第五〇六話、急な思いつきに振り回されるのは現場である
転移艦は、マダガスカル島近海にはいなかった。
が、第七艦隊が、インド洋に張り巡らせた転移連絡網、その中継ブイが、マダガスカル島より比較的近い海域に配置されていた。
これは、第七艦隊の哨戒空母『真鶴』が定期的に偵察機を飛ばしに行く都合上、艦艇も転移で発進位置まで移動できるようにブイが設置されていたのだ。おかげで、日本海軍は、これまでマダガスカル島のインド洋艦隊の戦力を逐次確認できていたわけだ。
異世界帝国インド洋艦隊から攻撃隊が、日本軍の主力戦闘群に迫っていた。その攻撃をやり過ごす方向については、第一艦隊、第二艦隊、第一機動艦隊でも意見を同じくするところではあった。
だが――
「マダガスカル島を攻撃する? 言うのは簡単だが、いきなりそんなことを言われてもな……」
第一機動艦隊司令長官、小沢 治三郎中将は、連合艦隊司令部の説明に困惑した。
作戦前にまったく想定していなかった場所を空襲しろ、と言われても情報が不足している。
マダガスカル島は大きい。世界第四位の面積を誇るという島だ。敵飛行場の位置は? 規模は? 戦力は?
攻撃隊の搭乗員たちに、マダガスカル島の地形、地理についての情報が果たしてどれくらいあるのか。地図を渡せば飛べるだけの能力はあるが、きちんと、手際よく目標に到達できるかと言われると、それはまた別の話だ。
発案は山本長官らしいが、いかにも思いつきの範疇であり、今は無理にマダガスカル島を襲わず、インド洋艦隊撃滅に注力したほうがよいのではないか。
「神明、貴様はどう思う?」
小沢が、参謀長に話を振る。
「……やってできないことはないかと」
第一機動艦隊は、ぶ号作戦において、当初予定になかったブリスベン、タウンズビルを空襲している。これは神明が作戦上、敵の反撃拠点としてどの程度の戦力があり、交戦の可能性があるのか予め確認して、ぶ号作戦に臨んだからだ。つまりその時は、予習済みだったわけだ。
「ただ、長官の仰る通り、こちらでマダガスカル島の戦力や地理について、最新情報を持っていません」
大前参謀副長、青木航空参謀を見れば、二人は首を横に振った。今の第一機動艦隊に、マダガスカル島を攻撃せよと言われて、どこを攻撃すればいいのか具体的なことが言えない状況である。
神明は続ける。
「現地に詳しい第七艦隊から、地理に詳しい参謀の一人でも臨時に派遣してくだされば、やってできないことはないと考えます」
参謀とは、発案された策が実行できるように持って行くのが仕事である。最上級指揮官の思いつきだろうが、それができるように運ぶのが参謀なのだ。
「とはいえ、マダガスカル空襲が本当に必要なのか、と言われると疑問符はつきます。戦場から遠いですから、マダガスカル島が攻撃されたからと言って、直接何かが変わるわけではない。インド洋艦隊の司令官の思考に影響を与えて、判断力にプレッシャーを与えることはできますが、末端の兵が動揺するかまでは……」
敵提督の決断に多少の影響はあるだろう。補給が難しくなるから、余計な燃料消費を嫌って、行動力に枷をつけられるかもしれない
母港がやられたことで引き返すという判断をするのか、あるいは背水の陣と覚悟を決めて、セイロン島制圧に本気を出すのか。敵将の情報がないので、先が読めない。
小沢は視線を鋭くさせた。
「敵インド洋艦隊は、まだ空母を多数持つ強力な艦隊だ。敵指揮官の決断を迷わせる可能性があるなら、マダガスカル島攻撃も一つの手かもしれない」
山本長官がやるというのであれば、そしてそれが可能であるなら、やってみよう――それが小沢の判断だった。
「我々が本当に叩かなければならないのは、インド洋艦隊ではある。だからマダガスカル島攻撃については、敵港湾施設に打撃を与えるだけで、充分に敵指揮官を動揺させられるだろう」
つまり、本命は艦隊なのだから、とりあえず日本軍がマダガスカル島を攻撃したという事実が伝わるだけで充分。戦果については多くを求めないし、徹底しないと宣言した。
それもこれも連合艦隊全般に漂う、弾薬不足が影響している。インド洋艦隊を撃破するだけの弾は残しておかないといけないから、無理にマダガスカル島の敵施設を全滅させるほどやらなくてもいいというのだ。
第一機動艦隊司令部が、山本の案に乗った結果、各艦隊の司令部が慌ただしくなった。
第七艦隊司令部から了承をとり、マダガスカル島攻撃のため、現地に詳しい佐賀作戦参謀が第一機動艦隊司令部に移動し、実際の攻撃計画を手早く立案。
さらに目標までは第七艦隊の哨戒空母『真鶴』の航空隊が誘導するとなり、そのための手配にかかった。
「マダガスカル島空襲については、第七艦隊司令部でも計画だけはしていました」
佐賀作戦参謀は、第一機動艦隊司令部参謀たちに告げた。
「この計画案に従い、投入戦力を第一機動艦隊で落とし込めば……即席ですが攻撃計画自体は完成します」
ただ各搭乗員たちに、必要な情報を短時間で頭に叩き込んでもらわなくてはならないが。最低限、航空隊の指揮官たちには部下を誘導してもらって補うが、つまり指揮官たちはしっかり覚えなければならないということではある。
・ ・ ・
連合艦隊は、当初の作戦計画と異なる動きを取ることになった。
艦隊転移による空襲回避案の実行が困難になったため、主にそれを使う予定だった主力戦闘群が、戦線を離脱し、マダガスカル島を空襲する。
一方で奇襲攻撃群は、予定通りに潜行などを駆使して、インド洋艦隊に接近。敵艦隊ならびに船団への肉薄突撃を行う。
奇襲攻撃隊が、インド洋艦隊に攻撃したタイミングで、主力戦闘群も転移で移動。奇襲攻撃隊と合流し、主力艦隊の全力をもって、敵艦隊を撃滅する。
変更点は、主力戦闘群が敵艦隊の目を引きつける囮として、敵航空攻撃の空振りを連発させるつもりだったが、それができなくなったというところだろう。
陽動の範囲を広げてマダガスカル島攻撃を行い、日本軍はこの海域から移動したと敵に思わせ、油断したところを艦隊全力の突撃を仕掛ける――と。
多少予定とは違うが、奇襲攻撃群からすれば、やることは変わっていない。故に作戦変更の誤差は最小限に留まるはずだ。
一番変更があるのが、マダガスカル島を空襲することになった第一機動艦隊ではある。
そうこうしている間に、主力戦闘群のもとに、インド洋艦隊から約800機の大攻撃隊が飛来した。
空母群が直掩機を収容し終わる頃、異世界帝国攻撃隊が戦艦部隊の一式障壁弾の間合いに入ってきた。
真っ直ぐ向かってくる敵に、第一艦隊戦艦部隊が主砲による一式障壁弾を発射した。空中に開いた多数の光の壁で、数十機の敵機が潰れ、爆発する。
が、そこまでである。
日本軍戦闘機隊が迎撃に現れないのを訝る異世界人たちをよそに、連合艦隊主力戦闘群は、転移による離脱を行った。
残された異世界帝国攻撃隊は、攻撃目標をロストし、引き返すしかなくなるのだった。




