第七〇五話、地中海と黒海
エジプト、アレキサンドリア港は、かつてはイギリス海軍地中海艦隊の根拠地だった。
言うまでもなく、現在は異世界帝国の拠点であり、地中海におけるトゥーロン、タラント、オランと並ぶ五大拠点の一つとされている。……ちなみに残る一つは、異世界ゲートのあるクレタ島である。
地中海から紅海、そしてインド洋へ通じるスエズ運河に近く、異世界帝国はここに小規模ながら艦隊をおいて、警備艦隊としていた。
ここ最近、地中海ゲートから、第二戦闘軍団の大艦隊が到着したことにより、クレタ島警備艦隊が、押し出される形で、ここアレキサンドリア港に寄港していた。
その編成は、異世界帝国のヴラフォス級戦艦4隻、プラクス級重巡2隻、メテオール級軽巡3隻、アルクトス級中型高速空母4隻、駆逐艦15隻ほか、ギリシャ海軍からの鹵獲艦艇――キルキス級戦艦『キルキス』『レムノス』、装甲巡洋艦『イェロギオフ・アヴェロフ』、軽巡洋艦『エリ』、イドラ級駆逐艦ほか13隻で構成されていた。
トゥーロン、タラント、オランが相次いでやられた今、第二戦闘軍団を除けば、唯一の地中海艦隊である。
だが、現地の艦隊の兵たちは、大挙到着した第二戦闘軍団の存在によって、気が抜けていた。
いくら神出鬼没な地球人――日本海軍といえど、大艦隊が近くに存在する地中海に再び現れるわけがないと考えていたのだ。それは自殺行為である、と。
しかしそれは慢心だった。
日本軍は攻めてきたのである。
転移中継ブイを通して現れたのは、T艦隊航空戦隊である。
『雲龍』『翔竜』『雷鷹』『神鷹』『角鷹』は、アレキサンドリア港が見える位置に現れると、そこから飛行甲板に並べられた攻撃隊をマ式カタパルトにて連続射出。
鳥の集団のように飛び上がった航空隊は、そのまま固まってアレキサンドリア港へと突撃。発艦から2分と立たず、港に到達し、暴風戦闘機が猛禽のごとく襲い掛かった。
真っ先に四隻のアルクトス級中型空母の飛行甲板が、戦闘機ごと燃え上がった。ロケット弾が戦艦や巡洋艦の艦橋や艦上構造物と吹き飛ばし、500キロ爆弾が飛行甲板に穴を開けた。
暴風は停泊する艦隊のみならず、アレキサンドリア港にも爆弾を叩きつける。連なるようにならぶ建物や倉庫が潰れ、激しく赤い火球と火花を散らす。
港はたちまち無茶苦茶になった。ヴラフォス級戦艦は艦橋を破壊され、洋上に浮かぶロウソクのようなありさま。
キルキス級戦艦の『キルキス』『レムノス』は、かつての米戦艦を思い起こさせる籠マストを倒壊させ、炎上していた。
実のところ、この2隻は元アメリカ戦艦であり、第一次世界大戦時のミシシッピ級をギリシャが購入したものだったりする。故に籠マストがあるスタイルだったのだ。
準弩級戦艦であり、1万3000トン、全長116メートル、速力17ノット。30.5センチ連装砲二基四門と、現在の世界基準から見ても旧式である。なお余談だが、ギリシャ海軍に売却した2隻のおかげで、アメリカ海軍はニューメキシコ級を2隻ではなく3隻建造することができた。
閑話休題。
攻撃を終えた暴風戦闘爆撃機は、転移で戦線を離脱。攻撃隊を展開した空母5隻もまた、転移装置を用いて、さっさと姿を消している。
敵に見える位置に、空母の姿をさらしたままにするほど愚かではない。艦載機発艦後には、敵の警備艦や陸上からの攻撃に備えて、港を後にしていた。
まるで突風が吹いたように、アレキサンドリア港は、10分にも満たないわずかな間に惨憺たる有様であった。
結果として、異世界帝国地中海艦隊の目は、アレキサンドリアに集まることになる。
・ ・ ・
ところ変わって黒海。ブラック・シー。
トルコの現地の言葉では、偉大な海、そして黒い海という意味合いを持つ。なお黒海に繋がっている地中海は、白い海となる。
この黒海には、ムンドゥス帝国黒海艦隊が展開していたが、その艦艇は大半が現地の鹵獲、あるいは再生艦艇で構成されている。
●黒海艦隊
戦艦:「インペラトリッツァ・マリーヤ」「スヴォボードナヤ・ロシア」「パリジスカヤ・コンムナ」「イレジスティブル」「トライアンフ」「ゴライアス」「オーシャン」「ブーヴェ」「トゥルグート・レイス」「バルバロス・ハイレッディン」
巡洋戦艦:「クロンシュタット」「ヤウズ・セリム」
軽巡洋艦:「フルンゼ」「オルジョニキーゼ」「クイビシェフ」「スヴェルドロフ」「ヴォロシロフ」「モロトフ」
防護巡洋艦:「パーミャチ・メルクーリヤ」「メジディイェ」「ハミディイェ」
駆逐艦:29
軽空母:5
戦艦戦力はロシア海軍時代の弩級戦艦のガングート級と、その改良型であるインペラトリッツァ・マリーヤ級を除けば、それ以前の旧式ばかり。……もっとも弩級戦艦も、超弩級戦艦がスタンダードな現在、ロートルではあるが。
一方で巡洋戦艦のクロンシュタット級は、ソ連建造のバリバリの新艦であり、軽巡洋艦も『フルンゼ』『オルジョニキーゼ』『クイビシェフ』『スヴェルドロフ』は1万トン級の新鋭チャパエフ級である。
駆逐艦は新旧混じっているが、『タシュケント』をはじめ、比較的新しい艦も少なくなかった。
空母だけは、欧州やソ連での建造のなさから、ムンドゥス帝国のグラウクス級軽空母が5隻与えられたのみであり、実質は基地航空隊の制空を委ねる形だ。もっとも、この地方に敵はないので、軽空母でもあるだけ贅沢というものだった。
……昨日までは。
黒海艦隊司令長官、ポーネー中将は、北米侵攻作戦のため、黒海艦隊の戦力移動を行っていた。
旗艦『インペラトリッツァ・マリーヤ』に座乗し、黒海の駆逐艦以上の艦艇の大半を集めて、オデッサを出撃。黒海南岸のトルコ、そこから地中海へ繋がるマルマラ海へ入るためのボスポラス海峡へと向かった。
「――何? 地中海が再び襲われただと?」
ポーネー中将は、アレキサンドリア港襲撃の報に、眉をひそめた。首の太いガッチリとした体躯の指揮官は、低い声を出した。
「第二戦闘軍団がいる地中海で、まだ奇襲攻撃を仕掛けてくるとは。大胆不敵よ」
「しかし、長官。我々がボスポラス海峡に差し掛からんとしている時に、敵がアレキサンドリアを攻撃したのは、ある種、僥倖というものかと」
参謀長は、薄らと笑みを浮かべた。
「敵はこちらには来ないということですから。今のうちに海峡を通過できます」
「油断は禁物だ。アレキサンドリアを叩いたのは、我々の目を欺く陽動で、本命は海峡通過を図ろうとしている我々かもしれない」
ポーネーは言葉通り、まったく安堵も油断もなく険しい表情を崩さなかった。
今回の地中海への移動。半分は北米作戦に参加。残る半分は弱体化した地中海艦隊の増援として残ることが決まっている。
正直、黒海にいる限り、敵はいないから、黒海艦隊を留めておくのは無駄というのはわかる。それ自体に異論はないが、問題は地中海に出るために二回も艦隊行動には不便な海峡を通過しなくてはならないことだった。ポーネーは、自分が敵側なら、海峡通過中の艦隊を見逃すなどありえないと考える。
「このボスポラス海峡通過中は攻撃されないかもしれんが、マルマラ海を超えてダーダネルス海峡に差しかかったところで襲撃されるかもしれない」
決して気は抜けない。ポーネーが、艦隊の正面――ボスポラス海峡へと視線を向けた時、何かが光った。
「?」
次の瞬間、前方を行く巡洋戦艦『クロンシュタット』が火山もかくやの大爆発を起こして吹き飛んだ。
「なっ、なにーっ!?」