第七二二話、回廊開通
ムンドゥス帝国第二戦闘軍団の後方海域、地中海に日本海軍の刺客が放たれた頃、ジブラルタル海峡に立ち塞がる海氷防壁は、オリクトⅡ級戦艦の熱線砲の連続攻撃に晒されていた。
中央を崩され、掘り進める第二戦闘軍団。熱線照射を終えたオリクトⅡ級が下がり、次のオリクトⅡ級が前に出る。
「観測機の報告では、間もなく、壁を分断できます。回廊の完成も時間の問題です」
航空参謀の報告に、ピリア・ポイニークン大将は頷いた。
「よろしい。随分と手こずったものだ」
巨大な氷山の壁は、敵の仕業だろうが、海峡を塞ぐ巨大構造物を用意した努力には、敬意を表してもよいと、ポイニークンは思う。
「敵の姿は確認されていないのだな?」
「はい、閣下。氷山の反対側にも敵艦は確認されておりません」
「あの忌々しい羽虫の攻撃も止んでいる。……敵も氷以外では、もはや種切れに思える」
「閣下、油断は禁物でずぞ」
イコノモス参謀長が、主人に注意する従者の如く言った。
「敵の遮蔽機については、こちらが撃墜したという確たる証拠はありません。忘れた頃にまた仕掛けてくるやもしれません」
「大方、対艦用の爆弾が切れたのだろうよ」
ポイニークンは鼻で笑う。
「あれが一機か少数かはしらんが、その割には随分と派手に暴れたものだ。どうせ母艦がいたのだろうが、その母艦も弾切れになっているだろう」
この一帯は、ムンドゥス帝国の勢力圏である。敵が密かに飛行場を作ったというのは、あり得ないから空母であろうが、その爆弾搭載量は限られている。機体が無事でも、攻撃できなくなることもある。
「しかし閣下、その空母も遮蔽を使っているのか、確認されておりません」
第二戦闘軍団も、手をこまねいて攻撃を許していたわけではない。敵の空母がいるはずだと、偵察機を多数索敵に出したが、結局、発見にはいたらない。
その時、司令塔の一角で歓声が上がった。視線を向ければ、通信士官が駆け寄ってきた。
「閣下、第八戦艦群より入電。氷山は砕けり!」
「ようやくか」
この氷の壁も、中央から真っ二つである。戦艦戦隊の攻撃で、幅150メートルほどの回廊が形成された。
艦隊が通過するには狭すぎるが、二隻程度ならば同時に通過できるであろう。
「よろしい。第八戦艦群には、大西洋一番乗りを許す。そのまま反対側へ突き抜けろ」
「はっ!」
命令を出し、ポイニークンは一息ついて司令長官席に腰掛ける。これで艦隊は大西洋に出て、第一戦闘軍団と合流することもできよう。
艦隊全体が通り抜けるには、一日では終わらないからもしれないが、何にせよ前進である。
……そのはずだった。
司令部参謀らと今後の動きについて打ち合わせをしていると、またも司令塔の一角がざわつき出した。
「何事だ?」
「私めが」
参謀長が騒ぎの元へ向かう。見たところ、何やら異変が起きている様子だった。やがて少々困り顔のイコノモスが戻ってきた。
「閣下、どうにもおかしなことが起きている様子です」
「結論を」
「第八戦艦群が消失しました」
「?」
参謀たちも一様に困惑した。
「消えた、と言うのか?」
「はい。上空警戒の航空機からの報告で、回廊に霧が発生し、本来通過しているはずの第八戦艦群のオリクト級が、いつまで経っても現れず、不審がっておりまして……」
「霧だと……?」
旗艦の司令塔から、前方を見やる。氷山の壁の間に空いた大きな溝だが、その奥はうっすらと白い靄に包まれている。
「はじめは、氷が蒸発した際の水蒸気とも思われたのですが、晴れるどころか、ますます濃くなるばかりで」
「そんなことがあるのか? ――気象長!」
「は、現在の時間、大気および海面状況から濃霧が自然発生する可能性は、限りなくゼロ……と申したいところではありますが」
気象長が首をわずかにかしげた。
「なにぶん、この辺りの地理には疎いものですから。この地域特有の自然現象という可能性も捨てきれません。地中海艦隊司令部に、気象状況について確認の許可をいただけましたらば」
「許可する。行け」
ポイニークンは指示を出し、再び外の氷山壁を睨む。
「……霧だと? 霧が5万トンの戦艦を飲み込んだとでもいうのか? ただの自然現象ではないぞ」
「しかし、戦艦が消えるなどということは……」
「そう、あり得ない。何か仕掛けがあるはずだ」
艦隊の回廊侵入を中止する。通り道だけを覆うような霧だけが、不気味に漂っている。
霧で航路を見失い、氷壁に激突した? いや、それならば通信で衝突なり座礁なり報告があるはずだ。
「第八戦艦群とは、通信できんのだろうな?」
「はっ、呼び出しておりますが、応答はありません」
通信長が報告し、イコノモスは渋い顔で言った。
「偵察艦を出しますか?」
ここでただじっと待つわけにもいかない。霧が自然に消えるのを待つか? しかしただの霧でなかったら?
だが、ポイニークンに考えている余裕は与えられなかった。
『後方で爆発!』
「後ろ……?」
轟音が響いた。弾薬庫が誘爆した時のような凄まじさ。ポイニークンや参謀たちは、猛烈に嫌な予感がした。
『リトス級大型空母、轟沈!』
またも遮蔽に隠れた攻撃機が戻ってきたのか?――司令部に、何とも言えない苛立ちが漂った時、正面で炎と閃光が走った。
『霧の中より光弾! 第四戦艦群のオリクト級、爆発!』
氷山の壁の間、回廊から攻撃が飛んできたのだ。霧の中に、やはり何かが、いや敵が潜んでいたのだ。
「前と後ろだと……!」
敵はいなかったはずなのに、急に忙しくなった。ポイニークンは声を荒げた。
「敵は!? 敵の姿は確認できないのかっ!」