第六八一話、北欧艦隊
トロンハイム・フィヨルドは、長さ約130キロメートルにおよび、ノルウェーにあるフィヨルドの中で三番目に長い。
氷河の侵食によって形作られた複雑な湾、もしくは入江のことをフィヨルドといい、峡湾、峡江とも呼ばれる。
湾の入り口から最奥まで湾の幅があまり変わらないため、非常に細長い水路のような地形となる。
大西洋はグリーンランド、アイスランド、ヨーロッパ北部のスカンジナビア半島は、この手のフィヨルドが多い場所として有名だ。
その一つであるトロンハイム・フィヨルドには、異世界帝国北欧艦隊の拠点が置かれていた。
北欧艦隊司令長官セルモス中将は、フィヨルド内に並ぶ艦隊を見やり、満悦の笑みを浮かべた。
「長かった。ここまで来るのは」
「はい」
背後に控える秘書官のような女性は、オニュクス参謀長である。
「限られた資材で、よくここまで仕上げたものと感嘆致します」
「新鋭戦艦2隻を与えられたとはいえ、それ以外の戦力が、本当に不足していたからな」
北欧艦隊などと言われて、この地方の艦隊を鹵獲、運用していても防衛戦主体の国々だったのか、外洋に出て戦うような艦艇は多くなかった。
ましてこの地方に、敵がいるのか? 北欧を制した時には、主な敵は周囲にはもはや残っていなかった。
イギリス軍がカナダに逃げ、アメリカが残っているとはいえ、そこは大西洋や北海などに展開する艦隊のポジションである。北欧艦隊は、せいぜいイギリス本土を迂回して北方ルートをたどってくる可能性がある敵に備える程度であった。
●ムンドゥス帝国北欧艦隊:司令長官、セルゲー・セルモス中将
戦艦:「ティルピッツ」「ソビエツカヤ・ロシア」
海防戦艦:「スヴァリイェ」「ドロットニング・ヴィクトリア」「グスタフ五世」「オスカル二世」「アラン」「ヴァーサ」「タッペレーテン」「マンリゲーテン」「ニールス・ユール」「ピーザ・スクラム」「ハーラル・ホールファグレ」「トルデンショル」「ノルゲ」「アイツヴォル」「イルマリネン」「ヴァイナモイネン」
装甲巡洋艦:「フィルギア」
軽巡洋艦:「ゴトランド」「トレ・クロノール」「イェータ・レヨン」
駆逐艦:37
潜水艦:44
仮設空母:3
他、水雷艇など小型船舶複数
結果的に、数はあっても比較的性能の低い艦艇ばかりだったため、艦隊を預かるセルモス中将は、多くない予算を活用、さらに型落ちとなった余剰品を取り寄せ、北欧艦隊の艦艇に近代化改装を行った。
特に改造に力を入れたのは16隻もある海防戦艦である。戦艦と分類はされているものの、もともと沿岸警備の大口径砲を積んだ海防艦であり、船体は小型、低速。現代の砲基準でいえば性能も低かった。
そんな使い道に困る艦艇は放置や廃棄してもよかったのだが、北欧艦隊には巡洋艦が少なく、航洋性にしてはしょうがないにしても、火力面で海防戦艦を活用しようと、セルモスは考えたのだった。
しかしこれがまた一筋縄ではいかない。スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランドからの鹵獲である海防戦艦であるが、大半が4000トン未満、全長九十数メートルで、自慢となるのが28センチ砲から21センチ砲といった火砲のみといった有様だった。速力も16、17ノットがせいぜいである。
一番マシなのが、スウェーデンのスヴァリイェ級で、しかしこれでも約7000トン、全長112メートルという艦体サイズだった。
イギリスやアメリカの巡洋艦などと遭遇した時、主砲が当たればよいが、装甲性能を見ても、よくて引き分け、悪ければ逆に返り討ちにされてしまうのが容易に想像できた。
そもそも第一次世界大戦以前に建造された海防戦艦も少なくないため、仕方のない面もある。
機関をマ式に換装。6千や7千といった1万馬力に満たなかったそれを一気に3万馬力に引き上げ、速力を22~24ノットに引き上げた。
主砲も余剰の25センチ砲に統一することで、一部の艦が28センチ砲よりグレードダウンしたが、射撃間隔の短縮と、戦隊単位の統制射撃のしやすさを向上させた。
少なくとも、少数の敵性巡洋艦部隊と遭遇した時の勝率はかなり上がった。
艦隊の大半を構成する駆逐艦も、機関と武装の統一、レーダーなどの電子装備を最低限追加した。
また全艦で対空機銃の増加をしており、航空攻撃に対して、個艦防御ができるレベルには対空戦闘が可能になっていた。
「しかし、やはり正規の空母がないのではな……」
極地に近い地方艦隊ということなのか、北欧艦隊には空母がないことが、セルモスの不満であった。
北欧の国々は空母を持っていなかったので、鹵獲や回収もできなかった。仕方ないので、沈没輸送船を回収した後、改造したが3隻あっても軽空母2隻分程度の航空機しか載せらず、大いに不満だった。
ともあれ、ようやくまともな海上警戒艦隊として、艦艇が勢揃いしたことは、セルモスにとっても、北欧艦隊に回された兵たちにとっても喜びであった。
「参謀長、欧州もどうもきな臭くなってきたぞ」
「はい。つい一時間ほど前、ヴィルヘルムスハーウェンが襲撃され、北海艦隊がやられたとか」
「ブレスト軍港の艦隊に続いて、だな。……我がトロンハイム・フィヨルドにも、敵は来るだろうか?」
セルモスの問いに、オニュクスは目を伏せた。
「このような辺境を襲う可能性は極低いと思われますが……」
何せ、戦艦2隻を除けば、ロートルな海防戦艦と駆逐艦ばかり。敵が敢えて攻撃するようなものかと言われると疑問である。それならば英国本土や、バルト海の艦隊を襲撃したほうがまだ有意義に思える。
「敵も、こちらの戦力を過小評価しているでしょうから」
「改装され、性能が一新されたことも、敵は知らないだろうしな」
セルモスは頷いた。
「戦艦2隻を警戒するくらいか。駆逐艦は、ノルウェー海の警戒のため、常に半分は出撃しておるし――」
などと参謀長と話していたセルモスだったが、ふいにフィヨルド内に、重々しく耳障りな警報が鳴り響いた。
この音は――
「空襲警報!?」
噂をすれば影がさす。敵はこないだろうと高をくくっていたら、まさかの空襲を告げる警報が木霊した。
基地防空隊に緊急出動がかかり、敵機に備える――間もなかった。
「長官!」
オニュクスが指し示した方向、フィヨルド入り口から蜂の大群を思わす航空機の群れが、一気に雪崩れ込んできた。
敵は、すぐそこまで迫っていた。