第七〇一話、これが物量の力だ
その日、世界は戦慄した。
海軍軍令部には、永野修身軍令部総長、嶋田繁太郎海軍大臣、そして連合艦隊司令長官、山本 五十六大将の三者が集まり、報告を受けていた。
軍令部第三部長、大野竹二少将は沈痛な表情だった。
「――前線部隊、各方面からの報告により、異世界帝国は多数の戦力をこちらに送り込んで参りました」
世界地図を前に、大野は指示棒を指し示す。
「先日、ハルゼー提督率いる義勇軍艦隊は、ギニア湾ゲートの手前で敵大艦隊と遭遇。遺憾ながらト号作戦を中断、撤退致しました」
偵察機が確認したところによれば、ギニア湾・アフリカゲートに出現した艦艇は、戦艦121、空母60、重巡洋艦120、軽巡洋艦160、駆逐艦500、ルベル巡航艦系400、輸送艦大小合わせておよそ1000隻。
「桁が違うなぁ」
嶋田大臣が、何とも言えない顔で呟いた。第二次世界大戦前の、世界の海軍の全軍を結集したくらいはあるのではないか。
「……続けてくれ」
自分が遮ったと感じた嶋田が言えば、大野は頷いた。
「同日、地中海のクレタ島ゲートからも、異世界帝国艦隊の出現が観測されました」
戦艦88、空母50、重巡洋艦90、軽巡洋艦180、駆逐艦450、ルベル巡航艦系600、輸送艦およそ1200。
「……」
室内がお通夜のような雰囲気になっている。重々しい空気は、同席している伊藤 整一軍令部次長をして、その襟元を手で緩ませるほどだった。
「さらに、アマゾン川マナウスにも動きがありました。ゲートは確認できませんが、現在敵要塞都市から、艦艇が続々出撃しており、その数はすでに100を超えて、なお川を下り始めました」
「つまり、アマゾン川にも敵のゲートがあった、と見るべきか」
山本 五十六が問えば、大野は首肯する。
「はい。そうでなければ説明がつかない規模の艦艇となります。最終的にどれほどの数になるか、見当もつきません」
「ここにきて、この敵の出現は……」
山本が、永野総長の顔を見る。
「異世界帝国が、この世界の侵略にいよいよ本腰を入れてきた、と」
「……彼らの反攻態勢が整った、ということなのだろう」
永野は腕を組み、しばし眠るように目を伏せた。大野は咳払いする。
「さらに、この動きに呼応し、異世界帝国の現地艦隊にも動きが見えています」
バルト海では艦隊が動き出し、黒海でもまた艦隊集結が行われているという。
「これはそれぞれ北海、地中海それぞれに出てくるものと予想されます」
「敵の狙いはどこだ?」
嶋田が問うた。
「事が大西洋と地中海で動いたとなれば……狙いは北米か?」
北アメリカ大陸への侵攻。新たに出現した大艦隊が、大西洋を渡って進撃してくれば、米英艦隊では太刀打ちできないだろう。
「そうとも言い切れないだろう」
山本が口を開いた。
「マダガスカル島に七、八百隻ものルベル艦隊がある。今回の大艦隊が地中海からインド洋に出てきて合流し、セイロン島、あるいは東南アジアに押し寄せてくれば、日本が狙われることにもなろう」
「大西洋か、インド洋か」
嶋田の表情が苦り切る。
「連合艦隊は、迂闊に動かせないな。内地と日本勢力圏の防衛に注力すべきではないか」
暗に、英米を支援するために大西洋に艦隊を派遣することはないように、と釘を刺しているようだった。
確かに、連合艦隊は日本を守る義務がある。自国を蔑ろにしてまで、よそにその戦力を派遣すべきではない。
国際協力の結果、国が滅びては元も子もない。
「しかし……」
山本は言いかけ、口をつぐんだ。口にしていいのか迷ったのだ。永野が目を開いた。
「仮に、日本が自国を優先して、北米が陥落するようなことになった場合。あるいは、米英が北米を優先して、我々日本を見捨てた場合……待っているのは、どちらも滅びではないだろうか」
「……」
山本は、まさにそれを思った。嶋田も納得しかねるという顔をしているが、口に出さないのは、薄々気づいているのかもしれない。
異世界帝国は、圧倒的な物量を用いて、日本と米英をそれぞれに釘付けにすることで、片方を始末し、残ったほうを後で全力で潰しにくる、と。
「……認めなくないですが、これは、すでに将棋で言うところの詰み、でしょうか」
分断させて片方ずつ始末しようとする敵に対して、一カ所に日米英、それと独が集まったとしよう。そうすればもしかしたら片方は守れるかもしれない。
しかし守れなかった方は敵にやられる。そうなると、結局分断しようが集結しようが、遅かれ早かれ、各個撃破されてしまうのではないか。
つまり、もうどう転んでも、地球人類は終わっているのではないか。
「投了を宣言するのは、早いのではないか」
山本は口元を緩めた。
「我々には、まだ戦力が残っている。連合艦隊は、史上最強といってもよい戦力を持っている。これがあるうちに、数の差だけで諦めるのは、海軍軍人の恥である」
「……」
「そもそも、異世界人に降伏するは最後、奴らの資源として家畜のように殺されるのみ。精神論は好かんが、最後の一兵まで戦い抜く覚悟が、今こそ必要ではないだろうか」
「戦争は、ギャンブルではないんだぞ、山本」
嶋田が嘆息する。半ば諦めの表情である。
「まあ、貴様の言うとおり、日本の国土、民を守るには戦うしかない道はない。それは私も認める。……連合艦隊には、具体的にどう戦うか、策はあるのか?」
「それはこれから考える」
「おいおい……」
「言うなよ。そもそも、ここまで規模が大きい事態を想定した作戦など、事前に立てられるわけがないだろう」
最近、存在が明らかになったドイツ艦隊を受け入れたものの、英米にどう話すか決まっていない段階で、その英米を頼りにした作戦計画などできるはずがないのだ。
「しかしまあ、まったく手がないわけではないと思う」
「というと……?」
「我が国はかつて、対米戦を想定した漸減邀撃作戦を考案してきた。要するに物量に勝る敵を削り、同等の戦力で決戦を挑む、という作戦だ。そして我々には、転移による奇襲戦法がある。これを縦横に活用すれば、それができると思う」
それに――山本は相好を崩した。
「ここ最近、やたらと海峡封鎖にこだわっていたある参謀長がいる。もしかしたら……もしかするかもしれん」