第二六〇話、海氷から想像されること
「はー、流氷ですか」
神明少将は、九頭島秘密ドック脇の控え室にいた。向かいにいるのは連合艦隊司令長官の山本五十六大将である。
「第二機動艦隊から、この流氷について異世界人の仕業ではないか、と指摘が上がっていてね。気象の専門家にあたっても、『不可能』だ『あり得ない』しか言わないから、誰に話を聞くのがいいか考えた結果――」
山本は、上目遣いに神明を見た。魔技研の中心人物の一人であり、能力者である彼ならば、この異常な現象についても何かしら答えを持っているのではないか。
「それで、わざわざこんな孤島にお越しいただくとは」
「まあ、ここには例のフネもあるからね。視察にかこつけて足を運んだわけだ」
まったく悪びれることなく、山本は破顔するのである。
「それで、君の意見は?」
「気象研究者の言うとおり、赤道にほど近いマーシャル諸島に流氷などあり得ない。それであるならば、考えられるのは二つ」
「聞かせてくれ」
「一つ目、氷ではない」
氷ではないから、気温にも海水にも溶けない。実にシンプルな答えである。
「氷ではない……? つまり幻とでも言うのかね?」
「実際に行って、触ったのでしょうか?」
神明が問うと、山本は首を横に振った。
「いや、偵察機が目視で確認した話だと思われる」
「つまり、長官のおっしゃる通り、幻かもしれませんし、氷に見える氷ではないものの可能性もあります。氷のように見えるガラス、いや普通に絵という可能性もありますね。だから直接言って、近くで確かめるのをお勧めします」
「そうしよう」
山本は首肯した。
「もう一つは?」
「環境を操作し、マーシャル諸島に北極や南極のような極寒の環境を作り出したという話」
「……」
山本はポカンとした顔になる。いくら珍しいものに関心が深い山本でも、許容できる範囲というものがある。
「それは空想の物語か何かか?」
「魔法には、環境に働きかけるものがあります」
至極真面目な調子で神明は説いた。
「所謂、雨を降らすとか、強い風を吹かすとか、半分お伽話にも聞こえるような話ですが、それに着想を得て、環境兵器ともいうべき代物を敵が開発し、運用しているかもしれません」
もちろん、証拠はない。ただの妄想と言われても仕方がない。しかし神明は能力者の中に、局地的かつ小規模だが環境に影響を及ぼす魔法があるのを知っている。そしてそれを軍が『真面目』に研究したら、その手の環境兵器を本気で作ろうとするかもしれないことも予感している。……というより、陸軍の魔研あたりがすでにやっているかもしれない。
「できるできないを無視して、環境を変えられる装置があったと仮定してください。海上でずっと大雨と荒波の環境を故意に作り出せるとしたら……どうなりますか?」
まず空母航空隊が発着艦が不可能になる。その間に荒波に揉まれながらも、大雨に紛れて水上艦が接近し、近距離から砲撃戦を仕掛けてきたりしたら?
「空母と航空隊がまったく役に立たない戦場を作り出すことができる……!」
「そういうことです。あるいは海上から舟艇を下ろしての上陸作戦の妨害などができるかもしれないですね」
もっとも、そんな広大な戦場全体に影響を与えるほどのエネルギーが必要となる兵器など、使えるのか甚だ疑問ではある。
――いや、異世界の連中なら、できるかもしれない。
何せ別の世界を繋げるゲートなる魔力をべらぼうに消費するだろう技術を持っているのだから。それでも、簡単ではないだろう。あるなら、とっくに敵も使っているだろうから。嵐を作れるなら、流氷など使う必要もないはずだから。
山本は首を傾げた。
「今回の流氷が、その環境兵器だとすれば、意図は何だろうか?」
「極寒の環境となれば、機械の発動率に影響するでしょう。凍結での故障、慣れない寒さでの兵の活動力の低下、事故など。不慣れな分、復旧にも手間取り、そこを付け込まれれば、予期せぬ敗北もあり得ます」
「……」
「ただ、環境兵器は自分たちの兵器や人員にも負担と準備が必要になりますから、早く本物の氷か否か、その環境を確認させる必要があります」
第一の、氷に見える何かであって、環境兵器ではない場合もあるのだ。
「というより……私は環境兵器ではないと思います」
「理由は?」
「日本軍が迫っているから用意していたなら、こんな早くから使わず、ギリギリのところで発生させれば、こちらを奇襲することができたからです。唐突な環境変化に、現地の艦隊は戸惑い、敵のペースに引き込まれていたでしょう」
「確かに。では、第一の案――環境兵器でなかった場合の、連中の意図は?」
「あからさまに見せていた、とするならば、海氷は目眩ましですね。伏兵を忍ばせているか、何か仕掛けがあるかと」
神明は顎に手を当てて考える。山本は腕を組む。
「伏兵とは……氷に何か入っている?」
「大きさによりますが、中に艦艇を忍ばせて氷は張りぼてだったとか、あるいは氷の下に潜水艦を忍ばせているかもしれません。巨大な氷だと思って放置すれば、接近を許して敵に先手を許す可能性もあります」
その氷がどれくらいの大きさで、どの程度広がっているのか。それがわからないことには断定はできない。氷ないし氷もどきの大きさが、艦艇より小さければ、潜水艦や小型兵器程度しか隠れられないだろう。
「あるいは、航行を妨げる量だったり、敵が潜んでいるかもとこちらが判断すれば砲撃することになるでしょうが、そうやってこちらの弾薬を消耗させようという囮かもしれない」
「こちらの無駄撃ちを誘うか、なるほど……」
山本は席を立った。
「早速、司令部から前線の偵察に確認させるとしよう。正体がわかれば、より具体的な対抗策も考えられるだろう。それで、この話はひとまず終わりだ」
それで……――と、山本は悪戯っ子のような顔になる。
「例の艦、進捗はどうかね?」
「ご覧になられますか?」
神明も立ち上がると、控え室からドックへ伸びる通路へと足を向ける。
「コアを繋いで、自動化をかなり進めてあります。今でも動かすだけならできますが、そのためには上位の能力者が必要になります。……それなしでも動くように仕上げるつもりです」
「うむ」
裏こと秘密ドックに到着する二人。そこには、全長300メートルを超える超弩級戦艦がある。いや、それは戦艦と呼ぶには歪な艦だった。何せ艦中央から後ろに飛行甲板が据えられているからだ。
九頭島に現れた異世界帝国の航空戦艦『プロトボロス』、撃沈したそれを引き上げ、日本海軍式の改修を加えられたそれが、そこにある。
新たな連合艦隊旗艦とするべく改装されている巨艦、その外観はほぼすでに整った状態で。




