第六七九話、欧州に上陸せり
「洋上に敵影なし。浮上せよ」
「浮上!」
ビスケー湾に面するフランス南西部シャラント=マリティーム県ロシュフォール近くに、海を割って小型空母――ホ号潜水空母『鳳翔』が浮上した。
艦橋から見張員が飛び出し、周辺海域の警戒を行う。転移格納庫から、偵察の彩雲改二が飛行甲板に出されると、ただちに出撃準備にかかり、そして発艦を開始した。
『護衛の『雨雪』、浮上!』
フランス大型駆逐艦改装の潜水型駆逐艦が、『鳳翔』に付き添う中、鳳翔艦長の武本大佐は、周囲の安全が確保されたのを確認すると、ただちに命令を発した。
「転移中継装置を作動させよ」
「了解です」
セ号作戦の流れに従い、『鳳翔』を先導とし、主力部隊が到着する。
転移で呼び寄せられたのは、排水量5万トンを超える特務艦『鰤谷丸』である。
全長269メートル、一見すると空母にも見えるその飛行甲板には、三基のマ式エンジンを積んだ特殊輸送機『虚空』が九機、並べられている。格納庫に入らない大きさ故、飛行甲板上に載せているのだ。
大型巡洋艦『妙義』、駆逐艦『湿雪』『春雪』が転移し、鰤谷丸の周囲を固める。
ドンよりとした曇り空の下、虚空輸送機が垂直離着陸用エンジンを噴かして、飛行甲板から離れ始めた。これら虚空は、稲妻師団の偵察部隊と、遮蔽基地の設営隊を乗せた機に分かれる。欧州大陸偵察のため、それぞれが予定された行動に従い散開。遮蔽装置によって姿を消した。
それを『鳳翔』より見送っていた武本艦長に、先任士官が報告する。
「偵察機が、ロシュフォール市内を監視しましたが、人の気配がまるで感じられないとのことです」
「住民はいないよな」
武本は口元を引き結ぶ。
「敵の偵察員くらいはいるかもしれないが」
かつては海軍工廠が作られたが、皮肉なことに有名なのは監獄の方で、トゥーロン、ブレストと並ぶフランス王国三大刑務所の一つに数えられた。1926年に海軍工廠が閉鎖されると、同地は急速に衰退し、主要施設は他へ移されたという。
「さて、後は偵察部隊の仕事だ」
視線を鰤谷丸へ向けると、その飛行甲板に、転移倉庫機能を活かして設置された第二陣の虚空輸送機が並ぶ。複数の大型機を展開するのは、さすがは鰤谷丸の巨体である。
これらが飛び立つまで、ここに留まり、上陸作戦を支援する。敵はT艦隊のブレスト軍港攻撃に注意を引かれているだろうが、近くの飛行場などは、日本軍の別動隊を警戒して偵察機を哨戒に飛ばしてくる可能性は高かった。
だから、油断はできない。『鳳翔』の飛行甲板上には、高速戦闘機の試製『陣風』があって、緊急出動に備えている。
開戦時からのベテランであり、海軍航空隊のエースである須賀大尉が陣風のコクピットにいて、出撃の時を待っている。
「早くも正念場だ」
武本は呟くと、双眼鏡を手に監視任務に戻った。対空電探はもちろん、目視の見張員たちが、作戦遂行のためそれぞれの役割を担った。
・ ・ ・
ドイツは、第二次世界大戦の最中、ヨーロッパに攻め寄せた異世界帝国軍によって、ヒトラー政権は倒れ、本国を支配された。
異世界帝国は、北海でイギリスを、バルト海でソ連への侵攻を進め、その予備戦力として、ドイツ海軍の艦艇と、第一次世界大戦で沈没した艦艇を復活させ、同地に配備した。
ヴィルヘルムスハーフェンは、北海側の港湾都市であり、異世界帝国の現地鹵獲艦隊で『北海艦隊』と命名されたそれの母港となっていた。
ドイッチュラント級装甲艦こと、ポケット戦艦『リュッツォウ』、重巡洋艦『アドミラル・ヒッパー』など、今次大戦の新鋭艦もあれば、装甲巡洋艦『ヨルク』、軽巡洋艦『ケルン』、それも初代といった旧式艦や防護巡洋艦というロートルも多々見られた。
変わり種といえば、第二次世界大戦でオランダからドイツが鹵獲した海防戦艦『ヤコブ・ファン・ヘームスケルク』と『ヘルトーグ・ヘンドリック』だろう。
これらは現代で言うところの、戦艦というにはおこがましい5000トン級の旧式艦で、事実、第二次世界大戦時は浮き砲台に改装されていた。
オランダ侵攻の際、自沈したそれらをドイツは回収し、防空砲台として前者に『ウンディーネ』、後者に『アリアドネ』と命名した。
が、結局は異世界帝国によって破壊され、三度引き上げられ、ヴィルヘルムスハーウェンの防空砲台として活用されている。
そんなヴィルヘルムスハーウェン軍港を、T艦隊航空隊は襲撃した。
ブレスト軍港攻撃から、間髪を入れず、転移したT艦隊空母部隊は、艦載機を出撃させた。
今回の任務に合わせて、空母が『雲龍』『翔竜』『雷鷹』の3隻に加え、敵インド洋艦隊との戦いの直後に損傷し、改装を受けた軽空母の『神鷹』『角鷹』の2隻が加入していた。
5隻の空母から飛び立った暴風戦闘爆撃機と九九式戦闘爆撃機部隊は、その高速性能を活かして、一気に軍港施設と在泊艦艇を叩いた。
「どうだ、春日部一飛曹?」
彩雲改二の操縦桿を握る加藤 清少尉は、後ろの偵察員に呼びかけた。軍港内をグルリと見回していた春日部は答えた。
「やはりいません。『リュッツォウ』『アドミラル・ヒッパー』、それと大型空母2隻」
「ちっ、停泊していたら、ここで叩けたものを」
加藤は毒づく。
ここ最近の敵軍港襲撃で、停泊艦艇を沈めてきたT艦隊航空隊である。あくまで奇襲であるため、敵が港にいるうちに攻撃するのだが、任務などによって出撃されていると、今回のように、空振りになることもある。
「残っているのは、オンボロ艦ばかりか」
獲物としては、脅威度が高くなる新型艦を狙いたいのが本音だが、ヴィルヘルムスハーウェン軍港は旧式揃いであった。
「装甲艦と重巡はともかく、空母はいったい何だったのか」
加藤は呟く。ドイツの脱出者からの話で、かの国は『グラーフ・ツェッペリン』と軽空母の『ザイドリッツ』――完成時に別の名前になるらしいものを作っていたという。しかしそれが完成する前に異世界帝国がドイツを占領した。
では、ヴィルヘルムスハーウェン軍港にて確認された2隻がそれかというと、どうも違うらしい。むしろ、そちらの2隻らしいものは、バルト海のキール軍港の方で確認されている。
異世界帝国空母とは異なる、大型の謎空母は、そのグラーフ・ツェッペリンと似たような姿をしているから、ドイツ製と想像されるが、該当するものが確認できない。
「連中は、建造中のものを完成させているようだが……」
作られてもいないものについては、今のところ異世界人は再生なり建造なりはしていない。
しかし――
「ここにその空母がいないってことは、近くを航行しているってことか……?」