第六四七話、ターニングポイント
ハルゼー中将の要望と、上條少尉の証言は、軍令部に伝えられた。
それは永野軍令部総長が同席のほか、嶋田海軍大臣、さらには大本営の陸軍側情報将校までがやってきて、それぞれに衝撃を与えた。
レユニオン島での一戦で、交戦した赤の艦隊――それがルベルと呼ばれる世界の、ムンドゥス帝国側の支配下にある軍隊であることもまた、彼らには重い問題となった。
「異世界に関する情報は、上條少尉の証言で、大まかには理解した」
永野総長は、嶋田海軍大臣に告げた。
「他にも日本側にくる生還者がいるから、彼らからも証言を得られれば、少尉の話の確度も高まるだろう」
「では、ハルゼー中将を含め、アメリカに異世界技術を積んだフネをそのまま引き渡すと?」
嶋田大将が言えば、永野元帥は頷いた。
「ここで、アメリカの機嫌を損ねる選択肢はないだろう。せっかく積み上げた信用をフイにはできないよ」
戦争に必要な物資、弾薬などは、アメリカの支援なしには立ち行かない。増大した戦力も、弾や燃料がなければ戦えない。
「あちらさんは、こちらにカリブ海で貸しを作ったからね。このまま良好な関係のまま、こちらの有利を手放さないようにしたい」
「それはそうですが……。しかし、これでまたアメリカに異世界技術が渡るのですな」
「それは仕方がない。この時勢だ。彼らだって、敵兵器の残骸からそれらを得ているわけだし」
「転移の件、また蒸し返されませんかね?」
レユニオン島から鉄島――インド洋から内地近くへ一気に転移するのを、ハルゼー船団の乗員たちは体験している。
しかし永野は口元を緩めた。
「それは心配いらない。T艦隊の報告では、船団の転移は、転移ゲート機能を持たせた2隻の補給艦で行ったと聞いている。アメリカに提供した転移ゲートと同じ転移だから、特に怪しまれることはないよ」
それはそれとして――永野は腕を組んだ。
「これからの戦争計画だ。異世界からの生還者のおかげで情報は得られたが、一方で、勝利のための道筋が遠くなったようだよ」
皮肉なことである。普通は、敵のことがわかれば最善の答えが見つかり、道筋、その終着点が近づくものであるのだが。
「彼らは我々を見下している。交渉があるとすれば、全面降伏くらいしか受け付けないだろう」
「そして降伏の暁には、我らはムンドゥス帝国の資源として殺される。……この事実が明るみになれば、厭戦に染まった講和派も諦めるでしょうな」
異世界人と和平交渉を、という声は、最近目立ち始めているという。
日本軍は、局地戦を制しているが、それがいつ終わるのか、国民にも疲弊が見られる。そもそも異世界人と戦い始める前から、日本は大陸との間に戦争をしていた。長引く戦争に嫌気がさす者がいてもおかしくない。
「異世界からの生還者たちの件は大々的に報道する」
それで世間に、ムンドゥス帝国に対しては徹底抗戦しか、生き残る道がないと日本国民全てに知らしめねばならない。
「我々は勝ち続けなければいけないが、この世界だけでなく、異世界に乗り込んで戦う――それも視野に入れねばなるまい」
災いの元凶を叩く。戦争を終わらせるために異世界に逆侵攻をかける。
「そのためには、より異世界と敵についての情報が必要だ」
より詳細がわかることで、敵の強大さを思い知らさるだけかもしれない。勝利の可能性は小さいものかもしれない。
しかしやらねばならないのだ。真実は時に残酷であるが、それでも知らねばならないこともあるのだ。
・ ・ ・
異世界からの帰還者は、日本に残る組と、アメリカに渡る組で別れた。
日本政府も、陸海軍部も、ハルゼー中将と『エンタープライズ』の帰国を妨げることなく、アメリカまでの護衛をつけて送り出した。
彼らの置き土産である改装空母『ネレウス』は、陸軍の立ち会いのもと海軍で解析が始められ、帰還者たちからは異世界に関する情報収集も並行して行われた。
これまで獲得した捕虜から得た情報の再検証も進められ、確認された情報は、今後の戦争方針にも影響するだろう。
一方、レユニオン島沖海戦をくぐり抜けたT艦隊は、消耗した装備の交換と整備、補修中であった。
赤の艦隊との交戦は、日本側が圧倒した。しかし下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるというもので、少々の直撃や至近弾による損傷があって、鉄島に戻ったこともあり修理を進めている。
「――レユニオン島近海で回収作業を実施していた伊350以下、潜水艦戦隊は帰還しました」
鉄島のT艦隊司令部で、神明参謀長が、司令長官の栗田 健男中将と参謀たちに告げた。
「赤の艦隊こと、ルベル巡洋艦の正確な解析が行えます。あと、例の転移ゲートについても、魔核を用いた再生を試みる予定です」
「復元できそうかね?」
栗田が問うと、神明はわずかに首をかしげた。
「使用する魔核がゲート用の正規の品ではありませんから、どこまで再現できるかは、やってみないことにはわかりません」
形は再生できても、それで異世界に行けるゲートとして使えるかは、未知数である。
「ただ、我々は第七艦隊と共闘し、カルカッタから撤退する艦隊の撃滅に成功しました。それでカルカッタで戦没している転移ゲート艦の回収も行えますので、それと比較することで復旧の可能性は上がると思われます」
「カルカッタと言えば――」
藤島航空参謀が、眉を動かした。
「あの超々弩級戦艦も沈んでいますなぁ。あれも回収するんでしょう? 使えるかは別として」
「そのはずだ」
神明は頷いた。
「放置して、異世界帝国に回収されても困る」
「回収するといえば、カルカッタからの撤退艦隊に、随伴していた謎の転移艦もですよね?」
田之上首席参謀が確認した。遮蔽装置に隠れた敵の転移艦が3隻。これをT艦隊と深山Ⅱ大型攻撃機が撃沈している。
「ヴラフォス級戦艦の艦体を利用した艦艇だったそうだ。これも当然、再生してその転移装置を解析。あわよくば、こちらでも使おうという魂胆だ」
神明はそこで従兵に合図して、地図を切り替えた。インド洋から、今度は南米が、一同の前に現れる。
「例の、カリブ海から逃亡した敵潜水艦隊について続報が入りました。――白城」
「はい」
白城情報参謀が立ち上がった。
「呂403が、未確認の新型を含む、敵潜水艦隊を捕捉。これを追尾しました。我がT艦隊は敵の拠点になりそうな場所を先手をとって潰したのですが、ここにきて敵潜水艦隊はアマゾン川に侵入しました」
「?」
参謀たちが、一瞬言葉を失った。白城は続けた。
「敵潜水艦隊は、アマゾン川へ侵入し、内陸へと進んでいます」