第一〇三二話、思わぬ敗走
マーシャル諸島。ムンドゥス帝国二千艦隊の残存艦隊が展開する。その中のクェゼリン環礁に、ムンドゥス皇帝が座乗する皇帝旗艦『ヘーゲモニアー』が停泊していた。
「日本海軍は、噂に違わぬ強者であった」
ムンドゥスは玉座に腰掛けている。
「我が二千艦隊をここまで追い詰めた軍は、初めてである」
その表情は非常に晴れやかであり、満足げであった。カサルティリオ総参謀長が頷くと、戦務参謀が口を開いた。
「――二千艦隊の残存艦の集計でございます。戦艦54、航空戦艦38、空母、大型13、中型41。重巡洋艦67、軽巡洋艦135、駆逐艦199、潜水艦150」
「激戦であったな」
いずれの艦種も半分以下になっている。その戦いぶりは実に見事なものであった。
「対して、日本艦隊の戦艦200隻以上、空母20隻前後、巡洋艦350隻以上、駆逐艦約400隻を撃沈波。潜水艦については100隻以上と思われますが、詳細は確認中です」
「ふむ、まあ、そうであろうな」
ムンドゥスは頷いた。二千艦隊に相応の打撃を与えた日本海軍だが、その艦隊も多く喪失したことに疑いはない。……これらの大半は無人艦隊の艦艇だが、それについてはムンドゥス帝国はまだ掴みきれていない。
「思いのほか、空母を撃破できておらぬな」
「はっ、敵空母は皇帝親衛軍の攻撃を受けた直後に転移退避したとのことで、戦果拡大には繋がりませんでした」
「なるほど。さすがは百戦錬磨の日本海軍ということか」
ムンドゥスは戦術モニターを見上げる。そこには中部太平洋の地図が表示され、偵察報告をもとに双方の軍の配置が示されている。
「マリアナとトラックに後退した日本艦隊は、空母を主体とする機動部隊ということか」
「御賢察の通りにございます、陛下」
戦務参謀が一礼すると、カサルティリオが視線を寄越した。
「現在、皇帝親衛軍がこれら残党の処理に動いております。……中断させますか?」
「いや、空母機動部隊が相手ならば、捕捉できるうちに叩くのが最善。ササの判断を尊重しよう」
皇帝の見ていないところで親衛艦隊が動き、敵を撃滅する。強敵との戦いの観戦を好むムンドゥスだが、自分の好き嫌いで全てが動くとも思っていないし強制するつもりもなかった。
「余は昨日の戦を充分に堪能した」
ムンドゥスは鷹揚に告げる。
「――して、今後の予定は?」
「二千艦隊は戦力の再編が必要ですが、動かせる戦力でマリアナ諸島を攻略致します」
カサルティリオは事務的に答えた。
「その後は、各艦隊を太平洋に進出させ、太平洋および日本本土攻略を目指します」
「うむ、マリアナとトラックの日本艦隊を叩ければ、その道も開けよう。地球征服軍が目指し、果たせなかった攻略ルートを辿り、そして成し遂げることが、余に献身的に仕えてきたサタナスへの手向けとなろう」
地球世界の征服を任され、しかし日本軍との戦いによって壮絶な戦死を遂げたサタナス元帥。勇戦し、だが力及ばず倒れたムンドゥスの戦士のことを、皇帝は軽んじることはない。
なに――それは……。
司令塔に、場に似つかわしくない声が聞こえた。ムンドゥスは視線を投げる。
「どうしたか、フェッルム通信参謀?」
「はっ、陛下」
通信参謀は前に出ると片膝をついた。
「大西洋戦線にて急報が入りました」
「その様子では、あまりよい知らせではなさそうだな。申せ」
「はっ。バミューダ諸島を攻略中の帝国第二艦隊ですが、米軍の新兵器と思われる爆撃を受けて被害が出ました」
「新兵器……」
バミューダ諸島はアメリカの庭である。米軍が反撃してくることは想定のうちではあるが、主要な艦隊を失った彼らは新兵器に頼った戦い方をしてきたようだ。
「それで?」
「はい、爆撃後、艦隊乗員に戦闘不能者が続出。帝国第二艦隊は攻略を取りやめ、撤退いたしました」
その報告に参謀たちはざわめく。カサルティリオ総参謀長の表情が鋭くなった。
「撤退した、だと? どういうことなのか?」
「わかりません。現在調査中ですが、とにかく戦闘どころではない状況らしく、艦隊司令部でも倒れる者が相次いだとのことです」
「なんだと……?」
冷徹なカサルティリオでさえ、信じられないという顔になった。ムンドゥスは自身の顎に手を当てる。
「生物化学兵器の類いか? この世界の大気は我らムンドゥスの人間には合わぬからな。それに関係する新兵器やもしれぬ」
アメリカ人が何をやったかはわからないが、その兵器がムンドゥス帝国に有効とみれば、今後それを活用してくるだろう。
「うむ……。アメリカを先に始末すべきかもしれんな」
・ ・ ・
「――ふむ、すると異世界人の艦隊は、撤退したのだね?」
アメリカ大統領、ハリー・トルーマンは陸軍省から報告を受けて、レズリー・グローヴス少将へと視線を向けた。
「君たちが進めてきたマンハッタン計画の新兵器は、異世界帝国艦隊を敗走に追い込んだようだ」
「恐れ入ります、閣下」
襟を正すグローヴスだが、正直、敵艦隊が逃げたという話は半信半疑であった。自分たちの開発した爆弾が、そこまでの威力であると信じられなかったということもある。
だがトルーマンはそれを気にしていなかった。実際、新兵器のことについて彼はほとんど知らなかったのである。
前大統領、フランクリン・ルーズベルトは、とうとう表舞台に復帰することなく、ひっそりと亡くなった。結果、トルーマンがアメリカの大統領としてこの局面に挑まねばならなくなった。
――もしヘンリー・ウォレスが生きていたら、彼が大統領だったのだろうが……。
難局を背負い込まされた気分のトルーマンである。ヘンリー・ウォレスは、ルーズベルトの副大統領であったが、彼は異世界帝国の空爆で命を落としており、新たに副大統領になったトルーマンが後を継ぎ、ホワイトハウスを空爆された以後は、ルーズベルトの代わりにアメリカを導いてきた。
南米作戦であるイーストカバーが失敗に終わり、大西洋艦隊が壊滅した時は、いよいよ自分が最後の合衆国大統領かと覚悟したものだが、どうやらルーズベルトの置き土産は想定以上の効果を発揮したようだった。
「引き続き、新兵器の製造を進めるように。我が祖国の命運は、もはやこれにかかっていると言っても過言ではない」
「承知しました。ミスター・プレジデント」