第三四二話、南東方面艦隊
1944年2月。日本本土は、平和を享受していた。
先月の第三次ハワイ沖海戦で日本、アメリカの連合艦隊は大勝利を収めたこともまた、国民の士気をすこぶる良好なものとしている。
しかし、大陸に目を向ければ、陸軍が、異世界帝国陸軍と熾烈な戦いを繰り広げている。中国戦線において陸軍が行った『戦術的撤退』の件については、内地にはあまり知らされていないものの、大陸や半島から内地へ帰還する人々を通じて、噂の種にはなりつつあった。
九頭島海域に、巨大な氷が浮いていた。氷山――否、海氷飛行場である。
ハワイ作戦で展開したジョンストン島を拡張したI素材氷、丙型海氷空母群、そして異世界帝国から鹵獲した異海氷空母が集まって、海上にあった。
第一機動艦隊参謀長、神明少将は、例によって魔技研絡みで九頭島に来ていた。そんな彼に声を掛けた人物がいた。
「相変わらず忙しそうだね、神明君」
「富岡か。珍しいな――あぁ、そうか」
「そうだよ」
富岡 定俊少将は皮肉げな表情を浮かべた。海兵45期と、神明とは同期だ。なお海大27期の主席卒業。それとは別に二十歳で男爵に襲爵している。
「この海氷飛行場が、南東方面艦隊に回されると聞いて、一足先に見学に来たんだ」
南東方面艦隊は、現在編成が進められている方面艦隊である。
ハワイを攻略し、西の脅威が消えた日本海軍にとって、目下の敵にして次の攻撃対象は、南太平洋――ニューギニアならびにソロモン方面、そしてオーストラリアとなる。
その戦力の一翼を担うのが、南東方面艦隊なのである。
そして富岡は南東方面艦隊の参謀長に就任が決まっている。開戦時は、軍令部第一部第一課と、作戦に携わる部署にいて、南方作戦を巡って連合艦隊と意見を戦わせた。
そしてふっと湧いた第九艦隊によるマリアナ奇襲作戦においては、神明の作戦案により、海軍省の人事部に頭を下げたり、課員ながら勝手をやらかした神 重徳大佐が部長に叱責されるのを目の当たりにしている。
「相変わらず、忙しそうだね、神明」
「……? 何故、二度言った?」
「何故だろう? うん、確かに二度言ったな。何が言いたいかと言うとだ、ここにいるのは第一機動艦隊参謀長の仕事じゃないということだ。小沢長官は何も言わないのか?」
「機動艦隊は練成の最中だ。私がいなくても、大前が上手くやるよ」
大前先任参謀は、人の能力の好き嫌いが激しいと評判の小沢が認めている人物であり、参謀長である神明がいなくとも代わりを務めている。
「それに機動艦隊にとっても、この海氷飛行場の戦力は把握しておきたいからな。それに関係している私がここで仕事をしているのも、むしろ艦隊にとって必要な情報の収集にもなる」
「まあ、言い出しっぺは君だ。君ほどの専門家もいないだろうね」
富岡はからかうように言った。異世界氷で作った飛行場、いや空母の形をした氷の島など、世界を探しても、異世界帝国を除けばここしかないだろう。
「しかし、基地航空隊も、まさか空母のように移動することになるとは……」
富岡が見上げれば、神明は小首を傾ける。
「言うほど自力航行はできない。あくまで海上基地、海上飛行場だ」
ただし、海に浮いているというのがポイントだ。転移中継装置を積んだ浦賀型巡洋艦などの力を借りれば、この海氷飛行場は移動が可能なのである。
「海軍、そして連合艦隊の次の目標は、ニューギニア、そしてソロモン方面だ」
富岡は心なしか表情を硬くした。
「中部太平洋で我が軍と睨み合っている異世界帝国は、そこを前線と定め、航空基地を整備した。何度かこちらも航空隊で仕掛けて、飛行場にダメージを与えてきたが、あくまで時間稼ぎだ。次からはいよいよ本格攻略……と行きたかったわけだが――」
「動員する兵力が足りない。主に陸軍が」
「そういうこと」
富岡はガクリと頭を傾けた。
「陸軍は大陸決戦の真っ最中。とてもこちらに兵力を回す余裕はない」
パプアニューギニアの占領。そしてソロモン諸島とその制海権を確保しなくてはならないが、そのための陸上戦力がまったく足りないのである。
神明は口元を緩めた。
「足りない人員を補うために、この海氷飛行場を使おうというのだ」
ニューギニア方面はともかく、ソロモン諸島の島々は制圧したとして、そこに拠点を築くのは、日本軍の基地設営能力を考えれば、あまりに効率が悪い。
目下、最初の攻撃対象とされるラバウルを占領し、飛行場を整備したとして、そこからソロモン方面に航空機を飛ばすのは、パイロットにも機体にも燃料にも負担をかける。
だから、航続距離の不足を補うために、島々に飛行場を作るという話になるが、そこで日本軍の設営能力の低さという問題にぶつかる。
ならば、転移で移動できる海上飛行場を主軸に捉えて運用しよう――という考えになるわけである。
飛行場を新たに作らなくて済むのは、人員と時間の節約になり、そもそも占領、運用時の警備部隊なども必要なくなる。
「そしてそういう警備人員を、陸軍の代わりに歩兵として使う」
通常、占領地の基地や町に分散配備されるだろう守備隊人員を集めれば、それなりの規模になる。海軍陸戦隊で、陸軍の代わりの戦力とする。
「ミソは、ニューギニアやソロモン方面は、敵戦力の無力化を第一とし、占領後、使用する基地は最小限に留めることだ」
そうすれば割く兵員の数も少なくて済むから、攻撃に使える兵の減少を抑えることができる。
「例の電撃師団の事か?」
富岡が神明を見た。
ニューギニア・ソロモン方面攻略に向けて、連合艦隊が進めている計画がある。
「敵はアヴラタワーという弱点を抱えている。そいつを破壊するだけで、敵の基地能力は下がり、最悪それで全滅もあり得る」
異世界帝国軍が守るアヴラタワーを、迅速かつ奇襲的に破壊し、敵の無力化ないし弱体化を図り、その隙をついて少数ながら輸送機などを送り込んで占領。
一種の空挺作戦ではあるが、あくまでアヴラタワーなどの異世界人の生命維持に必要な設備を叩くことが第一。その後の占領は、場合によっては行わず放置する。
そうやってニューギニアや、ソロモンの島々の敵を無力化させて、制空権、制海権を確保していく。
そこで海軍の艦隊はもちろん、敵拠点無力化に用いられるのが、仮称『稲妻師団』――電撃師団は陸軍側の呼称だったりする。
なおドイツ陸軍に、ブリッツクリーク――電撃戦という戦闘教義があるが、似ているのは機動力を以て、ピンポイントに弱点を狙うことくらいである。
敵司令部を無力化したからと言って、敵部隊の士気を砕いたり、戦線全体を混乱させたりまでは期待できないので、電撃戦とは異なる。……そもそも、アヴラタワーの勢力圏の異世界人は、士気を砕くではなく死ぬ。
「足らぬ足らぬは考えが足らぬ」
富岡は言った。
「従来通りの戦いができないのなら、従来通りではない戦いをすればよい。というか、考え方を変えるべき、ということだな」
「新しい戦法で、南太平洋へ乗り込む。陸軍なし、歩兵が足りないなら、占領にこだわらず、敵を無力化させればいい。敵がいないなら、守備隊を置く必要もない」
異世界帝国が占領していた土地には、人がいない。だから占領後の統治も、保護も治安維持もいらない。
石油やその他資源、物資はアメリカが供給してくれるのだから、無理に占領して資源を回収する必要もない。だから放置もできる。
「そう考えると、確かに新しい戦い方だ。あくまで敵を排除するだけ、ね」
富岡は皮肉げな顔になるのだった。