第四三四話、連合艦隊司令長官の覚悟
インド洋西部、マダガスカル島。以前より、敵の大規模船団が集結しつつあるというのは、セイロン島の第七艦隊が確認していた。
哨戒空母『真鶴』の彩雲が、定期的に飛んで見張っていたのだが、マダガスカル島に集まった異世界帝国艦隊が、いよいよ動き出そうとしているらしい。
軍令部からきた伊藤 整一軍令部次長は、山本五十六連合艦隊司令長官に伝えた。
「戦艦30、空母40。巡洋艦、駆逐艦合わせて200ほど。輸送船の数は500に及ぶとのことです。艦隊だけでも、先のインド洋に乗り出した敵大西洋艦隊に匹敵する規模です」
現地の第七艦隊だけでは、この戦力を阻むことは不可能に近い。
恐るべきは、強大な異世界帝国の戦力。先に撃滅した大西洋艦隊規模の艦隊を、南太平洋とインド洋に同時展開させるだけの力をまだ持っている。
「敵はおそらく、セイロン島を攻略、突破し、そのままインド、カルカッタ方面に上陸、大陸での戦況を有利にしようと目論んでいると思われます」
日本陸軍は、強大な異世界帝国陸軍を押しとどめているが、それは敵が補給不足で攻勢が鈍っているからである。
アヴラタワーを狙い撃つ作戦で、さらに深刻化している敵の補給事情だが、ここで物資不足が解消されれば、陸軍も戦線を支えきれない。
「故に、南太平洋を敵に渡すことになったとしても、連合艦隊にはインド洋を絶対に死守していただきたい。大陸決戦に敗れれば、日本の後背を敵に押さえられてしまいます」
そうなれば、いくら太平洋で勝っても仕方がない。
草鹿参謀長ほか、参謀たちは言葉を挟むことなく深刻な顔で、山本長官を見やる。連合艦隊司令部は、これから南太平洋での難局を乗り切ろうと動き出していた矢先だっただけに、どうにも中途半端な気持ち悪さが残るのだ。
「……一時的に、南太平洋を敵に明け渡したとして、次も同じように取り返せるとは限らない」
山本は重々しく告げた。
「敵はソロモン諸島に上陸を開始した。高度に基地化されてしまえば、こちらも半端な手出しでは済まないほど強固な守りとなるだろう」
「……」
「どうだろうか? まず、連合艦隊は南太平洋の敵艦隊を撃滅し、それからインド洋に戦力を向けるというのは?」
山本は従兵に地図を持ってこさせて、机に広げた。
「我々には転移連絡網があるが、敵にはそれがない。マダガスカルからセイロン島に到達するまでには、まだ日数があるはずだ。数日内に、ソロモン諸島の敵をやっつけ、返す刀でインド洋の敵を撃滅する。これならばどうか?」
伊藤はじっと地図を見つめて、考え込む。随行している第一部長の中澤 佑少将が口を開いた。
「確かに、転移連絡網があるので、南太平洋からセイロン島まで一気に移動することは可能ですが……」
「失礼ですが、山本長官」
伊藤は静かに切り出した。
「ソロモン諸島に上陸した敵は大艦隊と聞き及んでおります。連合艦隊は全力を以てこれを撃滅することに疑いはありません。ですが、インド洋に送れる戦力が果たして残っているでしょうか?」
「……」
かつての太平洋艦隊、大西洋艦隊に匹敵する規模の異世界帝国艦隊と戦い、どれだけの艦艇が修理なしのほぼ補給だけで、インド洋へ回せるか?
先の大西洋艦隊との戦いは完勝といえる戦いだったが、損傷艦は出た。ハワイ沖での戦いでは、第一艦隊の戦艦群が壊滅的損害を受けた。勝ったものの、充分な戦闘力が残るという保証はどこにもない。
「現在のところ、敵の防御障壁に対して、有効な兵器が出来ましたが、その配備は進んでおらず不充分と言わざるを得ません。そんな状況で大海戦をやれば、被害がどれほどになるか、正直見当がつきません」
「我々が負ける、とおっしゃいますか?」
草鹿参謀長が口を挟んだ。伊藤は、ちらを一瞥した。
「勝っていただかなければ困りますが、勝負とは時の運もございましょう。勝ったとしても、インド洋で戦える戦力が不足すれば、日本の敗戦に直結します」
興国の興廃を賭けた戦いは、南太平洋ではなくインド洋である。伊藤の静かだが、断固たる調子は、不思議と力強かった。
参謀たちが黙していると、山本もまた静かに告げた。
「連合艦隊は、興国の安寧のため、盾となり矛となる。我々は、必ずソロモン諸島の敵を打ち倒し、インド洋の敵も撃滅して御覧にいれる。たとえ、戦力が不足しようとも、この山本、旗艦『敷島』と共に敵艦隊に斬り込み、命尽きる時まで戦い抜いてみせる――そう、永野総長にお伝え願いたい」
連合艦隊司令長官は、自らの最前線で果てることになろうとも、職務を果たすと宣言した。
中澤は感銘を受ける一方、伊藤は少し寂しげな目になった。
「長官の覚悟、しかと承りました」
・ ・ ・
軍令部に戻る時、伊藤はあれでよかったのかと内心穏やかではなかった。軍令部次長の心境をよそに、中澤は言った。
「さすがは山本長官です。まさに武士というか、指揮官の器を見た気がします」
「そうだろうか?」
伊藤は、ボソリと言った。
「日本人は、ああいうのに弱いんだ。もちろん、長官にはそれなりに勝算があっての言葉なのだと思うが、結局、言葉では保証にはならないからね」
「……止めるべきだったと?」
「いや。……おそらく、永野総長がいたとしても、結局変わらなかっただろうね」
むしろ、『山本がそうまで言うなら……』と、永野は了承しそうな気がする。あの人は、前向きにやる人間には、やらせてみようという性分なのだ。教育者は、やる気のある者が好きなのだ。
「では、総長への報告は……?」
「あの人は何も言わないだろう。結局、連合艦隊の采配に任せるしかない」
そう口にしたところで、伊藤は嫌な予感がした。
何故か、山本が博打好きな面があることが脳裏をよぎったのだ。
ああやってハッタリかました時の山本は、案外うまくやっているように見えて、最後は必ずしくじる――そう言っていたのは誰だったか。
「伊藤さん?」
「いや、何でもない」
伊藤は、それを言葉に出すのを何とか押さえた。
言葉には力が宿っているから、口に出すと本当にそうなると言ったのは誰だったか、これもまた思い出せなかった。
そうして軍令部に戻った二人だったが、中はかなり慌ただしい雰囲気だった。
これは何かあった。しかも悪いことだ――伊藤と中澤は察して、急いだ。そしてそこで軍令部第一部第一課の源田 実中佐を捕まえた。
「何があったのだ、源田?」
「あ、お帰りなさい、伊藤次長、中澤部長。大変です、異世界軍が動いたんですよ!」
「インド洋か? それともソロモンか?」
「それが――」
源田は、伊藤らがまったく想定していなかった場所を告げた。