第一五九話、震えるトラック環礁
異世界帝国トラック駐留艦隊ならびに、守備隊司令部は、蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。
太平洋艦隊主力が壊滅し、マリアナへの出撃が中止されたトラック駐留艦隊は、母港に戻った。だが、それからさほど時間が経たないうちに、警戒機から『敵艦隊、発見』の無電が発せられた。
トラック環礁、かつて夏島と呼ばれた守備隊司令部は、全島に日本軍襲来の警報を発令。駐留艦隊司令部も、戻ったばかりの艦隊を抜錨させた。
トラック駐留艦隊、旗艦『ナガト』、艦隊司令長官イリスィオス中将は、苦虫を噛み潰したように渋りきる。
「重爆撃機隊が、敵機動部隊を叩いたのではなかったのか!」
何故、こうも早く日本軍が艦隊を進出させたのか。少なくとも、陸軍からの報告では、敵空母群を攻撃し、5隻の空母に命中弾を与え、大損害を与えたと聞いた。
その機動部隊は、イリスィオスの艦隊のマリアナ進出を阻んだ敵航空隊の母艦群であり、いわば仇であった。
艦隊参謀長のカリトフ少将が発言する。
「直に日没です。重爆撃部隊の支援は、期待できませんな」
「連中は、明日に備えての早仕舞いだ」
忌々しいと、イリスィオスは唸る。カリトフ参謀長は海図を見下ろした。
「警戒機は撃墜されたようです。ハル島、タケ島、カエデ島飛行場から偵察機を出し、敵艦隊を捜索中。他に敵艦隊がいないか、索敵の範囲を広げるとのこと」
「ここまで近づいたんだ。夜戦を仕掛けてくるぞ」
撃墜された警戒機の報告では、ヤマトクラスと思われる戦艦含む3隻、空母3隻、巡洋艦、駆逐艦それぞれ10隻以上という。
「ヤマトクラスが気になるが、巡洋艦が多いというと、日本軍の第二艦隊か?」
「おそらく。大型巡洋艦を含む巡洋艦を中心にする艦隊です。我が艦隊にトドメを刺そうと高速戦艦戦隊を増援に出して、ここまで来たのでしょう」
「……こいつらだけだと思うか?」
イリスィオスは投げかける。
「奴らの戦術で言えば、この第二艦隊は前衛だぞ?」
艦隊決戦では、その高速性能を活かして戦艦部隊を補佐、横合いから雷撃を仕掛けてくる部隊だ。フィリピン海海戦では、戦艦部隊と共に前衛を務めた。
そして日本海軍の戦術には、決戦に先駆けて第二艦隊が突撃し、夜戦を仕掛けるというものがあった。その後ろには、戦艦を主力とする艦隊が控えている。
「それを含めての偵察機の増強でしょう」
カリトフは言った。
「守備隊司令部も、敵の陣容から前衛艦隊の可能性を捨てきれなかった、と。……索敵を出してくれるのなら、こちらとしても他に出来ることはありません」
いるかいないのか、ただ結果を待つのみである。マリアナ諸島へ向かう輸送船団の直掩、警戒のため、トラックに夜間も索敵可能な警戒機が増やされていたのは幸いだった。だが夜間索敵の練度、レーダーの性能について問題も少なくなかったが。
「日本軍も、カスパーニュ大将の太平洋艦隊主力と戦った直後です。さすがに無傷ではないでしょう。撃沈、損傷艦も多いはず」
「それを期待して、相手が発見された艦隊だけだとよいのだがな」
イリスィオスは腕を組んだ。
駐留艦隊は、戦艦4隻、重巡洋艦4隻、軽巡洋艦5隻、駆逐艦16隻が戦闘可能状態だ。空母は、敵機動部隊によって全て撃沈されている。
もっとも夜戦ともなれば、空母の出番はないからまだいい。……この時、イリスィオスをはじめ、異世界帝国軍人たちの頭に、夜間での大規模航空攻撃の可能性は皆無だった。
「敵も飛行場からの攻撃を嫌って、夜戦を挑んでくるはずだ」
「数の上では互角ですが、我が方には守備隊の魚雷艇と小型潜水艦群があります。地の利はこちらに有利です」
「忘れるな。ここトラックは、日本海軍の庭だった。連中も土地勘はあるぞ」
イリスィオスは気を引き締めた。
トラックに引き込めば、艦隊以外にも小型艇による援護も見込める。気がかりは、やはり敵戦艦――ヤマトクラスの存在。
トラック駐留艦隊の保有する戦艦で、もっとも強力なのはナガト級の2隻。しかしその41センチ砲は、46センチ砲を備えるヤマト級には劣る。まともに殴り合えば、不利だ。
夜間であることを利用して接近し、近距離戦闘を仕掛けるしか、砲撃戦では勝ち目がないだろう。
最悪、泊地にまで引き込み、島の砲台も利用して立ち向かう手しかないかもしれない。
イリスィオスをはじめ、トラック駐留艦隊の将兵は緊張して、敵の発見を待った。しかし、どれだけ待とうとも、日本軍は現れなかったのである。
・ ・ ・
翌日、ニューギニア方面の重爆撃機基地は、偵察型オルキ重爆撃機を出した以外、出撃を見合わせていた。
トラック近海に、日本艦隊が肉薄、という通信を昨日受け取った。敵のトラック襲撃を阻止したいところではあったが、ニューギニア方面の陸軍航空隊は、夜間は、高高度からの識別は困難、誤射の可能性が高いと出撃を見合わせていた。
正直手遅れだろうが、トラック駐留艦隊と守備隊の仇は取ろうと、夜が開けたら日本艦隊を爆撃すべく待機していたのだ。
が、夜の間、トラック駐留艦隊ならびに守備隊から、敵と交戦中の報は入ることがなかった。敵の位置さえ把握できているなら、夜明けと共に重爆撃機部隊をトラック近海へ送り込む算段だった。だが、発見の第一報以降、情報は入ってこなかった。
結果、ニューギニア方面軍の陸軍航空隊は、マリアナ諸島もしくは近海の敵艦隊への爆撃を中断し、トラックをうろついているだろう敵艦隊の捜索に当たった。
探し物が、海に潜り、自分たちの飛行場へ向かっているとも知らずに。
日本海軍第七艦隊の思惑通り、異世界帝国軍は、すでにその場にいない艦隊を探して、時間を空費させていった。
それは結果的に、マリアナ諸島にいる連合艦隊への重爆の襲来を阻止し、時間稼ぎに成功した。
最初の敵発見の報告は誤報だったのでは?――見えない日本軍の存在に、トラック守備隊やニューギニア方面軍の陸軍航空隊が疑いを抱き始めた頃、日本軍が襲撃してきた。
ニューギニア島アイタペに、突如、日本機約70機が襲来。重爆撃機部隊が駐屯する第一、第二飛行場を急襲した。
それらは異世界帝国の警戒網を易々と突破し、護衛戦闘機群と重爆撃機が、ことごとく叩かれた。
飛来したのは第七艦隊所属の第七航空戦隊の艦載機。九九式戦闘爆撃機と二式艦上攻撃機は、遮蔽装置を用いて、レーダー網を突破し、飛行場と敵機にロケット弾と誘導爆弾を叩き込んだ。
さらに『大和』『美濃』『和泉』ら水上砲撃部隊が、アイタペに作られた軍港に対して、艦砲射撃を実施。異世界帝国の輸送船団もろとも、港施設を破壊した。
アイタペに日本艦隊出現。その報告を受けて、ウエワク、ホーランジアなど近隣の航空隊が、日本軍撃退のために出撃した。
しかし、襲撃の跡はあれど、すでに敵の姿はなかった。海上へ撤退したのでは、と改めて航空隊が派遣されたが、その間に第七艦隊は海中を西進。続いて、ホーランジアを襲撃した。
第二次攻撃隊およそ70機が、重爆撃機飛行場を襲撃し、地上撃破多数と基地施設を叩いた。
ニューギニア方面の陸軍航空隊はアイタペ近海に、同地とホーランジアを襲った航空隊の母艦を含む日本艦隊がいるのでは、と捜索したが、空振りに終わる。
その間に第七艦隊はホーランジアまで移動し、浮上するとやはり港施設と補給施設に対して艦砲射撃を浴びせて、そのまま夕闇に紛れて、退避した。
この日本海軍の神出鬼没な動きに対して、ニューギニア方面軍は報復のための索敵を繰り出した。だが彼らは、水上艦隊と思い込んだ結果、海中の第七艦隊を発見することはできなかったのである。
そして翌日、ビアク島の飛行場が100機を超える艦載機の攻撃を受けて、その機能を喪失するのだった。




