第六三九話、異常事態
T艦隊旗艦『浅間』、その艦橋では、第三航空艦隊偵察機隊より立て続けに入った報告で、騒然となっていた。
「ロドリゲス島に、敵と思われる大艦隊……」
栗田 健男中将は、息を呑んだ。
マダガスカル島より東にあるマスカリン諸島。その中にあるモーリシャス島からさらに北東およそ560キロの地点にロドリゲス島はある。
小さな島であるが、この島の近海に、これまで確認されていない型の巡洋艦級の大集団が確認されたのである。
その数300隻近く。遠目からでも、これまでと違う艦容だったが何より目立つのはその艦隊色が『赤』で塗装されていたことだ。
T艦隊は、T計画を遂行するためインド洋西部にも転移連絡網を構築すべく、マスカリン諸島にも彩雲改二を複数放ったのだが、発見されたのは、艦隊だけではなかった。
モーリシャス島に異世界帝国の警戒拠点があるのは想像がついていたが、アガレガ諸島、カルガドス・カラホス諸島、そして今回のロドリゲス島にも敵は警戒拠点を作っていた。
そしてモーリシャス島にから西に175キロ、マダガスカル島から東に800キロの位置にレユニオン島がある。
直径60キロ前後の島であるこの島に飛んだ彩雲改二は、その洋上に巨大構造物――ゲートを発見したのであった。
首席参謀の田之上 義雄大佐は唸る。
「まさか、ここに敵が転移ゲートを設置していたとは……」
「ロドリゲス島の赤い艦隊も――」
藤島航空参謀は口を開いた。
「このゲートでやってきたんじゃないですか?」
「どう思う、参謀長?」
栗田が神明参謀長を見る。
「おそらくは」
突然の赤い艦隊の存在も気になるところである。今まで確認されていない艦艇を通してきたゲートならば、もしかしたらそのゲートの先は、この世界ではなく、異世界と繋がっているのではないか……?
「敵のゲートであるならば、これは早急に叩かねばならないのではないか?」
栗田は言った。敵の増援を吐き出し続ける存在を放置すれば、いずれ手に負えなくなるのではないか。
すでに赤い艦隊で300隻以上が確認されている。もしこれが異世界帝国の世界に通じているなら、今後さらなる敵が送り込まれてくるかもしれない。
だが――
神明は口を噤む。
もし、これが異世界に通じるゲートであれば、敵のことを知る手掛かりにならないだろうか?
日本は、いやこの世界の住人は、異世界人たちが別世界からの侵略者であるということしか敵を知らない。
そこにムンドゥスという巨大な帝国があることは、捕虜の証言でわかっているものの、それ以上については実際に確認しようがないため、不確かな情報となっている。
今のところ政治的な交渉もなく、さりとていつまでも戦争を続けることはできないため、日本も、この戦いの落としどころを探している。
ゲートが異世界に通じているのならば、その情報を得る機会になるのではないか。
――これは一度、内地に持ち帰って、上層部に判断を仰ぐ案件ではないか。
ゲートを放置するのは危険ではあるが、現場判断で片付けるには重すぎる。神明が改めて口を開きかけた時、事態は動いた。
情報参謀の白城 直通少佐が告げる。
「長官、レユニオン島を偵察中の彩雲から続報です。ゲートから空母と思われる艦艇が3隻出現しました」
「なに、敵の増援か?」
「それが、どうも様子がおかしいようです。この3隻は、異世界帝国の艦艇識別にない上に1隻が損傷しているらしく煙を吐いているようで……」
「煙……? 事故か?」
参謀らの間にも緊張が走る。ただ事でないことが起きている予感。さらに報告は続く。駆け込んできた通信長が、白城参謀に電報を渡し、彼を困惑させた。
「これは……本当なのか?」
「間違いありません」
「何だ、どうしたのだ情報参謀?」
栗田が尋ねれば、白城は背筋を伸ばした。
「不明艦から電文が発信されております」
「内容は?」
「『我、「エンタープライズ」、異世界人の追撃を受く。救援求む』」
「『エンタープライズ』……?」
途端に栗田や参謀たちは顔を見合わせた。
「エンタープライズといえば、アメリカの空母か?」
「イギリスにも同名の巡洋艦がありましたが……」
田之上が言えば、藤島が眉間にしわを寄せた。
「空母でエンタープライズと言ったら、アメさんでしょう! 何で、そんなもんがゲートから出てきてるんです!?」
そうだった、転移ゲートから出てきた不明艦艇だったのだ――参謀たちは唸った。通信士がやってきた。
「報告します!」
「今度は何だ?」
「レユニオン島を監視中の彩雲5番機より、続報! ゲートより、赤い艦体色の艦隊が出現中、先の不明艦3隻を追尾しつつある模様、以上です!」
転移ゲートから、ロドリゲス島の赤い艦隊と同系と思われる艦隊が現れた。これで両者は繋がった。
それはそれとして――神明は、栗田に向き直った。
「先の『エンタープライズ』を名乗る艦艇が気になります。赤い艦隊が追尾しようとしているなら、少なくともこちらの敵ではないと思われます。これを救助すべきかと」
栗田は腕を組み、しばし考える。
「……やれるか? いや、今から間に合うか?」
「間に合わせます」
神明は頷くと、まず不明艦と交信すべきであると告げた。どういう対応になるにしろ、状況の整理は必要だった。
そしてその確認の間に、救助のための準備を進めるのである。
・ ・ ・
広がるのは青い海。久方ぶりの潮の香りと風。広げた鷲の翼のような眉に、いかつい顔つきの男は、狭い艦橋から見える景色を見やり、その目に光るものがあった。
「帰ってきた……。ここがどこかは知らねえが、オレたちの地球だ」
その男の名は、ウィリアム・F・ハルゼー。アメリカ海軍中将。第一次ハワイ沖海戦で、空母『エンタープライズ』に座乗し、異世界帝国と戦い、そして戦死したと思われていた男である。
「提督! 感傷にふけっている場合ではありませんぞ!」
後ろから老いた声が響く。
「奴ら、ゲートを超えて追いかけてくるっ!」
「クソッタレ! しつけぇ野郎どもだ! ――救援の電文は打ってるんだろうな!?」
「さっきからずっとやってますよ!」
若い通信士が怒鳴る。ハルゼーは独りごちた。
「頼むぜ、ここがどこだか知らねえが、このウスノロじゃ、とても逃げ切れねえぜ」