第五六〇話、日本軍の役割
「――しかし、これは慣れんなぁ」
小沢 治三郎中将は呟いた。少々遅れて艦橋に上がってきた航空艦隊司令長官は、自嘲する。
「『赤城』と聞くと、どうも左艦橋と体が覚えてしまっていてだな」
「この『赤城』は右艦橋ですから」
神明参謀長は頷いた。
異世界帝国との戦いで、何度も大きな損傷を負い、その都度、復活を遂げてきたベテラン空母である『赤城』である。
改装により、魔法式防御の強化、防火・消化設備の見直し、格納庫の効率化など、リニューアルされ続けてきたが、ついにその改造は艦橋の位置まで見直すに至った。
空母黎明期、左舷側に艦橋が置かれた『赤城』だったが、僚艦との信号のやりとりがやりやすい以外にメリットがなく、むしろ航空機運用の面ではデメリットしかなかった。
レシプロ機は、エンジンを回すとその回転方向と相まって左方向への向きたがる。艦橋が左にあると、搭乗員たちには着艦時に非常に目についてやりにくい。
他にも排煙の問題だったり乱気流の問題だったりで面倒が多かった。さらに他の大型空母に比べて艦橋の大きさ自体が小さめで、司令部を置いての艦隊指揮ではやりづらさもあった。
なので改装で艦橋そのものを大きくし、右舷に移動。右側にあった煙突と一体化した新型艦橋となったのだった。
「おれが一航戦の司令官をやっていた頃の旗艦が『赤城』でなぁ」
小沢は懐かしむ。
「その時に、すっかりこのフネは左艦橋が染みついてしまっていたんだな……。感慨深さもあるんだろうが」
1939年も終わりが近い11月から約1年、航空戦隊司令をを務めた小沢である。
「中の造りもだいぶ変わっているし、別物と思えばいいと考えていたんだが、名前を聞いただけで無意識にやってしまうんだ」
それは他に考え事をしていて、無意識歩きをしているせいだろう、と神明は思った。人間には慣れてしまったことを、脳が勝手に実行する力がある。
体に染み込ませて、反射的にできるようになる、というのはそういうことでもあるのだが、これが乗り物などを運転している時などにも発動するから怖いのだ。
前方不注意、ぼうっとしていた、などもこれ。別のことに思考を使い、脳が体を反射で行動させる。無意識にやっていた、の典型である。
「それはそれとして、空母に乗るのもずいぶんと久しぶりな気がする」
「機動艦隊では、もっぱら戦艦を旗艦としていましたからね」
神明が言えば、小沢は悪戯っ子のような顔をした。
「お前さんの助言だったからな。空母は全体的に背が低いから、大事な通信を受け取り損なう可能性が高い」
戦隊指揮ならともかく、艦隊旗艦として重要度の高い通信を受信できないかもしれない、というのは問題だった。
航空部隊指揮官は空母を旗艦として、指揮をとらねばならない――そう考えていた小沢だったが、上位の司令部なり、重要な通信を受け取り損ない、作戦を台無しにするリスクを考えれば、艦橋が高く、より通信能力に優れた戦艦を旗艦にするほうがよいと鞍替えするのも無理はなかった。
「適当な戦艦があればよかったんだがな」
小沢は、ちらと南米派遣艦隊の旗艦である航空戦艦『出雲』を見やる。
あれこそ機動艦隊の旗艦にふさわしい。戦艦艦橋があり、通信能力は高く、かつ航空隊も小規模ながら搭載可能。
第一機動艦隊で伊勢型戦艦を旗艦としている小沢としても、敷島型航空戦艦『出雲』は魅力的に思えた。
「今回は古賀さんに譲るがな」
聞けば、『出雲』は一機艦の旗艦として配備される予定であるという。元は異世界帝国の艦隊旗艦級戦艦として作られた艦だから、この役割に打ってつけである。
「最前線よりやや後方にあって、指揮をするに充分な能力があります」
神明は言った。
「今回は米海軍との共闘ですから、多少の見栄もあります」
古賀大将の旗艦として、米軍も多少は敬意を払うだろうし、そちらとの交渉やらで艦隊とは別行動の可能性も無きにしも非ずである。それに付き合わされては、現場の指揮にも影響する恐れはあった。
事実、艦隊司令部と航空戦隊司令部が同じ艦で、指揮をとるのは都合が悪い。単純に人員数の都合で狭いというのもあれば、万が一旗艦がやられた時、双方の司令部が一挙に全滅してしまう。それは避けねばならない事態である。
「『伊勢』と『日向』が使えれば、空母旗艦でなくても済んだんだがな」
古賀の『出雲』を羨むこともなかったし、司令長官と別行動でも、空母部隊に円滑な指揮をとれた。
「仕方ありません。『伊勢』と『日向』は働きづめでしたから」
ここらでしっかりと整備補修をしておかないと、肝心なところで故障したり、本領発揮することができなくなる。第一機動艦隊が編成されて以来、戦場に出る時は常に前線にあった。
それは他の一機艦の空母を含む大半の艦艇にも当てはまる。今回、『赤城』が旗艦として引っ張られたのは、修理、大改装の期間に徹底した補修を行い、当然その間、前線にいなかったからである。
「通信については、他艦からも補助してもらうとして……」
小沢は艦橋から空を忌々しげに見上げる。どんよりと曇った天候。一雨きそうな雰囲気を醸し出していた。
「心配を言えば、天候だな」
「赤道直下ですからね。午前はともかく、午後は曇りか雨。熱帯らしくスコールもあるそうです」
「戦艦が14隻あるのは、ある種、僥倖だったかもしれんな」
小沢は口もとを引き締めた。
「思ったより、水上砲撃戦の機会があるかもしれない」
コロンビアに上陸するアメリカ海兵隊の支援と援護の役割を担う日本海軍南米派遣艦隊である。
同時にコロンビア西側の敵飛行場を叩く役目も仰せつかったが、実は言うほど飛行場がなかったりする。
「まったくないとは言いませんが、どうにもカリブ海側にまともな飛行場が集中しているようですからね」
「ここの敵は、アメリカとドンパチやってきたからな。太平洋よりもカリブ海の方を重視するわな」
だからこそ、その手薄な太平洋側、北西部に米海兵隊が強襲上陸を仕掛けようというのだろう。
しかし、南米くんだりまで来たのに、機動部隊の獲物が思いのほか少なく、小沢は拍子抜けしている。米軍への支援は重要任務ではあるが。
神明は小さく首を傾けた。
「我々は、いつ現れるかもしれない敵の有力艦隊への番犬なのでしょう。米軍からすれば、我々は異世界人の艦隊に対して圧倒的勝率を誇る強力な壁ですから」
「アメリカ太平洋艦隊が主に、パナマに攻撃を集中するという方針からしても、そうなのだろうな」
要するに、米艦隊の背中を守っておけ、ということなのだろう。神明は微笑した。
「現在のところ、敵艦隊は地方艦隊規模であり、現有戦力でも対応可能です。しかし、例の紫の艦隊のように遮蔽や転移を使われると面倒ですから、油断できません」
「いつ現れるともしれない敵艦隊に集中できるというなら、そう悪い話ではないな」
小沢は頷いた。6月4日の午後。攻撃開始とされるDディは、明日である。




