第七〇七話、黒海艦隊、敗走
黒海艦隊は総崩れだ。
海峡封鎖戦艦『富士』単独で、敵艦隊を追い払えてしまうのではないか――桐原艦長は期待したが、異世界帝国兵もそれほど愚かではなかった。
足の遅い旧式戦艦が殿軍になりそうになると、駆逐艦部隊が煙幕を展開して、離脱を援護したのだ。
こうなると、直接照準の正木 妙子の能力では、相手を捕捉が困難になる。電探からの位置情報から攻撃をするも、一度に六隻までほぼ同時に撃てていた先ほどまでと違い、一隻ずつ刈り取る形になった。
光弾は、砲弾と違い、弾道を修正できないのもその傾向に拍車をかける。
「これは仕方ない」
桐原も、欲は出すべきではないと判断した。
「あとは、航空隊に任せよう」
こちらに背を向けて退避する異世界帝国黒海艦隊。
桐原は通信士に、待機している航空隊に攻撃開始の指示を出すよう命じた。
この封鎖戦艦『富士』は、航空戦艦でもある。
改装の際、艦体にあった多数の40.6センチ砲を撤去されたが、そのスペースを埋めたのは格納庫と飛行甲板。
光弾砲が攻撃範囲が直線上になるため、艦体中央部に多数の砲があっても、使い勝手の面の費用対効果に疑問がある。
機敏な運動性が見込めず、多数の光弾主砲を積んでも出番は少なく、さりとて、艦砲射撃用に実弾系主砲を多数載せたまま運用する手もあったが、遮蔽時には使えない武器に成り下がる。
どちらがよいか迷った挙げ句、無人コアによる自動操縦が可能な航空機が選ばれた。中央部の主砲を全撤去した結果、翔鶴型空母2隻分のスペースを確保し、その艦載機は150機と、日本海軍最大の空母である大鶴型を上回る。
そして、黒海艦隊がボスポラス海峡に近づく前に発艦させた航空隊は、今や主力から落ちた二式艦上攻撃機。遮蔽装置付きで、かつての第二機動艦隊の奇襲攻撃隊の主力艦上攻撃機である。
流星艦攻の遮蔽搭載型、流星改二が二機艦に配備されるに辺り、編成から外れた二式艦攻を、『富士』の航空隊に転用したのである。
海峡から遠ざかろうとする黒海艦隊に対して、二式艦攻はほぼ一列の長い列を作って接近。正面を中心とした半円を遮蔽で隠し、後ろからであれば見える行軍遮蔽を活かしつつ、黒海艦隊との距離を詰めると、先頭から順次、誘導弾を投下した。
同一方向へ離脱しながら、半遮蔽を維持。短い距離の間で誘導し、標的へと命中させていく。
艦隊の端にいる艦艇から狙われ、誘導弾が突き刺さる。駆逐艦が真っ先に火を吹き、その艦体を真っ二つにされる。後続機の誘導弾は、沈没する艦のそばを行く別の艦へと吸い込まれ、水柱と共に爆発した。
端から順に沈めるようだった。これはこれまでの奇襲攻撃隊の戦法とは、異なる新戦法だった。
従来の戦法は、ある程度、展開しつつ多方向から包囲するように機動。遮蔽を解除して、味方と衝突しないように注意しつつ攻撃、そして離脱するという攻撃方法だった。
これは各部隊で、空母や戦艦など重要度の高い目標を狙い、真っ先に沈めるための戦法だ。
しかし使われた新戦法は、樋端 久利雄大佐考案のドリル戦法である。
余談だが電気ドリルは1916年にアメリカが商品化し、日本では1935年に芝浦製作所が販売したのが、国産第一号である。
閑話休題。
のちに樋端ドリルと呼ばれる新戦法は、敵艦隊の一点に狙いを定め、そこに穴を開ける。優先目標はコースを定めた時に捕捉できる場合を除けば、空母だろうが駆逐艦だろうが関係なく順番に攻撃するとされた。
メリットは、遮蔽を解除することなく進むことができること。正面からは遮蔽で姿を隠したまま、しかし後続する味方は、前の機体を見ながら編隊飛行を続けることができる。離脱方向を揃えることで、遮蔽のまま味方との衝突の危険も回避できるのだ。
蛇のように長い編隊は、黒海艦隊を横断し、通りがかりにある敵艦艇を順番に撃破、あるいは撃沈していった。
二式艦攻が、敵艦隊に穴を開けるが如く、通り抜けた時、黒海艦隊の残存艦艇は、さらに半分に減らされていた。低速の前弩級戦艦、防護巡洋艦や駆逐艦、軽空母2隻が炎に包まれて黒海に沈んだ。
富士航空隊の攻撃により、黒海艦隊は完全に敗走した。異世界帝国軍の残存軽空母からヴォンヴィクス戦闘機が発艦したが、完全に後の祭りだった。
「攻撃隊、転移により離脱しました!」
通信士が報告し、封鎖航空戦艦『富士』の桐原艦長は首肯した。
「よし、では我々もボスポラス海峡から撤収しよう。正木くん、転移開始だ」
『了解』
黒海から地中海へ向かおうとする敵黒海艦隊は、その目論見を阻まれた。後は、ボスポラス海峡出入り口に何かいる、と異世界人に思わせたまま、こっそりと離脱するだけである。
桐原は、この作戦の立案者である神明参謀長から言われていた。
『ボスポラス海峡に敵が潜んでいるように演出しろ。遮蔽を使っていると気づかれてもよい。狭い海峡のどこかに、面倒なのが存在していると、彼らの注意を引け』
――あの人の思惑通りに、やれたかな……?
桐原は小さく息をついた。
黒海封鎖作戦は、地中海封鎖作戦のための陽動でもある。敵を大西洋なりインド洋に封じるならば、別に黒海を封鎖しなくても、地中海から出さなければ結果は同じなのだ。
にもかかわらず、ボスポラス海峡で封鎖行動をしたのは、より重要である地中海封鎖作戦のための前座なのである。
・ ・ ・
夜が訪れ、異世界帝国地中海艦隊司令部や第二戦闘軍団司令部は、アレキサンドリア港の襲撃に続き、ボスポラス海峡出入り口で黒海艦隊がやられたことに注目していた。
特に後者は、有力な敵が海峡封鎖に出張ってきており、もしかしたらダーダネルス海峡からエーゲ海に敵が侵入し、第二戦闘軍団乃至、クレタ島ゲートを襲撃してくるのでは、と警戒感を募らさせた。
盛んに偵察機を飛ばし、敵の捜索と、いるとすればその動きを牽制できるように見張ったが、異世界人たちの注目する場に、日本海軍はいなかった。
コ号作戦に呼応し、地中海封鎖作戦――チ号作戦をT艦隊は実行に移していた。
その一、スエズ運河に遮蔽で隠れた船が2隻突入していた。
急造転移艦『弥佐丸』と『八月丸』である。封鎖突破船から転移照射装置を搭載した輸送艦となった2隻は、『弥佐丸』を先頭に『八月丸』がその後ろにつく。
「……やれやれ。いくら転移中継装置で保険があるって言ってもだな」
羽田 五郎太大尉は、『弥佐丸』のブリッジで、ぼやきいた。魔核操縦中の『弥佐丸』であるが、現在、夜のスエズ運河を通行中。速度も夜のうちに通過できるよう、本来定められているものを無視して航行している。
スエズ運河の幅はおよそ四十数メートル。『弥佐丸』の船幅は19.35メートル。ぶっちゃけると、前方から船が来てもすれ違う幅はない。
それで砂浜に乗り上げれば、封鎖ができてしまうのではないか、と思ったが、敵地で座礁など冗談ではないと首を振る。
すれ違いに備えて、待機ポイントがあるのだが、非正規な通行なので、もし異世界帝国の輸送船団が正面から来た場合、不本意ながら転移中継ブイで紅海へ移動。そこから彩雲改二の転移爆撃装置を使って戻らされるという、やりたくもないアトラクションを強制されることになる。
――まあ、数隻だったら、転移照射装置で転移させてやればいいんだが。
羽田は顔をしかめる。そのための先導役の『弥佐丸』である。スエズ運河の作戦は、後続の『八月丸』が現在進行形で遂行中である。
「夜が明けたら、異世界人もビックリするだろうな」
特務戦隊の『弥佐丸』と『八月丸』は、地中海から紅海へ、夜のスエズ運河をひた走った。