第七〇八話、チ号作戦、遂行せり
スエズ運河で、特務戦隊が工作をしている頃、地中海から大西洋に出る唯一のルートであるジブラルタル海峡でも動きがあった。
警戒航行中の異世界帝国軍のUボートは、夜間浮上で、海峡への侵入がないか目を光らせていた。
ここ最近の欧州を中心にした日本軍の奇襲攻撃に備えて、夜間といえども警戒をしている。近くに敵基地や艦隊がなくとも、いつ現れるかもわからないからだ。
しかし、この手の襲撃は夜明けに行われることが多く、現場の夜間哨戒は、比較的気が緩みがちであった。
そこへ、魚雷が突っ込んできた。夜間見張り員は何も見つけられず、ソナーマンが高速推進音を捉えて、それに気づく。
「急速転舵! 面舵いっぱい!」
「間に合いません!」
誘導魚雷は、Uボートを逃がさない。船体を食い破られ、真っ二つにへし折られるとあっという間に海に引きずり込まれた。甲板にいて艦内へ戻れなかった乗組員が海に投げ出される。しかし地球環境での生命維持機能が働かない場ともなれば、彼らの運命は決まっていた。
そして、異世界帝国潜水艦を撃沈した者たちにも、それはわかっていた。
「敵潜、沈降中。撃沈と認む」
「了解。宮川砲雷長、さすがの腕前だ」
伊701艦長、早見 明子少佐は、異世界帝国潜水艦を確実に仕留めた部下を賞賛した。マ式ソナーに、他の敵の存在を確認し、安全を確保すると、ただちに浮上を命じる。上坂通信士が僚艦にもその旨を通達。
ジブラルタル海峡、そのもっとも狭いとされるイベリア半島側タリファ岬と、モロッコのアルカサル・エ・セリルの間に、伊701、そして伊702が浮上した。
洋上に出て、暗視眼鏡を用いての目視索敵を行い、ここでも敵影は発見できなかった。危険はなし。
「よろしい。では転移中継装置を作動! 九頭島から例のものを運び込む」
早見潜水艦長は命令を発した。
今回のチ号作戦の要、ジブラルタル海峡封鎖のための仕掛けが転移でやってくる。
「まったく。転移で運ぶもの、というのはわかってはいるが……」
冷静沈着な潜水艦長も思わず苦笑する。
「さすがは神明閣下だ。我々凡人では考えもつかないものを使うなんて」
やがて、伊701潜より遥かに巨大な物体が、転移によって現れる。
「さて――」
早見が呟いた時、遥か遠く、地中海側から爆発音のようなものが連続して聞こえてきた。
「始まったか」
陽動攻撃が。
・ ・ ・
ジブラルタル海峡の地中海側、北にジブラルタル。対岸のアフリカ大陸にはセウタという軍港が存在する。
双方とも地中海側アルボラン海に近く、それぞれ海峡を通過する部隊の補給や警備艦隊の拠点として活用されていた。
そこに伊400、伊401潜が潜入。転移中継装置を用いて、第三、第九航空艦隊の夜間攻撃隊を呼び寄せると空襲を仕掛けた。
伊400型潜水空母の想定運用通り、敵の不意をついた航空攻撃隊の展開と攻撃は、その距離の近さもあって、異世界帝国側に警報を鳴らせる以上のことをさせなかった。
戦闘配置に慌ててつく異世界帝国兵。夜間当直だった兵は、探照灯で敵機を探し、対空銃座からは火線が瞬いたが、飛来したロケット弾や爆弾が落ちてきて、地上は爆炎に包まれた。
業風戦闘機や銀河陸上爆撃機、九六式陸攻改が、ジブラルタルとセウタをそれぞれ爆撃し、蜂の巣をつついたような騒ぎを引き起こした。
軍港に停泊していたイギリス製新鋭鹵獲艦である空母『オーディシャス』や『コロッサス』といった艦も、空爆の被害を受けて炎上する。
だが、軍港守備隊も為すがままにされるつもりはない。襲撃に備えて即時にヴォンヴィクス、スクリキ無人戦闘機をスクランブル。
地中海方面軍も、T艦隊の一連の攻撃で警戒感を強めていたのだ。
だが、日本軍はそれよりも早かった。迅速な行動、敵の対応より先に攻撃を仕掛けられる間合いから飛び込んでいる。
飛び上がった異世界帝国迎撃機も、先制爆撃を終えた業風戦闘機との空中戦に巻き込まれ、それ以後の爆撃阻止は叶わない。
ジブラルタルとセウタ、両軍港はジブラルタル海峡警備と補給拠点としての能力を喪失した。
徹底的な攻撃は、異世界人の注目を集めたが、同じジブラルタル海峡の、大西洋側で起きている事について、近くでありながら見落とすことになった。
チ号作戦、その陽動は成功したのである。
・ ・ ・
翌朝、ムンドゥス帝国地中海艦隊司令部にショッキングな報告が飛び込んだ。
地中海艦隊司令長官、ヘウレシス大将は、朝に地球産の飲み物を試飲するのを日課としているが、それどころではない知らせに、驚愕するのである。
「なにっ!? 地中海に流氷、だと……!?」
「はっ、巨大な氷山がジブラルタル海峡に流れ込み、艦艇の通行を妨げております!」
「いやいやいや、寝ぼけているのかね? 今は地中海は夏だぞ? そもそも氷山がこんなところに流れてくるわけがないだろう、何を言っているんだ」
ハハハ、と渇いた笑い声をあげるヘウレシス。正直、たちの悪い冗談で済ませたい話であった。
「しかし、大西洋へ移動中の第二戦闘軍団も、氷山を確認しております」
「……」
現実は非情である。昨日は、アレキサンドリア港がやられ、ボスポラス海峡に謎の敵、そして深夜にはセウタとジブラルタルが立て続けにやられた。
黒海のものはともかく、それ以外の事例は地中海艦隊のテリトリーで起きたこと故、地球征服軍司令部からもお叱りがくるのではないか、とヘウレシスは心配になっていた。
特に今は、北米侵攻作戦のため、第二戦闘軍団が大西洋へ進出するところであった。海峡を巨大氷山が封鎖したなど眉唾ものだが、事実だとして、作戦参加予定の大艦隊が通れないとなると大問題だった。
仮にジブラルタルが使えないとなると、地中海から出るには、スエズ運河を通ってアラビア海、そしてインド洋方面になる。そこから大西洋となればアフリカ大陸南端まで移動する大回りになるので、素直にゲートに戻り、アフリカゲートから出直すしかないかもしれない。
ヘウレシスが思案していると、新たな悲報が続いた。
「長官、スエズ運河が――」
スエズ運河が凍結した。何を言っているのか理解できなかった。
報告によれば、スエズ運河が氷で覆われ、船の通行が不可能になっているとのことだった。本来、凍るような場所でもないため、砕氷船などは当然、現地に存在しない。
「スエズ運河まで塞がれたというのか……」
長さはともかく、幅を考えれば、スエズ運河はジブラルタル海峡よりも遥かに封鎖しやすいだろう。氷結云々以前に、大型船舶が座礁したただけで、その通行を妨げてしまうほどだ。
「これで地中海は、ゲート以外に外へ出る手段がなくなったということか!」
ヘウレシスは歯噛みするのである。