第六四三話、全員助けろ!
『エンタープライズ』は、反転した。
船団の前に現れた艦隊――明らかに異世界人のそれとは異なるそれは、日本海軍T艦隊。見える位置に戦艦を含む有力艦隊が現れたことは、転移ゲートをくぐって地球に戻ってきた者たちの歓声を呼んだ。
だがそこで、ハルゼーは命令を発した。
「艦を戻せ! 『プロテウス』に乗っている奴らを救助する!」
ここまで同行した姉妹艦の『プロテウス』は、敵巡洋艦の砲撃により大破し、航行不能に陥っていた。船団から落伍し、さらに異世界人の赤の艦隊が迫っている。
「アドミラル! このフネで戻ったら危ない!」
クルーの何人かが異を唱える。元給炭艦の改造空母。その武装は駆逐艦並み。装甲などあってないようなもの。敵が近づいているのに戻るなど自殺行為だ。
しかしハルゼーは怒鳴った。
「馬鹿野郎! それでも海の男かッ!? タマはついてんのか!」
「っ!?」
「ようやく地球に帰ってきたアイツらを、故郷の土も踏まずに死なせられるか! 絶対に、仲間は見捨てない――!」
ハルゼーの目は強い意志を秘め、輝いていた。
「オレは、異世界に留まり、戦っている奴らを必ず連れ帰ると約束した! そしてお前たちや、『プロテウス』『ネレウス』に乗っている兵、民間人もだ! 異世界人どもをぶち殺せ! アイツらを、異世界人如きに殺させるな!」
「提督!」
「水兵ども、意地を見せろ! エンタープライズ、前進!」
・ ・ ・
損傷した『ネレウス』は、そのままT艦隊のほうへ航行していた。
しかし『エンタープライズ』は、僚艦の救助のために戻った。
T艦隊の栗田 健男中将は首を傾ける。
「困ったことになった」
船団の脱出の算段をつけたのに、肝心の船がその通りに動いてくれない。
「敵は、ゲートからさらに出てきているのだろう?」
敵前で救助作業など、正気を疑う行為だ。
船乗りは海の仲間を助ける。しかし戦時ともなれば、艦や仲間の命を守るため、海に投げ出されたものを見捨てて、作戦を継続しなくてはならないこともある。
ミイラ取りがミイラになる――それは避けなくてならない。
少なくとも、戦闘が小康状態になるか終わるまで、救助は後回しというのならばわかる。だが今は敵が盛んに砲撃している中である。
これには歴戦の船乗りである栗田にも、首を傾けざるを得なかった。神明参謀長は口を開いた。
「とりあえず、彼らの前に出て、手当たり次第、敵艦を沈めていきましょう」
「救助作業が終わるまで待つというのか?」
「そうせざるを得ないでしょう。異世界から帰ってきた、同じ地球に住む人間ですから」
神明は淡々と告げた。生還者から異世界の情報を、というのは本音ではあるが、それを口にするのは時と場合による。
「そうだな、藤島少佐?」
「ですな! ええ、いっちょ、やってやりますかっ!」
ハルゼーの行動に感化された人間というのもいるわけだ。神明はわざと藤島に話を振った。もしこれが田之上首席参謀だったなら、慎重論が飛び出したかもしれない。
司令部はともかく、若い水兵たちは、ろくな戦力のない空母もどきで、窮地の仲間を救うために戻るという、甘っちょろい行動に同情し、感覚が麻痺していることだろう。
見捨てたら寝覚めが悪くなる。あるいはあんな脆そうな船が戻っているのに、我々は見ているだけでいいのか、という罪悪感。
日本人は負け戦にも美を見出す人種である。負けている方につい同情しがちでもある。
「幸い、今確認できている敵艦は、巡洋艦級です」
神明は、彩雲5番機がよこした敵艦の情報をメモした紙を見る。全長200メートル以下、主砲は2基。艦首を向けて突っ込んでくる分には1基しか使えない。
「見たところ、防御障壁については不明ですが、仮にあったとしてもこちらは障壁を貫通できる戦艦と重巡です。一撃で戦闘不能、ないし撃沈できる火力はありますから、しばらくは保たせることができるでしょう」
いざとなれば、三航艦やT艦隊空母戦隊の攻撃隊もある。転移戦術で変幻自在な機動は難しいから、少々の被弾は覚悟しなくてはならない。
「……」
栗田は押し黙る。どうするのが最善か、まだ思案中といった顔だ。藤島は口を開く。
「やりましょう、長官! ここで動かねば大日本帝国海軍の名折れです!」
「君、浪花節で戦争はできんよ」
栗田は言った。
「まあ、私は浪花節も好きではあるが」
司令長官は決断した。
「『浅間』『八雲』『愛鷹』『大笠』で突撃をかける。『筑波』は、救助対象の前に出て射線を遮れ。その他の艦艇は援護。駆逐艦の1、2隻で救助を支援せよ」
新たな指示が出て、T艦隊はそれぞれ動きだす。航空戦艦『浅間』『八雲』は速度を30ノットに上げ、正面の赤の巡洋艦に40.6センチ光弾砲を発射しながら、『エンタープライズ』を追い越した。
三連光弾の直撃を受けた赤の巡洋艦は、艦首から主砲、艦橋ほか艦上構造物をそぎ落とされ、そして吹き飛んだ。
やはり1万トン級巡洋艦レベル。戦艦の主砲弾の直撃に耐えられるものではない。そもそも1発に見えて3発。主砲一基で9発も当たれば、巡洋艦がスクラップになるのは無理もないことであった。
まさに必殺。距離も1万5000メートルで、敵艦が視認できるのであれば、ほぼ直撃する光弾砲は、次々に敵艦を仕留めていく。
『愛鷹』『大笠』も20.3センチ三連光弾三連装砲で、赤の巡洋艦をほぼ一撃で大破、戦闘不能に追い込んでいく。
「変針し、側面を向ける敵艦には注意せよ」
栗田は、神明と敵艦についてのメモを見ながら告げる。
「側面には副砲として光弾砲を搭載しているらしい。ある意味、主砲より危険だ。優先して叩け」
敵巡洋艦の舷側の光弾砲は、雷撃を仕掛けた業風隊が食らっている。高角砲ではないようで、対空射撃にも使えるがあくまで対艦戦闘用の武器だと推測される。
「『ネレウス』、転移範囲に入ります!」
見張り員の報告。先に退避していたハルゼー船団の1隻が、T艦隊後方にいた防空補給艦の『新洋丸』と『天風丸』、その両艦の間を通過する。
次の瞬間、2隻の補給艦の間に入った『ネレウス』が消えた。転移したのだ。
「上手くいったようだな」
栗田の言葉に、神明は頷いた。
転移装置を持たない『ネレウス』が転移できたのは何故か? 答えは単純だ。転移ゲート発生器を装備した『新洋丸』と『天風丸』の間を通過しようとしたからだ。
いわば、動く転移ゲート。アーチ上の転移ゲートの右柱と左柱。カルカッタで敵が用いた転移ゲート艦を参考に、転移装置を持たない船舶やその他物体を指定の場所に移動させるために作られた。
「あとは『エンタープライズ』と『プロテウス』を転移させられれば……」
「漂流者を捉えるかはわからないので、しばらく待つ必要がありますが」
艦艇だけ転移させて、海に投げ出された者だけ置いていかれるのは、さすがに願い下げである。
「うむ。参謀長、あの転移ゲートだが――」
栗田は真顔で告げた。
「あのまま敵艦を出し続けられては、こちらも保たんだろう。乗員救助のためにも、破壊すべきだと思うが……どうか?」