第六四六話、上條元少尉の証言
要望を伝えるだけ伝えると、ハルゼーは栗田、そして神明と握手をして、『エンタープライズ』へと戻っていった。
ただ一人、上條という老人を残して。
「色々、聞きたいこともあるでしょう。おそらく、わしはこれから同じ質問を数え切れないほど、答えることになると思います」
その前に、まず栗田と神明に話して、少し慣らしておきたいと言った。すっと、上條は背筋を伸ばした。
「元大日本帝国海軍、巡洋艦『畝傍』乗組。上條 武士少尉です」
畝傍――フランスから回航中、消息を絶った巡洋艦。行方不明になった後、無人で漂流していたのを発見。異世界技術によって大改造されたそれは、日本海軍の魔法装備、そして魔技研を創設させた貴重な資料となった。
まさか、その畝傍艦の生存者が目の前に現れるとは……。
しかし、栗田と神明は、口を開くより先に大先輩へしっかりした答礼で応じた。
「ご苦労様でした」
栗田は、中将であるが、少尉である上條に丁寧に応えた。
日本海軍において『畝傍』失踪は58年も前の話である。栗田でさえ、生まれる前の事件なのだ。
挨拶を終えて、上條は『畝傍』失踪の経緯を話し始めた。
フランスから日本への回航途中、シンガポールを出たところで、闇に包まれたかと思うと異世界に飛ばされていた。
そこはルベル――赤の世界と言われる、様々なものが赤色をした世界。その後の方針を巡り、フランス側クルーと日本側クルーで意見が割れた結果、それが生死を分けることになる。
「我々はね、下ろされてしまったわけです。フランス人たちは『畝傍』で、どうにか赤の世界から脱しようと試みた」
置き去りにされた日本海軍クルー、10名。だがその直後、『畝傍』は、ムンドゥス帝国のパトロール艦艇に見つかり、その後、撃沈されてしまった。
「今にして思うと、フランス人たちは、我々を敵から助けようと囮をやったんじゃないか……なんて、色々考えさせられたりしましたね」
日本につくまでは日本人はお客様とでもいうのか。……単に食料の問題などで東洋人を見捨てただけかもしれないが。
今になってはわからないと上條は告げた。
「フネが沈み、途方に暮れたのは事実ですがね。……折よく、ムンドゥス帝国に抵抗する異世界人に拾われて、我々は助かったわけですが」
異世界にも、ムンドゥス帝国と戦っている者たちがいる。上條曰く――
「ムンドゥス帝国は、異世界を股にかけ、侵略行為を繰り返す軍事大国です。列強各国が、自分たちより劣る文明を侵略、滅ぼし、植民地にするが如く」
わかりやすい例えで、上條はムンドゥス帝国を表現した。
「彼らは、生き物が宿す魔力というモノを入手することを目的に、様々な世界を侵略している。我々の世界に攻めてきたのも、彼らにとっては資源獲得戦争だったわけです」
それで占領下の地元人が根こそぎ連れ去られたのだ。大量の地球人から魔力を絞りとり、彼らの生活のエネルギーとして使われる。こちらでいうところの石油などの資源のようなものである。
「どういうわけかは、私も知りませんが、この魔力の保有量というのが、人間種が特に多いそうで。信じられないかもしれませんが、魔法とかいう不可思議な力を活用することに長けているのだとか」
「わかります」
神明は答えた。魔法や魔力に関しては、魔技研は専門であり、その中でも神明は自身も能力者である。
「他の生き物にも魔力はありますが、人間が――その中でも女性がより魔力を多く持っている傾向にあります」
「おお、こちらでも魔力について通じている方がいらっしゃるとは」
「日本にも昔から、そういう術に長ける者たちがいましたから」
代表的な例をあげれば、陰陽師などがそうである。他にも霊力やら様々な能力をもった者たちが今も生き続けている。
「話を戻しまして、彼らは資源獲得のためにこの世界を襲い、多くの人間を捕らえて連れ去った」
そして彼らは莫大な魔力を手に入れた。ここ数年の間、ルベル世界を経由して、多くの人類が移送されていったのだという。
「抵抗組織は、それらを襲撃し、地球人の奪回を試みましたが、その力は弱く、助け出せた者は、全体から見ればほんの一握りに過ぎません」
アメリカ海軍のウィリアム・ハルゼー中将や、船団にいた地球人は、そうやって助けられた者たちばかりだという。
「そんな状況ですが、帝国にいる仲間が、地球世界でムンドゥスの侵略軍と互角以上に渡り合っているという話が伝えられましてな。それで我々――ハルゼー提督が音頭をとり、地球世界への脱出船団が準備されました」
そしてルベル世界に残っている同志や、帝国に囚われた人々を救助するための軍隊を連れてくる――ハルゼーはそう宣言した。
「彼はアメリカに帰り、そこで救出艦隊を連れて、異世界に乗り込むつもりなのです」
「……熱い男なのですな、ハルゼー提督は」
栗田が、どこか感心したように言った。異世界に舞い戻るというのが、この世界へ逃れるための口実でなければ、実に勇気ある行動であると言える。
「しかし、レユニオン島のゲートは破壊してしまいましたが……」
「あそこ以外にも、地球と異世界を繋ぐゲートはあります。救出された者たちから、どこのゲートから異世界に連れてこられたか聞けば、ある程度、突き止められるのではないでしょうか」
他にもゲートがある、と聞いて、栗田はどこかホッとしたような顔になった。レユニオン島の転移ゲート破壊は、やはり彼としても後ろめたいものがあったのだろう。
ゲートが他にもあるというのは、この場合はよかったのだが、客観的に見れば手放して喜べる代物ではない。
――ハルゼー提督は戻る気でいるらしいが……。しかし、アメリカは動くか?
神明は思う。現状、戦力の再編を強いられているあの国に、果たして異世界へ遠征する戦力はあるのか? 日本から戦艦をはじめとした軍艦のレンドリースで、再編の時間を稼ごうとしているあの国が?
かといって日本政府、陸海軍がそうした救出艦隊に手を挙げるかと言えば、こちらも判断が難しい。
まずは目先の侵略軍を撃滅するのが先――そうなりそうな未来が見える。否、これは目的が掠めれば、チャンスはあるかもしれない。
「上條さん、異世界帝国――ムンドゥス帝国が、この世界への侵略を辞めるとしたら、どういう状況だと考えますか?」
永野軍令部総長が求めていた戦争終結への道筋。神明が尋ねれば、上條は少し考える。
「そうですな……。彼らは地球人を下等な人種と見ておりますから、まともに交渉などはしないでしょう。侵略を辞める時は、資源を搾取し尽くした時、あるいは、採算が合わなくなった時、でしょうか」
つまり収支がマイナスになる状況ならば、やるだけ無駄だから借金が嵩む前に手を引く、ということだ。
「それは、侵略軍を叩き、彼らの軍隊を悉く返り討ちにすれば、あるいは……」
「どうですかな。彼らの軍備は、複数世界を同時に侵略できるほど強大です。数の戦いとなれば、まず勝ち目はないでしょう」
それに、と上條は続けた。
「彼らは好戦的民族で、『負け』にはかなり敏感な種族です。手を引くにしろ、世界を滅ぼす手段を用いて、生き物が住めない世界にしていく、ということを割とやっていきます。同志の仲には、そうやって帰る世界を無くした者もおりました」
つまり、このまま戦い続け、奇跡的に勝ち続けたとしても、未来は保証されない、ということだ。それでは何のために戦い続けるのか。
「後は、ムンドゥス帝国自体が崩壊するような……、つまり皇帝やその一族が滅びるようなことがあり、政変があれば、あるいは風向きが変わるかもしれません」