第三四七話、大西洋艦隊、動く
航空戦艦『ディアドコス』。艦首に43センチ四連装砲二基八門、艦中央から後部にかけてX字の飛行甲板を持つ巨大戦艦は、プロトボロス級航空戦艦の二番艦である。
一番艦の段階では、試験艦であったが、航空部隊を重視する指揮官の意向により、ムンドゥス帝国大西洋艦隊に配備された。
ムンドゥス帝国大西洋艦隊司令長官、リーリース・テロス大将は、地球征服軍四大艦隊の一角を任せられた女性提督である。
大西洋ならびに地中海方面の海軍指揮官として、欧州各国の海軍、空軍と、合衆国艦隊を打ち破ってきた。
「名将と評判のヴォルク・テシスをもってしても勝てなかった地球の軍隊」
テロスは自身の髪をはらい、うなじに手を伸ばした。
「この私が、インド洋にまで出張ることになるとはね」
戦いとあれば好戦的である一方、ふだんの言動は冷ややかな人物である。その切れ長の瞳を持つ冷ややか美女は、長官席から、出撃しつつあるムンドゥス帝国大西洋艦隊の艨艟を見つめる。
その全容は、旗艦級航空戦艦1、戦艦36、大型空母10、中型空母20、小型空母15、重巡洋艦40、軽巡洋艦40、駆逐艦120。計282隻の大艦隊となる。
まるで海を覆い尽くさんばかりの規模だった。これにさらに輸送艦などが随伴するわけだが、複数に部隊を分けねばならず、全体を一望するのは不可能となっている。
「これでも戦力過多な気がしないでもないけれど」
テロスは視線を、長身のメルクリン参謀長へと向けた。
「相手は、東洋艦隊と太平洋艦隊を破った日本軍。油断はできないわね」
「はい」
精悍な顔立ちの参謀長は、静かに頷いた。テロスは続ける。
「でも、テシスの太平洋艦隊と戦って、日本軍も無傷ではない。我が大西洋艦隊がインド洋に進出したと知ったとしても、充分な数の戦力など送れないでしょう」
ついでに言えば、セイロン島を攻撃する頃までに、日本軍の増援が間に合うとも思えない。
「また勝ってしまうわね。私の大西洋艦隊は向かうところ敵なしだわ」
自信を漲らせるテロスである。侵略からここまで大西洋戦域の主力艦隊を率いて、欧州艦隊を葬り、米艦隊も何度も撃退してきた。
一部艦艇を太平洋に引き抜かれたりしたものの、代わりに新鋭艦が配備され、その戦力は微塵も揺るがない。さらに撃破した地球各国海軍の鹵獲艦艇も戦力に加えて、その兵力は強大そのものだった。
「鍛えられた我が精鋭航空隊が、セイロン島の守備艦隊を引き裂き、インド洋の制海権を確保する。しかるのち、やってくる日本の増援艦隊を撃滅……。まとめて相手をしてあげてもいいけれど、各個撃破になってしまうわね。負け方がわからないわ」
司令長官の圧倒的自信に、参謀たちも笑みを浮かべる。驕りにも見えるが、歴戦の大西洋艦隊はまさに無敵。これまでの堂々たる戦果がそれを物語っている。
進撃するムンドゥス帝国大西洋艦隊は、地中海を東に向かって進む。
・ ・ ・
異世界帝国大西洋艦隊、動く。
その報告は、米本土から日本の大使館に飛び、海軍に知らされた。
「――異世界帝国大西洋艦隊は、一部を残し、その主力が地中海へ移動。おそらく、インド洋方面へ進出する模様」
連合艦隊司令部にもたらされた報告に、山本五十六大将は思わず、眉をひそめた。
「敵大西洋艦隊か」
「大西洋から地中海に入った時点で考えられるのは、紅海を抜けて、アデン湾、そしてインド洋へのルート……」
草鹿龍之介参謀長が海図を見下ろした。
「敵インド方面軍の支援。それには当然、海上補給ルートの確保、つまりは制海権の奪取も含まれているでしょう」
「アメリカの大西洋艦隊が実質存在していない現状――」
山本は宙を睨んだ。
「大西洋をガラ空きにしても、連中は困らない、ということか」
アメリカ合衆国海軍は、その戦力の大半を太平洋に向けている。大西洋の制海権は実質、東海岸から近いところまでであり、新造艦艇は、その狭い領海から北方を経由して太平洋へ移動している有様だ。カリブ海、そしてパナマ運河は、すでに異世界帝国の支配領域である。
草鹿は口を開いた。
「さすがに、敵は米本土からの空襲を警戒して、パナマ運河で艦隊を移動させなかったようですね」
アメリカ本土に異世界帝国陸軍が侵攻し、空では双方の航空戦力が激しく火花を散らしている。米陸軍の重爆撃機部隊が、カリブ海や南アメリカの敵基地に飛んで攻撃を仕掛けており、パナマ運河もその射程圏に収まっている。
もし太平洋に移動しようとパナマ運河を敵大西洋艦隊が利用しようとすれば、米軍はここぞとばかりに運河を通行するところを襲撃するだろう。それで敵艦隊に少なからず打撃と、足止めを成し遂げることができるはずだ。
「異世界人は賢明だったということだ」
パナマを経由して太平洋に入るより、インド洋へ出て、大陸侵攻軍のための補給ルート確保のほうが重要と判断したのだろう。
いや、そもそも大陸侵攻作戦を支援することを考えれば、太平洋よりもまずインド洋か。
「ちょっと揺さぶりをかけてもいいかもしれないな」
「はい……?」
山本の呟きに、参謀たちが怪訝な顔になる。
「いやなに、敵大西洋艦隊が全力でインド洋に乗り出してくるなら、敵が制圧しているパナマ運河を奪回してやれば、東進する大西洋艦隊から幾分か戦力を引き返させることができるのではないか、と思ってな」
「……なるほど」
樋端航空参謀が、ぼぅとした表情で言った。
「パナマを米軍が奪回すれば、米海軍の太平洋艦隊が大西洋に乗り出す可能性を、敵も考えるかもしれない。ハワイを奪回した米軍が大西洋に帰ってきた――これは宣伝効果もありますし、敵大西洋艦隊にとっても、見過ごせないでしょう」
最低限の戦力は残しているだろうが、敵大西洋艦隊は出払っているのだ。太平洋艦隊改めて、米大西洋艦隊に活動されると、敵も戦力を戻さざるを得ない。何せインド洋から大西洋はそれなりに遠いのだ。
そうすれば、インド洋に来航した敵艦隊も規模が多少減ることになるだろう。
参謀たちが盛り上がる中、山本は静かになる。様子を見守るように見えて、思考は別のところに向いている。
――いま、セイロン島を攻撃されるのはよろしくない。
陸軍の大陸決戦の命運にもかかわる。
現地には、潜水可能な水上艦艦隊である第七艦隊が、インド洋の制海権確保のために活動している。この艦隊が、セイロン島の守備艦隊でもあるわけだが、伝えられた敵の規模からすれば、まともに戦っては勝機はない。
――武本さんが、まともではない方法での戦い方を熟知しているとはいえ、さすがに戦力が違い過ぎる。
内地からの増援として機動艦隊を送ることになるだろう。だがそれ以外の戦力を使わねばならないかもしれない。
――マル予計画の艦艇を使うことになるか……?




