第四一一話、大西洋艦隊先遣隊の今
西インド、ムンバイ軍港。
昨年9月下旬、ムンドゥス帝国大西洋艦隊の先遣隊が入港した。セイロン島攻略の準備のための前衛艦隊だったが、日本海軍第七艦隊からの空襲を受けて、先遣艦隊は港内で大破、沈没した。
それから半年。日本軍航空隊の妨害で施設の損傷を受けつつも、ようやく修復なった艦隊が港湾内に揃った。
戦艦『ジャンバール』に将旗を掲げるピスケース中将は、深々と溜息をついた。
「我が艦隊は、テロス大将の本隊と合流することができなかった」
大西洋艦隊の主力がインド洋に乗り出した際には、本隊と合流し、日本海軍と戦う――それができたら理想だったのだが、昨年のムンバイ軍港襲撃の爪痕は大きく、アラビア海海戦に参加することは叶わなかった。
前任者のカンケル中将が戦死したため、ピスケースがその後任として先遣隊の指揮官となったが、艦隊の復帰は遅々として進まず、肝心な時に働くことができなかったのだ。
元は地中海艦隊として活動していた先遣隊の戦力は、戦艦4隻、空母4隻、重巡洋艦6隻、軽巡洋艦5隻、駆逐艦25隻だった。
現状は、戦艦4、空母4、重巡洋艦4、軽巡洋艦3、駆逐艦16である。巡洋艦、駆逐艦の数が減っているのは、ムンバイ軍港を行き来する輸送船団の護衛に駆り出され、艦隊を離れているからだ。
「仮に、アラビア海海戦までに大西洋艦隊に合流できていたなら……」
ピスケースは呟き、しかしそこで口を閉ざした。
たらればを言ったところで、どうにかなるものでもない。テロス大将と大西洋艦隊は、すでに海の藻屑となったのだ。
物思いに沈むピスケースのもとに、参謀長であるカエシウス少将が現れた。
「提督、遅くなりました」
「ご苦労。陸軍はどうだった?」
「順調とも言えないようです」
灰色髪で小男の参謀長は、顔をしかめた。インド方面軍との打ち合わせに出ていた彼は、早速状況を説明し始める。
「インド戦線は、完全に膠着状態です。日本軍はアヴラタワーを集中的に狙っていまして、ソ連・中国方面に展開する前線との間が益々広がっております」
世界地図を広げるカエシウス。ピスケースはもちろん、他の参謀たちも集まった。
「奴らはカルカッタより北、チベットを超えて、ソ連をも突っ切り、大陸にアヴラタワーの干渉しない、我々にとっての死の谷を形成しました」
ムンドゥス帝国人には、この星の大気は生存に向かない。アヴラタワーの勢力圏内に生存可能領域を形成し、それを繋ぐことで、生きていられる。それがなくなれば、窒息し死に至ってしまう。
「最悪なのは、死の谷の範囲が東へと拡大――つまりその周辺のアヴラタワーが破壊されていっているということですが、このデッドゾーンの拡大により、前線が孤立化しつつあります」
日本軍は、異世界人の弱点を狙ってくるようになった。大陸での戦いは、数で勝るムンドゥス帝国陸軍が押し込んでいたが、前線と後方が切り離されたことで、増援戦力の移動、補給線の確保が困難になりつつあった。
「この死の谷の拡大の影響で、陸路での前線への移動、あるいは後方への移動がほぼ不可能になりました。当然、海路はありませんし、今は航空機による空輸でしか移動はできません」
カエシウスは嘆息した。
「しかも始末の悪いことに、ただでさえ全軍の補給に不足の空輸部隊も、日本陸軍航空隊の襲撃で妨害されています」
隼Ⅲ、屠龍Ⅱ、飛燕改と言ったマ式エンジン搭載の高速陸軍戦闘機による攻撃は、ムンドゥス帝国戦闘機隊をいなし、輸送機をバタバタと撃ち落としていった。噂ではさらなる新型戦闘機が現れたとか。
「結果として、現在、前線部隊は深刻な物資不足により、進軍はストップしています。一度補給が行き渡るなら、大陸東岸まで一気に攻め上がり、中国を完全掌握、日本海を挟んで、日本本土を脅かせたでしょうが……」
「歯がゆいな」
ピスケースは腕を組んだ。
「兵力で勝り、あと一押しというところなのに」
「実際、カルカッタ・ラインと呼ばれる死の谷がありますし、インド方面も日本軍がいますから、仮に東岸まで辿り着いても、大陸を完全掌握とはいかないのですが」
「小国ながら、列強に連なる国だけはあるということか」
しかし捕虜となった欧州人からの情報では、東洋人は遅れていて弱いという話だった。日本軍も欧州の軍隊ほどではないと言われていたが、中々どうして手強い。
現実問題、インド、カルカッタから、大陸の東西を分断する空白地帯を形成させた力には驚嘆せざるを得なかった。
カエシウスは唸る。
「その前線部隊も、所々でアヴラタワーを破壊されて、各所で勢力圏に穴を開けられているようです。おかげで部隊移動や戦力の集中が妨げられています」
「そもそもアヴラタワーなしでは活動できない我々は、この世界で戦うのは不利なのだ」
それさえなければ、とうに大陸を征服できていた。
「言っても仕方のないことだが」
参謀たちは頷いた。作戦参謀が、カエシウスを見た。
「それで、インド方面軍は、我々に何か言ってきましたか?」
大陸で苦戦する陸軍から、その支援部隊である海軍に期待することは?
「大西洋艦隊主力が健在であったならば、セイロン島を陥落させ、カルカッタに逆上陸を仕掛ける――」
カエシウスは地図をカルカッタから北へと線を引くようになぞった。
「そして死の谷を南から打ち崩し、東西の分断を解消する――これを陸軍は望んでいる」
そうすれば補給線も繋がり、アジア大陸東岸掌握も実現する。抵抗する日本陸軍を、日本海まで追いやることができるだろう。
「だが、今の我々にも、大西洋艦隊にもその力はない」
ピスケースは断言する。
「セイロン島に駐留する日本艦隊は、我が艦隊とよくて互角。少なくとも圧倒するのは難しく、勝ってもその後のセイロン島の攻略支援も困難だろう」
ベンガル湾の制海権を押さえて、カルカッタへの逆上陸など夢のまた夢だ。
「増援がなければな」
「大西洋艦隊もまた残存戦力が少なく、広大な海域に対して絶対的に数が不足しております」
カエシウスは頷いた。
「とても、インド洋に援軍が送れないでしょう」
そもそもの援軍だった大西洋艦隊主力が、連合艦隊に撃滅されてしまったのだ。
「インド方面軍からは、アラビア海の制海権を保持し、陸軍が進めている作戦のための海路での物資補給ルートを守ることを要請されました。それが我が艦隊に対する陸軍の期待であります」
「最低限の仕事、ということだな」
大西洋艦隊暫定司令部からも、現状維持の指示しか来ていない。ピスケースとしても、陸軍の要望に応える形で、通商ルートの保護とムンバイ軍港守備に注力するしかなかった。
――南海艦隊からの増援は無理としても、征服軍司令部は、大西洋艦隊をどうするつもりなのか……?
宙ぶらりん過ぎて、前線の艦隊としては気分はあまりよろしくなかった。セイロン島の日本艦隊を牽制する意味でも、ピスケース艦隊は無駄ではないのが、多少の慰めにはなるのだが。
そこへ情報参謀がやってきた。彼は大西洋艦隊暫定司令部からの暗号電を読み上げた。
「――近々インド洋で作戦があるので、艦隊は出撃態勢を整えられたし。仔細は追って伝達する、以上です」