動艦隊が、空爆ならびに砲雷撃による果敢な攻撃を仕掛けたところで、弾薬が尽き、以後の侵攻を阻めません。そうなれば――」
東南アジア、それも米国が脱落してしまった場合、必要となる石油の供給源であるスマトラ島やボルネオなどの油田地帯は破壊される。
「つまり、我々は、敵が東南アジアを攻撃する前に、敵艦隊を撃滅せねばならないという制約があるのです」
軍令部第一部部長の中沢少将は言った。
マラッカ海峡や、東南アジアの他の海峡に敵が侵入したところを、海峡封鎖艦や航空戦力で叩き、遅滞による時間稼ぎで弾薬を補給、場合によってはフィリピンなどに引き込んで戦うことは可能だ。
石油や資源の入手先をやられ、それを取り返したとして、復旧までに時間がかかるだろうデメリットと、そこで待ち受ける日本の物資不足、燃料不足、資源不足を許容できるのなら。
アメリカが大西洋の敵を防ぎきれるか怪しく、戦争物資の供給源が失われる可能性が高い状況を考えれば、東南アジアの資源供給が滞るのは、日本として受け入れられなかった。
だが事態は、さらに悪い方向へと転がる。
「南東方面艦隊より緊急通信です! ラバウルが、複数の円盤兵器の襲撃を受けて、基地施設を喪失したとのことです!」
「何だと!?」
その報告に、一同は驚愕するのである。