トラウマ
生きていると心が傷つくことがある
子供の頃に受けた傷は、本人も覚えていない
忘れたくて忘れたのかもしれない
だけど、その傷は癒えていない
事あるごとに、心の奥で痛む
大抵の場合、両親や身内などの近しい人たちとの関わりの中で起きた体験だ
記憶もないくらい小さな頃の自分が受けた傷、それがずっと自分の人生に影響を及ぼしているとは、ほとんどの人は気づかないだろう
しかし実際は、人格形成やコミュニケーションにかなり関係している
自分に自信が持てなかったり、意地を張って素直になれなかったり、それは、あなたのインナーチャイルドの反乱かもしれない
私自身は、幼少の頃、父親にとても可愛がられていた
私も、父が好きで仕事から父親が帰るといつもくっついていた
私が9~10才頃の話で、小学校の部活動でソフトボールを始めた
運動神経は良かったけれども、姉妹ばかりでバッティングはほぼ経験したことがなかった
バドミントンやゴム飛びをして、いつも遊んでいた
初めて握る木製のバットは、痩せっぽっちの小学生には重く、ちっともボールが当たらなかった
運動も勉強もできた優等生として、バッティングができないことが、悔しくて辛くて小学生の私は途方に暮れた
家に帰って、打てない、と夕食時に泣き出したことを覚えている
父親が、泣いてないで練習したらいいと、その日から、早く帰った日の夕方に空き地でバッティングの練習をしてくれた
そのかいあってか、ひとつきもしないうちに私は、どんなボールでも打てるバッターになった
自分で言うのも何だが、大体のことは人より早く習得できた
四年生で只一人、補欠入りしていたし、五年生からレギュラーで六年生はキャプテンだったのだから、自画自賛だけではないと思う
ただ、パワーのあるタイプの選手ではなく、足は早かったので一番バッターで必ず当てて塁に出るという感じだった
過去の栄光の話がしたいのではない
結果的には、良かったのかもしれない
けれど、私は、本当は傷ついた自分を受け入れてほしかった
父に甘えたかった
辛かったね、悔しかったねと、頭を撫でてほしかった
泣かないで、努力しろ
悔しいなら、練習しろ
正しいかもしれない
だけど、その前に私の気持ちを理解してほしかった
悔し泣きするほどの辛いことなんて、めったになかった
初めて壁にぶつかって、ショックを受けて、自分ではどうしたらいいかわからなかった
父としては、何とかしてやりたいと思った愛情だったのだろう
でも、私は何とかしてほしかったのではない
思いっきり泣きたかった
バッティングなんかできなくても、私がかわいい娘であることに変わりはない
そうやって傷ついた私を抱きしめてくれていたら
運良く私は父との練習で上達したけれど、努力しても成果が表れなかったら?
がんばっても、できないことはある
得手不得手がある
向き不向きがある
スポーツは、特に持って生まれた身体や感覚による
スポーツでなくても、がんばっても努力しても、(ある一定の成果は上がるかもしれないが)思うような成果が上がらなかったら
努力が足りない、がんばってないとされてしまうのだろうか
自分はがんばれないダメな人間だと、できないからあきらめる根性なしだと言われるのだろうか
父は、私をできの悪い娘だと思ったのだろうか