第六五二話、マデイラ諸島沖海戦
エスパーニャ級戦艦は、スペイン海軍の弩級戦艦である。
スペイン帝国とアメリカ合衆国との間の米西戦争――その敗戦によって大きなダメージを受けたスペインが、海軍戦力の復活のため、英国の設計、資材を輸入し建造したものである。
基準排水量1万5700トン、全長139.9メートル。
弩級戦艦の前、セミ・ドレッドノート級の戦艦ほどの小型に収められたその艦体には、50口径30.5センチ連装砲を四基八門、50口径10.2センチ単装速射砲二十門を装備する。
当時としては弩級戦艦としては充分な火力を持っていて、装甲に関しても、南米向けに輸出された弩級戦艦と同等のものを持っており、小型ではあるが侮れない。
しかし第二次世界大戦のレベルからすれば、列強各国の主力戦艦と殴り合うような戦力ではない。
かつては『エスパーニャ』『アルフォンソ13世』『ハイメ1世』の三隻があったが、『エスパーニャ』は座礁放棄、『アルフォンソ13世』はスペイン内戦で機雷により沈没。『ハイメ1世』も内戦による爆撃で大破、修理中に弾薬庫が爆発し沈没した。
つまり3隻とも異世界帝国が攻めてきた頃には沈んでいたということだ。それが海上にあるというのは、異世界人が復活させたことに他ならない。
『ハイメ1世』は、沈没後、浮揚された後に解体されているので、今現在活動しているのは、『エスパーニャ』と『アルフォンソ13世』である。さすがに解体されたものまでは復活はできない。
「敵戦艦、取り舵を取りました! こちらの頭を押さえるつもりのようです!」
見張り員の報告が、T艦隊旗艦『浅間』の艦橋に響く。双眼鏡で見ていた栗田中将は呟くように言った。
「焦れったいね」
双方の距離は2万メートルを切り、1万8000に近づこうとしている。すでに『浅間』『筑波』の射程に収めており、通常ならば砲撃をしているところだ。
しかし、日本側はまだ撃っていない。そしてそれは敵も同じである。
「この様子ですと、主砲については当時のものそのままの可能性が高いですな」
田之上首席参謀が言った。記録によれば、エスパーニャ級の主砲はイギリス、ヴィッカース社製1910年型マークH50口径30.5センチ砲だ。これは最大仰角15度で射程1万8300メートルほどとなっている。
異世界人たちは、仰角を上げるなどの改装もしていないそのままの砲を使っているようだった。
「敵は、後方戦力をおざなりにしているというが、沈没艦を再生するだけで、近代化改装までは手が回っていないようですな」
あくまで現地部隊、船団護衛部隊ということか。あまりに性能が不足しているものについては、最低限の改装や新型装備を載せたりはしているようだが、全てがそうというわけではないらしい。
やがて、回頭を終えたエスパーニャ級2隻が、主砲を発砲した。神明は敵先頭艦の発砲から次の発砲までの時間を計る。
藤島航空参謀が口を開いた。
「反撃できるのに、ただ待つというのも暇なものですな」
当然なら『浅間』も『筑波』も防御障壁を展開している。
「間もなく、敵艦の水雷防御試験の時間だ」
神明参謀長は言った。砲撃よりも命中まで時間のかかる魚雷攻撃が、すでに海面下で行われ、エスパーニャ級戦艦2隻へと向かっている。
それにまだ気づかず、2隻の弩級戦艦が重量386キロの砲弾を叩き込んでくるが、今のところは命中はなし。
そして先頭のエスパーニャ級戦艦に2本の水柱が上がった。海中の伊号潜水艦の誘導魚雷が直撃したのだ。
続いて2番艦にも雷撃命中の水柱がそそり立った。両艦とも、最大速力の19ノットで走っていたものが、急激にその足を止めた。ストレート一発でふらついたボクサーのように。
「……やはり水雷防御も手つかずだったようですな」
藤島はニヤリとした。大量の浸水で行き足が止まってしまうのは、それだけ魚雷の衝撃で艦内が食い荒らされたのだ。そうなっては隔壁など気休めもいいところだ。
「敵二番艦、傾斜拡大! 沈みます!」
片舷に海水を飲み込み、後続のエスパーニャ級が転覆した。そして一番艦もまた艦首が波に沈んでいた。
「どっちが『エスパーニャ』で『アルフォンソ13世』だったのか……」
藤島が言ったので、神明は皮肉げに口元を緩めた。
「どちらも『エスパーニャ』だよ」
「クラスのことではないんですがね」
「わかっているよ。だがあれはどちらも『エスパーニャ』だったんだよ。一番艦の『エスパーニャ』が失われた後、『アルフォンソ13世』は『エスパーニャ』に名前が変更になった。だから、どちらも『エスパーニャ』なのさ」
「そいつは知りませんでした」
「欧州では名称変更はよくあることだ」
国名を関した名前の船が沈むと縁起が悪いから、別の名前に、とか。では最初からつけなければいいのだが、そこは命名者と後で変更するよう言った者が別と解釈するのが正しいだろう。
栗田が振り向いた。
「参謀長。このまま船団を叩くか」
「敵の航空部隊が駆けつける前に、沈めておきたいですね」
こちらが3隻で船団に接近しているのは、敵も通報済みだろう。どれくらいの航空機が向かってこれるのか、これも未知数ではあるが、それを観測するのもまた今回の活動のうちである。
エスパーニャ級戦艦2隻を相手どっている間に、重巡洋艦『大笠』『紫尾』、駆逐艦『朝露』『夜露』『露霜』『細雪』『氷雪』『早雪』は水中での最大速力で、船団に追いすがっている。
敵は15ノット程度の輸送艦を12隻も抱え、到底逃げ切れるものでもなかった。
護衛のプリンチペ・アルフォンソ級軽巡洋艦と、防空巡洋艦『メイデス・ヌメズ』が、船団後方に回り込んで、日本軍に対する防壁になろうとする。
だがそこで、『大笠』『紫尾』が左右から挟み込むように浮上した。20.3センチ三連光弾三連装砲が、たちまち光を放ち、敵巡洋艦を貫いた。
プリンチペ・アルフォンソ級は排水量7475トン、イギリスのエメラルド級をモデルシップにした可もなく不可もない艦だ。
『メイデス・ヌメズ』は排水量4650トン、全長140メートルの小型巡洋艦で、改装により15.2センチ単装砲六門から12センチ単装高角砲八門に変更。防空巡洋艦となった。
しかしどちらも、重巡砲を弾く装甲はなく、防御シールドがない結果、直進してきた18発の光弾をそれぞれ食らい、爆発四散した。
残る駆逐艦――スペインの1500トン級駆逐艦のクールッカ級の3隻は、朝露型駆逐艦の艦首15センチ光弾砲により先制攻撃を浴び、それぞれ大破する。
装甲のない駆逐艦同士の戦いは、先に命中弾を与えた方が有利。直接射撃できる光弾砲ともなれば、その傾向はさらに増す。
輸送船12隻は、T艦隊側の降伏勧告を無視し、ジブラルタル方面で逃走。日本艦の追尾、砲撃で全艦が沈むこととなった。
「救助の必要はありますか?」
「E素材を装備したフネが沈むんだ。異世界人も助からないだろう」
栗田と艦長のやりとりを尻目に、神明は思案する。沈める前に敵船舶を無傷で鹵獲できないものか。敵は日本側からの降伏勧告に従った例は、なかったと記憶している。助からないとわかっていても、逃亡を選ぶ。
捕虜も取れるなら取ったほうが、内地の情報関係部署も喜ぶのではないか。
その後、モロッコ方面から異世界帝国のミガ攻撃機が9機飛来したが、航空戦艦『浅間』も艦載機の紫電改二を飛ばし、これを迎撃。空母がいないから攻撃機だけできたらしい異世界帝国機は、紫電改二によって全機、撃墜されるのであった。




