第五七一話、米海軍の要請
南米派遣艦隊の旗艦『出雲』にやってきた太平洋艦隊のスプルーアンス大将は、古賀 峯一大将に、大西洋艦隊の窮地を救うための方法を提案してきた。
それは他国には機密である転移装置を用いた、太平洋からカリブ海への転移。
日本側は、アメリカに転移装置の有無、その存在すら伝えてはいない。しかしスプルーアンス大将が、持っているのだろうと指摘してきたということは、少なくとも米海軍は日本海軍が、転移装置を用いているのを察している。
どういう方法での転移か、その詳細までは掴めていないが、わざわざスプルーアンスが古賀に直談判にきている時点で、ブラフではない。
「スプルーアンス提督にお尋ねしたい」
「何なりと」
「貴官の提案は、貴官独自のものか?」
スプルーアンスの独断で動いているのか。その上司である太平洋艦隊司令部は、この行動を知っているのか?
「もちろん、ニミッツ太平洋艦隊司令長官は存じております。……というより、私は彼の命令でここにきました」
「……なるほど」
現場の判断ではなく、太平洋艦隊のトップからの指示だったということだ。つまりは艦隊転移の提案は、太平洋艦隊司令部から正式に出たということである。……スプルーアンス一人を消せば、転移云々の秘密を守れるとか、そういうものではない。
「仮に、その移動手段があったとして、それは我々にどんな見返りがありますか?」
古賀は真面目な顔で尋ねた。
バックヤード作戦のどこにも、日本艦隊がカリブ海や大西洋に出て、敵艦隊と戦えという命令はない。
作戦になくとも、状況の変化のため行動しなければならないことはある。が、事が国家間のものであるから、そこには様々な利害が発生する。
情に流されて勝手に助けに行き、艦隊を消耗させたとあれば、その判断を内地で非難もされるだろうし、見返りなくば政府も軍部も納得しないだろう。
南米派遣艦隊司令長官として、裁量を与えられているとはいえ、何をしてもいいわけではない。少なくとも、国にも海軍にも損をさせてはいけない。損害を被るならば、それ以上に得るものがなくてはいけないのだ。
「米国民と米軍全体の信頼を勝ち得ます」
スプルーアンスは、少し気分を落ち着けるように口調を緩めた。
「東方から遥々やってきた日本の艦隊が、絶体絶命の米軍を救う。これは我が国の民には大いに受けるでしょう。アメリカ合衆国は正義と自由を愛する国です。正義の味方には強い尊敬を向けます」
古賀は、スプルーアンスの言葉に面食らった。自分が期待したのは、もっと物質的なもので、たとえばレンドリースの武器や装備の量を拡大するとか、それにかかる戦費について日本に便宜を図るとか、そういったものを考えていたのだ。
「もちろん、合衆国政府、海軍ともに同盟国、日本のために可能な限りの融通を図るでしょう。そういった判断は、現場の私からは何も申せませんが、ニミッツ太平洋艦隊司令長官も、日本海軍の要望には応えるよう尽力することは、お約束できます」
「貴官は、ニミッツ長官のことをよく知っているのか?」
古賀の問いに、スプルーアンスははにかんだ。
「私は、ニミッツ長官の下で参謀長をやっていました。その関係は悪くなかったと自負しています。私には日本人の友人もいますし、ニミッツ長官は、熱心な東郷元帥の信者でありますから」
アドミラル・トーゴー――日本海海戦の立役者、東郷 平八郎元帥の名前が出てくるとは思わなかった古賀である。他国の軍人から自国の英雄の熱心な信者と言われて、悪い気はしない。
「スプルーアンス提督、少し待って待ってもらえないだろうか? いやなに、そう時間は取らせないつもりだ。こちらで参謀たちと話をまとめる時間が欲しい。悪いようにはならないと思う」
「わかりました。あまり時間がないことを理解していただけているならば、待ちましょう」
スプルーアンスは了承した。古賀は、従兵に長官公室に提督を案内せよと命じると、高田 利種首席参謀を呼んだ。
「『赤城』に行き、神明少将を連れてきてくれ」
「神明……、アメリカの提案を受け入れるのですか?」
高田は問うた。魔技研の神明であれば、転移技術について造詣が深い。だから彼を呼ぶということは、カリブ海へ艦隊を移動させるつもりなのではないか、と考えたのだ。
「その、できるできないを確認する上で、神明の知識が必要なのだ」
古賀はきっぱりと告げた。魔法技術や装備について、ある程度使い方の知識はあれど、可能なことについての詳細はわからず、素人同然であるから、専門家の知識が今求められていた。
・ ・ ・
転移で高田参謀が、『赤城』にきた時、小沢中将も神明参謀長も既視感をいだいた。
連合艦隊司令部に呼び出され、転移するというのは以前にもあったことだ。高田のかいつまんだ説明を聞き、小沢は、行ってこいと神明を送り出した。
南米派遣艦隊の『出雲』へ移動した神明と高田は、そのまま司令塔にいる古賀と司令部参謀たちと合流した。
「簡単な説明は、高田参謀から聞いていると思う」
古賀は前置きをすると、スプルーアンスの、米太平洋艦隊司令部からの要請について語った。
「助ける助けないというのは、高度に政治的な判断を求められる。私が転移で連合艦隊司令部へ行くことも考えたが、そこから軍令部や海軍省に話が行って、時間がかかる。現状、時間を無駄にしている余裕はない。故に現場で判断する。……が、それ以前に、米軍のことは端に置いておいて、南米派遣艦隊でカリブ海への転移は可能か?」
「転移中継ブイをカリブ海に設置する必要があります」
神明は答えた。
「まず転移網を繋げないことには、現状転移は不可能です」
「つまり、米軍の要請には応えられない、と?」
「今すぐは不可能ですが、『大海』もしくは『雲海』から転移中継ブイを搭載した火山重爆撃機を、カリブ海に飛ばせば、可能となります」
物理的に行けなければ仕方ない、そう思い、どこかホッとした参謀たちの表情が、冷や水を浴びせられたような顔になった。
神明ができると行ったことで、艦隊は大西洋艦隊の救援ができることが確定したのだから。南米派遣艦隊の参謀たちの中では、助けを求める米軍に応えたいが、物理的には無理という落としどころを求めていたのだろう。一種の事なかれ主義である。
古賀は口を開いた。
「今のところは、現場での口約束に過ぎず、我々に危険を冒した見返りがあるとは言えない。体よく利用されるだけかもしれない。……君なら、どう判断する?」
その問いに、周囲は驚いた。それを決めるのは司令長官である古賀である。決断を下すための材料が欲しいのだろう――神明は即答した。
「救援に行くべきと愚考致します。我々の任務は、バックヤード作戦における米軍の支援ですから、大西洋艦隊が壊滅し、作戦が潰れれば、それは我々の任務の失敗を意味します」
「……確かに」
文面には米軍の支援とあって、それはつまり太平洋艦隊のことだが、大西洋艦隊が含まれていないということにはならない。馬鹿正直な解釈をするなら、南米派遣艦隊が大西洋艦隊を支援するのは、任務を逸脱していない。
むしろ、作戦の成功のためには、手があるなら積極的に支援すべきである――と、言い訳は立つのだ。