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自称、失恋マスターのひとりごと

作者: 満月

 一頻り泣いた後に、窓を見た。

大粒の雨が、透明な窓を叩く。強く、強く。

まるで私のそれよりも、勝っていると言わんばかりに。

「私が一体何をしたというのだろう。」いくらかの時間、天井を見つめた末にそう呟いた。一人しか居ない部屋の中で、返事はもちろん返ってくるはずもなく。自分に向けて言ったのか、誰かに向かって言ったのかも分からない。自分が何をしたのかも分からないのに、何をしたいのかも何を求めているのかも、分かるわけがない。

 悲観的になった時、目に見えるもの全てが今の感情と繋がっているような感覚に陥る。

 降り頻る雨は、私のそれと同じように感じるし、道端に咲く一輪の花は、私と同じだと感じる。「君も同じね。」と勝手に決めつけられた花からすると、大変迷惑な話だ。店内に流れる流行りのそれは、今の私の感情そのもので、私のために作られたのではないかと。自意識過剰も甚だしい。

 青い空を見れば、「私の心の色とは真反対ね。」なんて呟いて、挙げ句の果てには、そもそも心に色はあるのか、今の私は何色なのだろう…と自ら答えのない迷宮を彷徨いだす。

 つまり私はそういう人間で、そう、たった今、失恋をしたのである。

 恋を失うと、そう書く出来事には慣れていると思っていた。それに直面した時の衝撃は、毎回違うものではあるも、乗り越える方法も身につけているつもりだった。そう、つもりでしかなかった。

 久方ぶりに遭遇したそれの衝撃は凄まじく、目からこぼれる水は、大雨に打たれる草花から流れ落ちる雫のようだった。それほどまでに好きだったのか、今となってはわからない。目に見える全てのものが、自分の置かれている現状を表しているかのように錯覚してしまうような人間であるから、悲劇のヒロインぶりたかっただけかもしれない。そう思った方が楽になれると、思い込もうとしているだけなのかもしれないが、それはそれでやはり、勘違いも甚だしい。

 皆が通る道、誰しもが一度は味わったことのあるそれ。いや、知らない人も中にはいるのかもしれない。それは大変羨ましいし、是非ともお目にかかりたい。あわよくば、インタビューも添えて、秘訣を聞き出したい。いや、もしかしたら、恋をしたことがなく、必然的に失うことがないのかもしれない。それはそれで、その道もありではないか。人は誰しも、傷つきたくないものだから。痛い、苦しい、辛いことから少しでも目を背け渡り歩いていきたいと、そう思うのが人間だから。それ故に悩むこともあるだろうが、抜きにして考えれば、幸福そのものだ。

 失った瞬間は、恋に落ちた瞬間のことなんて、忘れてしまっている。それが普通であろう。きらきらと輝く思い出全てがなかったことにまで思う瞬間故に、出会ったことで得た正の感情は思い出せない。

 しかし、これは失った直後は、の話。失恋の本当の恐ろしさは、この後に来ると、自称失恋マスターの私は考える。

『憎めたら、どれほどまでにいいか。誰かのせいに出来たら、どれほど楽だろうか。公園のゴミ箱に捨ててあった、〈きみだけのプリン〉の容器を見つめ、「誰かに食べられちゃってたら、私だけのプリンじゃないじゃん‼︎」って、そんな風に相手を責めることが出来たら、楽なんだろうに。自らの行いは、自らに返ってくる。いいも悪いも。失った時、もう最後にしたいと学習しなければと毎度思うのに繰り返す。何か前世で私はやらかしてしまったのだろうか…。そうか、だから、失った時私は「私が一体何をしたというのだろう。」と呟いたのか…。どこかでアプローチの仕方を間違えてしまったのだろうか。いや、あの時の連絡の仕方がいけなかったのだろうか。あんなにも、笑いかけてくれたのに…どうしてだろうか。どうしてこうなってしまったの。どこで間違えてしまったの。』と、負の感情のループへ突入する。自分が悪い悪かった、何にが悪かったのか、責めて責めて責めまくる。後から襲ってくる、これが怖いのだ。皆そうだと思っているが、ここまでは特例なのかもしれないが。

 自尊心が低いことが大いに関係していることは、自分でもわかっていた。少しでも自分自身を肯定できるように、努力もしたつもりだ。少しは、変われたのかなと思えるレベルまで少しずつ階段を登っている途中であった。

 けれども、そんな中で急に訪れたそれは、登ってきた階段を瞬時にスロープと化し、私をまた引きずり落とす。毎度、「もう登れない。誰も、私のことなんて好きになってくれないのだろう…。」とそう思ってしまうほどまで、なぜ私は自尊心が低いのだろうか。やはり、私の人生という物語の中の悲劇のヒロインを、永遠と演じていたいのだろうか。ヒロインは、悲劇だけが降りかかるわけではなのに。

 自分自身で、その道を選んでしまっていたとしても、知らない間に選んでしまっていると考えれば考えるほど、無意識の領域で選んでる自分を責めてしまう。それすら、もう悲劇だ。負のループ、そのもの。

 自らのせいにしたり、誰かを責めたり、負の感情やループからの断ち切りには、負では勝てない。マイナスにマイナスをぶち込んでも、マイナスが増えるだけ。

 物は、考えようだ。無理くりプラスに考えようとしても縦と横の棒は、自分の意に反している故に、磁気を発動し反発を起こしてマイナスと化する。自分の感情には逆らわず、考え方、物の見方の視点を変えるのだ。

 思いっきり悲しめばいい、自分の中で楽になるのであれば、自分の中で誰かを責め続ければいい。そうして、ふと流れ落ちる涙や降り注ぐ怒りの矢が落ちきった時、別の角度から、この失った物を見てみることを忘れないこと。これが、乗り越える方法で、そんな自分やこの出来事を肯定できる方法ではないだろうか。

 無理に忘れる必要はなく、忘れようとすればするほど、思い出すのが人間だ。忘れなくていい。けれど、思い出にしなくてもいいのだ。終い(しまい)方は、それぞれの自由である。悲観的にならず、前を向ければ、なんだっていいじゃないか。少しづつ前が向けるようになってからでもいい。好きなことに没頭しよう。特になければ、枝豆を少し遠くに置いた皿まで飛ばす遊びをしたっていい。食べ物で遊ぶことは、罰当たりだが、今日くらい許してもらえるだろうから。

 自分を責めてしまうほどまでに、好きになれる相手に出会えたことに感謝したい。全て一期一会。今はまだ会うことは出来ないが、もしこの先会うことがあるのであれば、その時は自然と笑って話しかけれるようになっていれればいいなと、そう切に願う。

 まあ、本音を言うと少しくらい、相手の記憶に傷をつけれていたらいいなとは思うが…そう、ほんの少しだけ。かっこつけて「私のことは、忘れてね。」なんて言っておいて、本音は少しだけ傷をつけていたいと思う。…人間らしくていいではないか、思うだけなら自由なのだから。

 今、晴天を見て感じることは「お花畑に行きたいなあ。」だ。

 私は、前を向き始めた。確かに、今回のそれもしんどいもので、なんなら過去ナンバーワンと言っても過言ではなかったが、私はまた前を向き始めることが出来ている。数日後に、また何かのきっかけで後ろを振り返ってしまうことがあるかもしれないが、今はこの景色を目に焼き付けておきたいと思う。

 風に流れるポピーがなんとも、美しい。美しいものを見て、美しいと感じれる、今が、とても愛おしい。それでいい。それがいい。


全ての人に、幸あれ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 自分とは違う世界、生活、地域性を知れる良い作品だと思いました。 人の思いの一つを知れる、考え方に幅が拡がりました。 ありがとうございます 応援してます [一言] 応援してます。
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