第六八八話、混迷する思惑
ドイツ海軍、いまだ健在。
ノールアウストランネ島こと北東島基地から戻った神明は、T艦隊の栗田中将に報告し、内地の軍令部へ飛び、永野軍令部総長らにも伝えた。
これは大きな衝撃だった。
ドイツ本国から逃れた、いわば残党が残っていたのはまだしも、かつてのZ計画に沿った戦力を整えていたことがだ。
「戦艦6隻、巡洋戦艦3隻、装甲艦4、空母3、巡洋艦18、駆逐艦、水雷艇それぞれ30、潜水艦40以上――」
永野が要目を呟けば、伊藤軍令部次長は首肯した。
「空母と航空戦力がやや弱いようですが、それでも戦艦、巡洋戦艦で9隻は、大きな戦力です。1個艦隊を編成するに足る兵力は、この時期として頼もしくあります」
「確かに、そうではあるが……」
永野は考えるように眉間にしわを寄せた。
「ドイツとの同盟はまだ生きている。この時期に、枢軸だ、連合だなどと言う声は小さいだろうが……少しややこしくなるなぁ」
イギリスは本土奪還のための準備をしている。南米に軍を送り、戦力を再編中のアメリカは、欧州進攻に対しては、賛意は示しているが積極的とは言えず、日本は日本でイギリスに歩調を合わせるか否かで、意見が割れている。
もっとも、一国の都合でどうにかできてしまうような戦況でもないため、最終的には日本はイギリスに協力するし、アメリカも義勇軍が本格的に活動を開始すれば、乗ってくるであろう。
で、ここで問題になるのは、ドイツ残存軍の参戦だ。日本としては友邦であるドイツと協力態勢を構築するのは枢軸同士、問題は少ない。
しかしドイツと正面から殴り合っていたイギリス、そして後追い参加ではあるがアメリカとは、関係はよろしくない。
特に欧州進攻において、いまさらドイツとイギリスが手を取り合いましょう、というのは無理ではないかとも思えるのだ。
「イギリスは本土を取り戻したい。ドイツもまた本土を解放したい。同じヨーロッパに住む者同士、今だけは共闘するべきではないでしょうか」
伊藤は言うが、永野は表情を崩さなかった。
「本音の部分ではそうだ。しかし建前が許さない。伊藤君、これは間に立つ日本、もしくはアメリカで、上手くまとめる必要がある」
「緩衝材の役割、ですか」
「うん。ただ、今のドイツは、かの総統を失い、政治面では弱い。彼を危険視していたチャーチル首相も、より強大な敵を前に、ドイツ人を受け入れてくれると思う」
しかし永野の表情は優れない。嫌な予感をひしひしと感じているからだ。伊藤はそれを推察し、口を開いた。
「思っていることを言ってもよろしいですか?」
「うん」
「チャーチル首相は、ドイツを利用しようとすると思います」
「……たぶんね」
永野は肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せた。
「イギリスは、日本とほぼ交戦することがなかったから、ここまで比較的、協力関係にあった。ただあの国の二枚舌、三枚舌外交は伝統でもある。本土奪回、そして欧州から異世界人を追い出すためなら、ドイツ人も駒として積極的に活用するだろうね。それは我々日本もまた、同じだろう」
「……」
「アメリカは、ルーズベルトの代わりに副大統領であるトルーマンが代行をしているが、正直、この男がどれほどの者かよくわからない。聞けば外交の場にほとんど立ったことがないそうじゃないか。白人至上主義の団体にいたとか」
「それはすぐ辞めたそうですよ。クー・クラックス・クランは、あれでカトリックやユダヤも排除しようとしたので、ソリが合わないからと。……あくまで選挙に勝つために利用しようとしただけで、実際に入ってこれは駄目だと思ったんでしょう」
「詳しいね……」
「下調べをするのも仕事のうちですから」
しれっと、伊藤は答えた。永野は、そうかと言った。
「ともあれ、アメリカの出方がわからん以上、英独の間に立ってまとめるのは、我々日本の役目になりそうだ」
「ドイツはイギリスと戦っている場合ではなく、イギリスもドイツの相手をしているほど暇ではない。祖国奪回という、国は違えどやろうとしていることは同じ者同士ですから、しばしの休戦は当然、選択肢としてありでしょう」
「どっちから言い出すかな」
永野は宙を睨んだ。
「ドイツは指導者がエーリヒ・レーダー海軍元帥のようだし、海軍経由となれば、当然、海軍省や、こちらにも話がきそうではある」
「あっさりチャーチル首相の方から、仲裁役を打診してくるかもしれませんな」
「元海軍大臣殿だからねぇ。海のことも話せる人だろう」
まあ、厄介ではあるよ、と永野は嘆息した。
・ ・ ・
軍令部の後、神明の姿は、連合艦隊司令部にあった。
山本 五十六長官も、ポッと現れたドイツ海軍、その軍備については興味津々だった。いずれ共闘することもあるだろうし、相手が海軍総司令官だったレーダー元帥と、その艦隊であるなれば、連合艦隊司令長官として、実際に会うことになるだろう。……というか、山本はレーダーと過去に会ったことがあった。
「――しかし、魔術か」
話を聞いた山本は腕を組んだ。
「確かに、それなくば、短期間で大艦隊の整備など不可能だ。我々、日本海軍も魔技研とその技術あればこそ、史上最大の連合艦隊を編成することができたのだ」
「私はゲーテが気になりますな」
渡辺首席参謀が言う。すかさず樋端航空参謀が口を開いた。
「ファウスト博士ですよ、ゲーテは関係ありません」
「そうそう、ファウスト博士。400年以上前の人間が異世界に行って、帰ってくるって……本当なんですかね?」
「異世界帝国とも、ルベル世界とも違う異世界だと聞いています」
神明は頷いた。
「そこで学んだ魔法は、これまでとは違う世界のものでしょう。彼が言う自動人形は、異世界帝国のゴーレムなどとはまるで違いました」
「うむ。興味深くはある」
山本は言った。
「まあ、それは追々ということで、まずは今ある物に目を向けよう。ドイツ艦隊は、使えそうか?」
「人手を自動人形に頼っていますから、こちらが使う無人コア程度より上なのか下なのか、実戦を見てみないことには判断は難しいと思います」
ただ人型である分、無人コアにはできない整備だったり、手作業などをこなすことができる分、自動人形は優れている。
「ただ、日本海軍とドイツ海軍では、ドクトリンが違いますから、艦種からその戦力を把握するのは避けた方がよいと思います。……たとえば戦艦、巡洋戦艦が9隻ありますが、艦隊決戦で勘定するなら、戦艦6隻のみと見るべきであるとか」
「どういうことかな?」
これまで黙していた草鹿参謀長が問うた。神明は言う。
「ドイツ海軍が、通商破壊戦を軸に置いた海軍だということです」